満月と血液のパラレルワールド
その一番の例として思い出すのが、聖書における、
「ノアの箱舟」
というものではないだろうか?
聖書の中にある、数えきれないほどの物語の中には、
「人間の悪に対して、神様が切れられて、人類に災いを興すという話は、それが基本になっていると言わんばかりにたくさんあるではないか」
例えば、
「バベルの塔」
の話もそうである。
「神に近づこうとした国王が、罰当たりだということで、神は怒りを感じ、高く作られた塔を一瞬にして怖し、さらに、王としての権威が役に立たたないように、皆の言葉が通じないようにし、疑心暗鬼の状態で、人類が地球上の至るところに散っていった」
という話であった。
これも、一種の、人類の狂った秩序の破壊だといってもいいだろう。
もう一つ思い浮かぶのは、
「ソドムとゴモラ」
の話で、
「人間界では、無法地他愛となっているところがあるので、神が降臨されて、その街を滅ぼそうとした時、捕まっていた気の毒な家族を安全な場所まで導いて、街を破壊する」
ということにしたのだ。
その時、
「決して、後ろを振り向いてはいけない」
ということを、神はいうのだが、それを聞いておきながら、奥さんは、旦那が、
「振り向くな。やめろ」
というのを聞かずに臼路を振り向いたため、砂になってしまったという逸話があるのだった。
つまり、神が制裁を食わせる時、必ず、人間に、注意喚起をしているのに、それを守れない人間がいるということを必ず諭している。
そこに、何かの考えがあって、わざとそういう話にしているのではないかと思うのだった。
だが、
「ノアの箱舟」
の場合はそういうことはなかった。
ただ、他の二つの場合は、世界全体を動物も含めて、すべてを滅ぼす。
つまりは、
「世界をリセットする」
ということまではなかった。
しかし、
「ノアの箱舟」
という話に限って言えば、そういうことはないのだった。
家族も、それおれのつがいの動物も無事に、水が引いた地上に生きていることになるのだ。
あくまでも、この洪水の話を考えた時、
「ひょっとすると、自然現象として、その村が水没し、村全体が生き残れなかったという現象がどこかの村に起こったのかも知れない」
もっとも、その範囲が、一つの国単位だったのかも知れないが、地球規模から考えると、それくらいのことがあっても、ビックリしないというのは、今のこの異常気象の人間であれば、
「信じられない」
と思いながらも、科学は発展しているということから、異常気象のメカニズムがある程度分かってきているということもあって、さらには、
「聖書の教訓」
というものを読んでいることもあるからなのかも知れないが、
「ノアの箱舟」
であっても、今の時代の異常気象であっても、ビックリはしない。
もっといえば、
「感覚がマヒして、何があっても、驚きもしない」
と、実際に、肌で感じるものがあるだけに、
「信じたくない」
という心理が働くのではないだろうか?
それが、君主であったりすると、その人の一存で、すべての生物が迷惑を被ることになり、下手をすると、
「世界の滅亡」
という、本来なら、
「神の領域」
というところまで、人間が踏み込んでしまい、二度と戻れない世界が待ち受けているということにならないとも限らないだろう。
そう考えると、
「我々人類というのは、この地球上では、何代目の、君主といえる存在なのだろうか?」
と思えてきて、
「やはり、すべては、堂々巡りを繰り返し、そのたび、自分たちが、この世界の支配者なんだ」
ということを考え、種族の中で殺し合いを興しながら、破滅に向かって、
「堂々巡りを繰り返している世界が、今の世界なのだろう」
ということである。
つまりは、人間というものは、世界の支配者の何代目かであり、その中の歴史の中の一瞬を生きているのが、自分たちなんだ。
と考えると、
「なるほど、人間だけが、自分たちの損得勘定だけで、平気で殺し合えるんだ」
といえるだろう。
戦争など誰もしたくなくて、人を殺したりもしたいわけもない。
何といっても、
「俺は死にたくなんかないんだ」
ということであり、
「殺し合う」
ということで、その代償がどこに来るのかということは、分からない。
だから、
「神も仏もないものか」
ということで、この世に救いを求めるのではなく、来世の幸せを求めていく宗教にすがる気持ちになるというのも分からなくもない。
そんな人間に対して、搾取をしたり、騙したりするのも、また人間であり、
「人間が殺し合う」
ということが、果たして
「自然の摂理」
といえるのかどうかである。
ひょっとすると、
「神様が、人間の概算寿命」
というものを間違えたのかも知れない。
と思うと、本来もっと早く死ななければいけないのに生き残っていると、
「自然の摂理」
が崩れるということで、人間だけは、殺し合うように最初から仕組まれているのかも知れないと思うのは、あまりにも強引すぎるだろうか?
竹中は、そんな、今の時代の、
「パンドラの匣」
とでもいっていいのか、もう少しで、731部隊の研究員として、合流することになっていたのだが、実際に、
「大陸戦線で、人手が足らない」
ということで、急遽、そっちに回された。
だが、次第に、
「7361部隊」
というものが、いよいよ、その開発能力に限界も感じていたこともあって、竹中の、
「731部隊への復帰」
という案が具体的になり、配属が決まったのだった。
そこで、竹中の研究がいかなるものであるのか?
ということであるが、彼が大学で密かに研究していたのが、
「血液製剤の研究」
であった。
元々は、
「伝染病における血清」
であったり、
「血液から、不治の病と呼ばれているものを治すために、必要ば部分を取り出す」
という研究を、主に行っていた。
もちろん、
「731部隊」
が研究している、
「生物兵器」
であったり、
「化学兵器」
というようなものではない、別のものが研究されていたりするのだった。
だから、当時でいえば、戦争地域における伝染病などの、
「兵士が罹る病」
ということで、
「マラリア」
「コレラ」
さらには、
「脚気」
などの病気を、血液の部分から、研究しようということであった。
しかし、
「731部隊」
となると、完全に、
「兵器としての開発だった」
それを、上層部が考えているのが、
「血液内にある、遺伝子のようなものを使って、まるでドラキュラのような人間を作りだし、それを兵器として利用できないだろうか?」
ということだったのだ。
血液というと、確かに、輸血などによって、病気が治ったり、余計な病気が移ったりする。
といえるだろう。
そもそも、
「吸血鬼ドラキュラ」
という話も、
「血液内に、そういう遺伝子的なものが存在していて、それが、悪の道に入るとどうなるか?」
ということでの、架空の話として描いたもので、実際に、その当時に、
「血液を使った研究が行われていたのではないか?」
と考えられるのではないかということであった。
作品名:満月と血液のパラレルワールド 作家名:森本晃次