小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

小説の書かれる時(前編)

INDEX|13ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 という時代でもあった。
 しかも、
「馬車馬のようになって働くことが美徳だった」
 という時代でもある。
「24時間戦えますか?」
 というコマーシャルによる閃電文句が流行ったくらいだ。
 そのコマーシャルというのが、スタミナドリンクであり。
「そんなものを呑んでまで、寝ずに働く」
 という今でいえば、
「ブラック企業」
 の典型でもあっただろう。
 ただ、安行手当は普通に出るので、大きな社会問題ともならなかった。
「企業戦士」
 などと言われて、本当に美徳だった時代である。
 ただ、
「過労死」
 などという問題もあってか、裁判問題などになると、企業もさすがに経営が危なくなることもあっただろう。
 ただ、しょせん、
「バブル経済」
 というくらいで、そんな経済は、いわゆる、
「実態がない」
 というものだ。
 その、化けの皮が剥げると、まずは、それまで神話のように言われていたはずの、
「銀行は絶対に潰れない」
 というものが、あっという間に破綻した。
 それにより、社会は、やっとバブル経済の終わりを知り、いよいよ、自分たちがやっていたことが、いかに危険なことだったのかということを思い知ったのだろう。
 後から考えれば、
「それは、当たり前のことではないか」
 と思うことであった。
 それなのに、
「どうして、こんな当たり前のことを誰も気付かなかったんだろうか?」
 と考えてしまう。
 経済学者の中には、感じていた人もいたかも知れないが、
「それを一介の学者でしかない自分が公然と口にして、果たして今の、常識というものを覆ることができるのか?」
 ということである。
 下手をすると、
「オオカミ少年」
 のように、
「あいつは、ほらを兵器で吹きまくっている」
 と言われ、下手をすれば、
「気ちがい扱いをされてしまうかも知れない」
 ということもあったのだ。
 そうなれば、本末転倒。
「どうせ、誰も信じてくれなくて、社会を動かすことができなければ、損をするのは、俺だけではないか」
 ということである。
 バブルがはじけてしまえば、誰もがその勢いに呑まれてしまう。
 だとすると、
「俺が必要以上に何かを言っても、結果、どうすることもできない」
 ということになるであろう。
 ということであった。
 結果、
「バブルがはじけることを、誰も止めることができないのであれば、自分が少しでも被害を少なくできるか?」
 という自己保身に走るしかないだろう。
 だか、この大きな経済の流れが一気に崩れてしまうと、どうなるか?
 そんなことを考えても、分かるはずはない。
 そうなると、今度は、
「余計なことを考えると、結局、自分がきついだけだ」
 ということになるのだろう。
 それを考えると、
「やはり、神様がいないと、俺はノアのようにはなれないんだな」
 と思うのだった。
 あれは、人間をつくった神が、
「自分の思っているような世界になっていない」
 ということで、世の中を浄化するという意味で、
「世の中を一度滅ぼす」
 ということで、リセットした後の最初の人間として選んだのがノアだったのだ。
 まわりの人間から、いかにバカにされようが、いずれ、神のいうように、大洪水が起こると、それまでバカにしていた人は、あっという間に水の中に消えてしまい、生き残れるわけはなかったのだ。
 何しろ、自然現象ではなく、
「神が起こした大洪水」
 なのだからである。
 それが、いわゆる、聖書の中にあった、
「ノアの箱舟」
 という話だったのだ。
 バブルがはじけるということは、その、
「ノアの箱舟」
 の中に出てくる、
「大洪水」
 のことであった。
 あっという間に飲まれてしまい、すべての生物は死滅するという大洪水である、
 ただ、すべての人間が死滅するというのは大げさで、庵とかここから生き残りをかけてどうすればいいかということが、
「遅ればせながらに考えられる」
 ということであった。
 そんな状態で、一つ考えられることとしては、
「正義と悪を逆転させる発想」
 というものであった。
 今まで、
「正しい」
 と言われていたことは、
「間違い」
 でって、
「間違い」
 と言われていたことが、
「正義だ」
 という考えだ、
 ただ、後者に関しては、吟味の必要があるが、前者は、ほぼ間違いないといってもいい、
 だから、考え方を180度変える必要があった。
 まずは、事業の縮小。
 そうなると、人員の削減、いわゆる、
「リストラ」
 というものだ。
 そうなると考えられるのが、
「経費節減」
 というものであった。
 人権時も経費に当たるわけであり、
「収益が得られえないのであれば、経費を抑えるしかない」
 というのが当たり前のことで、バブルの時期には、なかった発想である、
 なぜなら、
「事業を拡大すれば、その分、儲かる」
 ということだったからだ。
 事業縮小どころか、戦える戦士と、それだけたくさん養ったり、育てたりするか?
 ということであった。
 ただ、そうなると、考え方が、
「日本の今までの企業のありかたが、そもそも間違っているのではないか?」
 という考えにいたるのである。
 それまでの日本企業の考え方の一番というのは、まず、
「年功序列」
 というものだった。
 実力に関係なく、どれだけの年数、その会社にいるかということで、ある程度の年齢になると、自動に近い形で昇格していく。だから、年齢を聞いて、
「40ちょっとくらいです」
 と答えたとすると、もちろん、会社の規模にもよるのだろうが、
「係長か、課長クラスですね」
 ということが容易に想像つくということである。
 だから、もう一つの常識も成り立つわけで、それが、
「終身雇用」
 という考え方だ。
 最初に企業に入れば、
「定年まで勤め上げる」
 というのが当たり前のことであり、それだけに、最初の研修だけでなく、いくつになっても、
「社員教育」
 というおのを行うところが多かったのだ。
 それはいいことではないだろうか。
 ただ、終身雇用や、年功序列という考えが、
「バブル崩壊」
 とともに、崩れていくということは、誰の目にも明らかなことだった。
 要するに、
「アメリカ企業などのように、社員は、実力主義」
 ということである。
 だから、企業一つにしがみつくわけではなく、
「優秀な人材が、企業を選んだり、企業の中で、優秀な人材を他に求めて、引き抜きと行う」
 ということが当たり前のように起こっている。
 それまでの日本には考えられないことだ。
 何といっても、これは、昔の封建制度から尾を引いているのかも知れない。
 前述の、
「ご恩と奉公」
 つまり、
「会社から、雇ってもらって、安定して金が入る状態が、ご恩であり、そのために、会社に対しての企業戦士として、ずっと働いていくというのが、奉公ということになるのである」
 ということだ。
 そもそも、一つの大名から召し抱えられた参謀であったり、家老などが、実力主義ということで、他の大名のところに簡単にいくだろうか?
 いやいやそれはありえない。
 なぜなら、
「その大名の秘密を握っている」