小説の書かれる時(前編)
という観点からもありえない。
そんな裏切り行為が分かったとすれば、
「隠密に暗殺される」
ということになっても無理もないことであろう。
そうなると、
「現代にだって言えること」
いや、今の時代だって、誰もが思うことだ。
ということである。
ただ、実際には、バブルがはじけると、
「リストラ」
というものが行われ、社員が減ると、残った社員にしわ寄せがいく。
ただ、
「残業というのは、経費節減の観点から、あってはならない」
ということになった、
それまでは、給料はたくさんだったが、お金の使う時間がないということで、小金が溜まった状態で、今度は、定時に終わるということで、暇もできてしまった。
そうなると、今な時間をどうするか?
ということが問題になってくるのだ。
そこで、流行ってきたのが、
「サブカルチャー」
である。
「5時から男」
などという言葉もあり、
残業がなくなり、定時に帰ることになると、元気になる人ということである。
「どうせ、真面目にやってもやらなくても、給料は変わらない」
ということで、仕事は適当にして、後は、プライベートを楽しむということである。
それが、どのようなものかというと、流行ったりしたのは、
「スポーツジム」
や、
「英会話教室」
というものではないだろうか?
「スポーツジム」
で、これまでなまっていた身体を鍛えるという考えであったり、
「海外旅行をしたい」
ということから、英会話を習いたいと思う人が増えたということだろう。
しかし英会話に関していえば、それだけ、新しい言語を勉強し、それから、
「実力主義」
と言われるこの時代に、自分をアピールできるものを見に就けようという、
「一石二鳥」
をもくろんでいる人もいるだろう。
そういう意味もあるが、基本的にほとんどの人は、
「今までできなかったことをしたい」
ということで、
「趣味を見つける」
という人が増えたということだ。
趣味にもいろいろあるが、その趣味を決めるいくつかある基準の中で、早い段階で考えるのが、
「なるべく、お金のかからない趣味」
ということであろう。
となると、
「小説執筆」
などというものは、あまりお金が掛からない。
「筆記具か、ワープロのようなものがあれば、それで十分だ」
ということだ、
筆記具やノートなどは、そんなにかかるわけでもなく、ワープロも一度買ってしまえば、あとは、用紙や、インクリボンなどだけしかかからない。
「教室に行ったり、スポーツのように、お金が掛かるというものとは違って、書けるようになるというだけでも、それは自分にとっての自信にもつながる」
というものだった。
だから、前であれば、
「小説家になりたい」
という、
「ガチな考えの人だけだった」
というのに、その頃は猫も杓子もということだったので、商売にするには、あるいは、もっといえば、詐欺を働くには、
「好都合ではないか?」
といえるのではないだろうか?
小説を書くということは、他の趣味がどのようなものなのか分からないが、一番難しいこととしてよくいわれるのが、
「最後まで書き切る」
ということである。
つまり
「最後まで書き切ることが、どれだけ難しいか」
ということで、その難しさというのが、少し他の趣味とは違うのではないだろうか?
というのも、たぶん、ほとんどの人が、途中で、
「俺が小説なんか書けるわけはないんだ」
と思うからではないだろうか?
小説を書くということに、免許がいるわけではない。
民間の教室で、
「小説講座」
という教室も確かに存在する。
それが、バブル崩壊での、誰もが持ちたいと思う趣味に繋がる、
「サブカルチャー」
だといってもいいだろう。
しかし、そんな民間のっ教室だからといって、別に、
「バブルがはじけてから、急に増えた」
というわけではない。
今までにもあったものであり、意外と教室お高額だったりするのだ。
そうなると、趣味を小説にした人のその理由として、
「安上りだから」
ということであったとすれば、ここで教室に入学するというのは、本末転倒であろう。
ただ、小説を書き始めて、
「いずれが、プロのなりたい」
と真剣に思っている人は、
「お金に糸目をつけない」
と思うものなのかも知れない。
それだけ、自分には自信があり、小説を書き続ける自信が生まれ、これからもどんどん上達すると思っている人は、教室に入学して、基本から学ぶことになるのではないだろうか。
ただ、この教室の講師というのが、自分が小説家になるうえで、あてになるのかどうか、難しい、
というのは、あくまでも、本当かどうか分からないが、講師をしている人は、
「確かに一度は新人賞のようなものを取って、文壇デビューを果たしたのかも知れないが、次回作が売れなかったり、自分でいい作品を作ることができないというジレンマに押しつぶされ、鳴かず飛ばずの人だ」
という人が多いのではないだろうか?
それを考えると、
「言い方は悪いが、プロになろうと考えている自分が、プロになれなかった人から教わるというのだって、これこそ、本末転倒ではないか?」
とも考えられる。
「いや、文章講座というのは、基礎の基礎を教えるところだ」
ということを言われたとすれば、
「それなら、値段が高すぎる」
と言いたいだろう。
それくらいのことであれば、ネットで調べたり、本を買って読むことだってできるはずだ。
何も、時間を使って、教室に通い、例えば、半年コースで終わってみれば、
「文章のいろは」
というものを教わっただけだということになれば、
「本当に、本末転倒だ」
といってしかるべきであろう。
それを思うと、教室に払うお金がもったいないと思うのは、当然のことであろう。
だから、小説を自由に書くということが、趣味の段階ではいいことなのだろう。
そういう意味で、詐欺商法の会社には、たくさんの原稿がやってくる。
なぜなら、彼らは、
「ちゃんと中身を読んで、批評をしてくれる:
とことだからだ。
しかも、その批評には、いいことだけではなく、悪いことも書かれている。
だから、信憑性があるのだ。
有名な文学賞であったり、新人賞などの、
「審査に関しての質問には一切お答えできません」
という、グレーな部分だらけで、
「出来レースではないか?」
と思われるところとはまったく違うのだ。
しかも、出来レースと思う理由として、前述のような、
「企画出版をするのは、芸能人か、犯罪者だけだ」
というようなことを言われたとして、もし、お金のある人であればどう思うだろう。
最初から、
「怪しい」
と思っていたとすれば、そんなことを言われると、反発するのだろうが、そうではなく、真面目に聞いていた人は、
「少々くらいのお金だったら」
と思うかも知れない。
世にさえ出れば、だれかが見てくれるかも知れないと思うのだろうが、果たしてそんないうまくいくかということだ。
今の時代であれば、インターネットを使って、
「無料投稿サイト」
というものがあり、
作品名:小説の書かれる時(前編) 作家名:森本晃次