小説の書かれる時(前編)
ということである。
探偵が、
「犯人が分かったので、皆を一か所に集めてください」
などという状況になった時、探偵が、
「謎解きの間に、犯人を指摘する時、この事件の本質が、交換殺人にある」
ということを暴露することで、クライマックスと迎えるのである。
そのために、
「耽美主義」
「異常性癖」
「猟奇殺人」
などという着色を加えることで、
「緻密な頭脳でないとなかなか成功させられない交換殺人をいかに行ったのかということの謎解きが、すべての醍醐味ということであろう」
それを思えば、
「交換殺人」
というのも、密室殺人のように、
「そのトリックだけでは、犯罪のトリックとしては難しい」
ということである。
最初に探偵に本質を明かしておくか。それとも、謎解きの時に行うか?」
という違いがあるだけで、他のトリックを組み合わせなければ成立しない本質ということで、事件自体が、
「大きなふくらみを持っている」
ということを明かしているのと同じであった。
それこそが、耽美主義や、交換殺人の大まかなところではないかと思うと、そのような小説を思いついたのであった。
大団円
交換殺人が、
「成功しない」
という理由の一つに、そもそもの、交換殺人の意義というものがある。
というのは、
「一番の容疑者、恨みが深い、あるいは、被害者が死ぬことで、誰が得をするかということの一番の人間に、アリバイを作っておく」
というのが、その本質である。
だから、実行犯が犯罪を犯している間、教唆の人間は、どこかアリバイを作っておく必要があるということだ。
もっといえば、
「同時に犯罪を犯すことはできない」
ということであろう。
つまりは、これが、
「交換殺人というものを、不可能ならしめる理由なのである」
といえる。
どういうことなのかというと、
「もし、自分が、誰かを殺したい」
ということになると、
「誰かに殺してもらったとする」
そして、その代償として、
「今度は自分が相手も殺してほしい相手を殺す」
というのが、交換殺人だ。
しかし、冷静になって考えると、これは、おかしいのではないか?
「どちらが先に殺すということが一番の問題になる」
ということであり、
「もし、相手が先に自分が殺してほしい人を殺してくれたとすれば、俺は、本当に今度は、その人のために、縁もゆかりもない人を殺す必要があるということなのだろうか?」
ということになる。
「待てよ?」
と感じるのではないだろうか?
というのは、
「自分が何も危険を犯す必要はないのだ」
何と言っても、自分が死んでほしい相手は、すでにこの世にはいない。
しかも、その時の自分のアリバイは完璧ということではないか。
もし相手が、
「俺がお前のために殺したということを警察にいうぞ」
といって、誰が信じるというのか、警察に出頭したが最後、彼は捕まるのは当然のことである。
言っていることに辻褄が合っていれば、当然、少なくとも実行犯としては捕まることになる。
しかも、自分が摘発しようとする、教唆の相手に対しては、
「鉄壁のアリバイ」
を作っているではないか。
アリバイがある以上、いくら実行犯が何を言おうとも、その事実を覆すことができないかぎり、警察は動かない。
そもそも、
「警察には、看破できないだろう」
という鉄壁のアリバイを作っているのだから、それを一人の人間の証言、しかも、実行犯ということで、明らかな犯人がいうことなど、誰が信じるというものか。
つまりは、
「交換殺人というのは、最初に誰かを殺したら最後、今まで同等の間柄であった二人の関係は、まったく一変するというものだ」
実行犯は、もう一人の相手に、奴隷のごとくしたがうしかなくなり、それが、
「交換殺人」
というのもは、
「小説やドラマではあるが、実際の話では聴いたことがない」
ということになるだろう。
「小説であっても、うまくやらないと、話は辻褄が合わなかったり、面白くなかったりするということになるだろう」
それが、交換殺人の本質というものではないだろうか?
あとは、比較された、
「密室殺人」
というものであるが、これに関しても、
「本来なら、密室殺人なるものは、ないならないでいい」
といえるのではないだろうか?
密室殺人というのは
「捜査のかく乱」
ということでは、意味があるかも知れないが、何も密室にすることなどないのだ。
というのは、これも交換殺人と同じで、
「完全犯罪を行うなら、密室にしない方がいい」
といえるのではないだろうか。
つまり、犯罪というものは、考え方として、
「殺人事件があり、そこに、犯人を誰か別の人にでっちあげ、いろいろな犯行の功績を残しておく方が、警察をミスリードするということであれば、そちらの方がよほどうまくいく」
ということになるだろう。
警察というものは、
「通り一遍の捜査しかしない」
ということなのだ。
犯行の証拠があからさまであっても、心の中では、
「罠ではないか?」
と思ったとしても、最初は、
「事実に基づいて捜査をする」
ということになるだろう、
ということは、
「下手に密室などにしてしまうと、事実として出ていることとの辻褄が合わなくなり、せっかくの細かい下準備が、成功しない可能性がでてくる」
ということを考えると、
「警察は、却って、せっかく作ったアリバイを疑うことになり、最初の計画が狂う」
というのだ。
つまり、
「二兎を追うもの一兎も得ず」
ということになるのである。
「犯罪計画において、余計なことをすると、脚がつく」
ということになるのであろう。
「交換殺人」
と、
「密室トリック」
というものは、それぞれに、難しいところがあるが、これを組み合わせると、面白い話になるということは、ある意味証明されたといってもいいかもしれない。
ただ、これを、足柄は証明しようとは思わなかった。
小説を書いてはみたが、発表しなかった。
それというのは、
「自費出版系の、詐欺集団」
というものの存在を知ったことと、
「今は、どういう小説のブームではない」
ということだ、
「交換殺人と、密室トリックの発想」
というものと、
「耽美主義」
という考え方は、実に
「逆説」
という考え方をすることで、
「本格派小説」
であっても、
「変格派小説」
であっても、そのどちらにスポットライトを当てるかということで、まったく違った、その代わり、
「距離のよって」
なのか、それとも、
「角度によって」
なのかということが分かってくるような気がしてならなかった。
このような状況において、
「果たして、足柄が、どんな小説を書いたというのか?」
ということを考えると、その小説の内容を、次回作にて、発表するように作者が考えているということを示しておこう。
この話で描いたことがすべて、作品に織り込まれているかどうかは難しいところで、
「ひょっとすると、無意識にこみあげてくるものではないかも知れない」
ということを想像するのではないだろうか?
作品名:小説の書かれる時(前編) 作家名:森本晃次