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満月と血液のパラレルワールド

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 どこが道なのか分からないような状態であったり、闇一夜、市場といっても、屋根があるわけでもなく、本当にひどいものである。
 交通機関もまだまだひどい状態であり、都市というのは、あまりにも、機能が低下した状態だったといえるだろう。
「これをカオスと言わず、何というか」
 と言えただろう。
 だから、都会の人は、田舎の農村に家にあるものを持って、
「物々交換」
 によって。食料を分けてもらおうとするのだ。
 そんな人が溢れているので、電車に乗っても、手すりを必死につかんで、振り落とされないようにしているというのが、その時の状況であった。
 何とか田舎まで行っても、農家は、簡単には応じてくれない。
 中には、
「そんな都会からの人が多すぎて、うちの蔵もいっぱいだ」
 といって、ほとんど分けてくれない状態だったのだ。
 日本の歴史上、農家や百姓は、絶えず、虐げられ、搾取されてきた歴史を繰り返した中で、
「唯一の優越を感じられた時代だ」
 といってもいいだろう。
 米軍の爆撃は、都市部に集中し、農地に対しては、そんなに爆撃を加えるようなことはなかった、
 アメリカ軍としても、爆撃によって、戦果を挙げ、そして、早く戦争終結させることを考えていたので、
「まずは、都市部」
 というのは当たり前のことであった。
 そんな大空襲で、焦土となった都市部は、食料がなく、
「闇市を使わないと、生きていけない」
 状態だった。
 もちろん、政府は、
「闇市から買うな」
 ということを推奨するのだろうが、中にはそれを忠実に守って、結果、
「栄養失調で、この世を去る」
 ということが起こったのも事実だった。
 戦争中であれば、
「生きて虜囚の辱めを受けず」
 ということで、
「敵の捕虜になるくらいであれば、自決をする」
 ということで、玉砕した土地などでは、寄ってきた敵兵を引き付けておいて、手榴弾を爆発させ、
「敵兵もろとも、自決をする」
 ということが横行していた。
 これは、
「捕虜になってしまえば、敵兵から、拷問を受けたり、暴行される」
 ということを民衆に思い込ませていたことからきたことであろう。
 実際に、日本兵が捕虜にそんなことをしていたのかどうか分からない。
 それに、戦争状態であれば、必ずといってあちこちで起こる、
「虐殺やあ虐待」
 というものg起こることから、この命令は、無理もないことだったかも知れない。
 それを、
「戦陣訓」
 というのだが、本来は、
「敗戦が近いと、全員で玉砕をしろ」
 ということではなかったはずなのだが、日本人の民族性から、あるいは、マスゴミによって植え付けられた、
「鬼畜米英」
 という言葉からの連想だったのではないだろうか?
 特に日本人は、昔から、
「追い詰められると、自害する」
 という、武士道のようなものがあることと渦びついたのだろう。
 だから、今でも、外人には理解できないことで、日本といえば、
「カミカゼ」
「ハラキリ」
 という言葉が、
「日本人の代名詞」
 ということになっているのだろう。
 そんな日本も敗戦を下に、少しずつ認識も変わっていった。都会の混乱は仕方がないところもあったが、農村では、とりあえず、食料には困らない。
 自給自足というのが、最初からできているからだ。
 逆に、農作物は、高価で売れたりしたのではないだろうか?
 そうなると、余裕が出てきたりするのは、田舎の方ではないだろうか。
 そんな田舎の村に、ちょうど、山に囲まれた。盆地のようなところがあった。
 そこは、人口としても、数百人くらいしかおらず、一軒一軒が、大家族のようになっていることから、
「人口の割には、世帯数は少ない」
 といえるのだ。
 そして、きっと先祖は一つだったのかも知れないが、
「苗字が同じ人が、家族ではないのに多い」
 というのが、まさに、田舎の特徴といってもいいだろう。
 そんな田舎町では、戦争被害はなかったが、人材不足というのが、正直問題だった。
 若い働き盛りの人たちは、皆徴兵を受け、ほとんどの人が、南方や満州で、
「帰らぬ人」
 となってしまっていたのだ。
「学生や、職業軍人は、ある程度の軍の配慮もあっただろう。だから、一番危ない激戦地には、戦時ということで、臨時に徴収された連中が、まるで捨て駒であるかのように、切り捨てられる」
 ということになるのだった。
 そのため、死亡率は高かっただろう。
 ただ、それも、次第に、関係が亡くなってくる。
 どんどん追い詰められ、結局、軍人も民間人も関係なく。最後は一人として生き残らないと言われる、
「恒例の玉砕」
 が行われるのだ。
 ただ、農村からの出身者は、さすがにすぐに戦死というのが多かったのは否めなく。農村では、残ったのは、
「女子供と、老人ばかり」
 ということになってしまった。
 このような状態であったが、
「復員してみれば、家族は全員死んでいた」
 という人、
 さらには、必死になって復員してみれば。故郷は、焼け野原になり、
「生きる希望を失った」
 という人もいるだろう。
 それでも生きるために、かっぱらいなどをやって何とか生き残った人もいる。彼らは家族もおらず、頼るところもなく、食料を求めて、田舎にいく。
 その時、農村の方では、
「この男は、農作業を行う担い手として、使えるのではないか?」
 と考え、
「至れり尽くせり」
 のもてなしで、相手も、その親切心から、生きる望みを復活させていれば、
「ここで利害が一致する」
 ということもあるだろう。
 つまりは、
「農村とすれば、若い労働力を得ることができる」
 ということであり。
「若い連中からすれば、生きる望みを復活させられ、食料にも困らない」
 ということであった。
 それよりも、お互いに、
「亡くなった家族を彷彿させる」
 ということで、
「まるで、死んだ家族が帰ってきてくれた」
 というような気持ちにさせてくれるのが、実にありがたいということであろう。
 そんな新しい家族の誕生は、荒廃した日本においての、
「明るい未来を予見させる」
 という、最初は、かすかな光だったのかも知れない。
 それでも、日本は、その後復活することになるのだが、もちろん、そこには、朝鮮戦争における。
「戦争特需」
 というのもあったのかも知れないが、そもそもの日本人が、個々に頑張って生きてきたことが一番であろう。
 そんな日本の片田舎にある村で起こったことは、
「果たして、どのようなものであったのか?」
 というのが、一種の伝説として残ることになるのだが、
「正直、どこまでが本当なのか?」
 ということになるのだが、それも、当然のことであったと言ってもいいだろう。
「何が起こっても不思議のない」
 というカオスな時代ということと、
「昔から、田舎の村などでは、いろいろな言い伝えが残っている」
 ということを考えると、
「都市伝説と、昔の伝説の融合から、あることないこと、言われるのも、一つの現象であることに変わりない」
 と言われるようになったのだった。
 だが、当時の日本としては、さすがに、
「田舎の村が一番被害もなく、生き生きしているかの知れない」