満月と血液のパラレルワールド
彼は、元々は学者だったというのだが、大学での研究半ば、学徒動員において、戦争に駆り出されたのだという、何とか、命からがら、帰ってきたのだが、彼が出征した場所というのは、最初は、満州国だった。
つまりは、関東軍であったが、部隊の多くは、南方への転戦させられたが、彼や、他のエリートは、中国戦線に駆り出されたのだった。
「南方だから大変で、中国大陸なら、まだマシだ」
というわけではない。
本来なら、彼は、満州に来た目的は、実は他にあったのだ。
確かに、軍人として、満蒙国境近くに、赴任していたこともあったが、そもそもの目的は違うところにあったのだ。
それは、満州国でも、奉天の次の大都市といってもいい、ハルビンに赴任するはずだったのだ。
というのは、
「関東軍防疫給水部本部」
つまりは、
「731部隊」
への編入だったのだ。
それだけ、彼の研究は、学会でも評価を受けていて、日本軍は、その頭脳を、
「戦争に使おう」
ということであった。
科学者といっても、一つの国に属していれば、愛国心というものがあるはずだ。
ドイツの科学者で、かつて、人口問題において、
「食糧不足によって。全世界の3分の1は死滅するのではないか?」
と言われていた食糧問題を、
「空気中の窒素からアンモニアを取り出す」
ということを実践した科学者で、名前を、
「フリッツ・ハーバー」
という人なのであるが、
彼はこの研究における、
「ハーバーボッシュ法」
という方法で、当時の食料問題を解決したのであった。
しかし、彼の人生はそれだけでは許さなかった。
当時のヨーロッパでは、帝国主義や民族主義が蠢いていて、同盟によって、平和の均衡を保とうとしていたが、実際には、一触即発の一つの導火線に火がついたことで、一気に、ヨーロッパ全土を巻き込む、
「第一次世界大戦」
というものが勃発した。
そこでは、ドイツ帝国も、ハンガリー=オーストリア帝国、オスマントルコ帝国と手を結び、イギリス、フランス、ロシアとの闘いとなったのだ。
そこでは、
「塹壕戦」
という穴を掘って進軍するというやり方だったが、そこで、その時代にはいろいろな新兵器が開発されたのだが、ハーバーは、その膠着状態の打開のため、禁断である、
「パンドラの匣」
を開けてしまったのだ。
それが、マスタードガスと代表とする、
「毒ガス開発」
だったのだ。
彼とすれば、
「いざ戦争となれば、自分は、国家の一員として、母国の勝利のため、努力をする」
という、愛国心の塊だったのだ。
一方では、数千万という人を救い、片方では、毒ガスによって、たくさんの兵士の命を奪うというわけである。
しかし、大量虐殺かも知れないが、
「早く戦争を終わらせる」
という意味で、彼は開発したのだろう。
彼の考えを否定することはできない。
確かに、毒ガスというのは、その後になって、後遺症が出てしまったりして、戦争の後まで引きづるという意味では、
「核兵器などの、放射能による二次災害と同じではないか?」
ということになるのだ。
それを考えると、実に恐ろしい。
特に、
「大量殺りく兵器」
というものは、核兵器、化学兵器に限らず、前述のナパームのように、
「いったん火がつくと、水では消えない」
というものが、
「国際法で、禁止兵器」
ということになるのも分かるというもので、戦争にあれば、新兵器が開発されていくが、その都度、
「一度使用されれば、危険ということで、すぐに禁止兵器となる」
というようなことを、人間は、毎回繰り返していると思うと、
「それらを使用する」
あるいは、
「そういう兵器を使用する戦争そのものが、改めて、どれほどひどいものなのか?」
ということが、分かるというものである。
要するに、
「戦争」
という行為は、
「いたちごっこ」
といえるのではないだろうか?
ある形の戦争が起これば、今度は、それに対しての対抗策が練られ、さらに、大量殺戮の兵器が生まれるということになる。
しかし、今の時代は、戦争も新たな局面に入ったともいえるのではないか。
なぜなら、
「核兵器の登場で、戦争は不可能になった」
と言っていた人がいた。
つまり、
「相手を完全に粉砕するだけの力を持っているわけで、それをお互いの国が持っていれば、それこそ、二匹のサソリだ」
ということになるのだ。
二匹のサソリを檻の中に入れておくと、お互いに相手を殺すことができるが、こちらも殺されるということである。
つまり、
「核ミサイルの応酬で、相手国の首都は壊滅し、国家機能は失われるが、撃った国も同じで、それこそ空中で、すれ違った核ミサイルがほぼ同時くらいに、相手国と自国を粉砕することになる」
というわけである。
しかし、今は、それが分かっているので、核兵器を使わないような戦争が起こっている。問題あどこまで政府小脳が我慢できるかということであろう。
だから、
「21世紀の戦争は、ゲリラ戦だ」
と言われていたがそうなのだろう。
ひょっとすると、科学が発達して、世界を粉砕しないような兵器が、それこそ、人間だけを殺戮するような中性子爆弾のようなものが使われるようになると、
「生き残るのは、ロボットのようなものだけになるか」
あるいは、
「戦争だけが、時代を一気に遡り、石斧であったり、矢尻のようなもので、戦闘をしていた、原始時代のようなものが、未来の戦争の姿ではないか?」
と言われるような時代がくるのではないかと思えるのであった。
そんなことを考えていると、
「いたちごっこ」
というものの末路は、
「始まった時に戻っているのかも知れない」
と感じたが、その間に、果たして、
「絶滅戦争」
というものがあるのかどうか。それを考えると、石斧であったり、矢尻を使っての戦争をしている人類は、
「本当に自分たちの子孫なのだろうか?」
ということを考えてしまうのであった。
ひょっとすると、新しく生まれた人類であり、彼らからみれば、
「かつて、この地球を滅ぼすような人類という愚かな動物がいて、我々の地球を一度は滅ぼしたが、我々の出現で、地球が持ち直した」
といって、次の世代に教育をしているかも知れない。
それは、人間が、
「そのまま戦争をすることもなく、平和でいられれば持っているはずの能力」
と、それとは別に、
「戦争をして一度は滅びたことで新たな未来のためお教訓として、自分たちは意識しておらず新たな才能だと思っているが、実は、人類が、生まれた頃から受け継いできた遺伝子のようなものによって、その遺伝子の不変の部分というものが、結びついたのが、今の新人類ではないだろうか?」
というところまで解明されている。
これはあくまでも、未来のことを、勝手に想像して妄想に近い形で見ているものであるが、人類の歴史において、このような
「繰り返される歴史」
というものを、リセットするような形のものが、かつての、
「歴史書」
のようなものに、たくさん残っていて、それを、
「未来の人類に対しての警鐘」
ということを鳴らしているのではないだろうか?
作品名:満月と血液のパラレルワールド 作家名:森本晃次