満月と血液のパラレルワールド
を呑むしかなく、アメリカを中心とした連合国側による、
「占領軍による統治」
が行われることになったのだ。
この時代は、天皇が、国家元首として君臨していた、いわゆる、
「立憲君主」
といわれた、
「大日本帝国」
という時代だったのだ。
この時代においては、日本が当時の植民地世界に挑戦し、欧米列強に対して、東アジアを開放し、さらに、東アジアに共栄圏を作ろうということで、その時の戦争を、閣議にて、
「大東亜戦争」
としたのだった。
しかし、これは、戦勝国としては、ありがたくない命名ということで、日本が、占領下にある間は、この名前を使わないようにしていた。
だから、
「太平洋戦争」
などという名前でごまかしていたわけだが、日本が講和条約を結んだ時点で、独立国として、統治されなくなったわけなので、
「大東亜戦争」
という言葉を使ってもいいはずなのに、敢えて、
「太平洋戦争」
のままでいいということになった。
これは、日本が、かつての、
「軍事国家」
から、民主主義の、日本国というものができたということを、
「外国に占めそう」
というものなのか、それとも、
「平和国家」
を教え込むことで、日本という国が戦争に走らないようにしようということなのかということであるが、
だとすれば、
「日本という国がかつて、どのような国だったのか?」
ということを、キチンと子供にも教育し、語り継いでいくのが本当なのではないだろうか>
このままでは、
「日本国のために、やむなく戦争に突入し、その責任を押し付けられて、処刑という犠牲を甘んじて受けた人たちが、気の毒ではないだろうか?」
結果的には、日本を敗戦国に導き、国土を焦土と化してしまったのだから、その責任はないとはいえない。
しかし、彼らが処刑されるのであれば、なぜ、直接日本を攻撃した人たちは裁かれないのか?
それこそ、
「勝てば官軍」
という、あくまでも、
「勝者の理論」
ということになってしまうのではないだろうか?
日本に責任がないとは言わないが、戦争というのは、相手があるというもの。そうであれば、すべてを敗者の責任に押し付けてしまうというのは、いかがなものか?
しかし、この考えは昔からある。
戦国試合など、戦が行われて、敗れた主君は、自らで、城に火を放ったりして、そこで自害をしたものだった。
ただ、この場合は、
「相手に、首級を取られないようにする」
という理由があったからだ、
戦勝国においての論功行賞というものに、相手部署の、首級による、首実検が行われたというのは、当たり前の話ではないだろうか?」
そういう意味で、処刑は致し方のないことだったのかも知れないが、そろそろ、彼らの、
「汚名挽回」
というのがあってもいいのではないだろうか?
今の時代では、彼らを戦犯のままにして、靖国神社参拝を、アジア諸国に配慮してか、タブーのように取り扱っている。今の日本は、昔の気概はなく、まったくの
「腑抜け刻」
になってしまった。
今の政府と、かつての政府に、その責任がないわけはないだろう。
どちらにしても、日本は、自給自足を求めて踏み切った戦争であるが、結果としては敗北した。
そもそも、この戦争は、勝ち目のないものだということは、最初から分かっていたのだ。
世間では、
「最初から勝てるわけなどない戦争に、なぜ踏み切ったのか?」
と言って。当塩政府を非難する人もいるだろうが、それは、
「歴史を知らない」
ということからの、認識不足以外の何者でもない。
それを民主主義だというのであれば、この民主主義は、
「日本国民を盲目にする」
というだけのものでしかないということだ。
本当に戦争のない社会を作ろうというのであれば、
「過去に起こったことを、甘んじて受け入れる」
という教育を施さなければいけないのではないだろうか?
それが、本当の民主主義であり、
「自由。平等」
の観点からの教育といえるのではないだろうか?
大東亜戦争においては、そもそもの始まりとして、
「巻き込まれた」
という説があり、それが近年、有力な史実ということになってきているのだった。
引き釣り混まれる形になった戦争において、日本は、いろいろなシミュレーションを組みたてて、
「戦争をいかに進めていくか?」
ということを、天皇を中心とした、軍部によって計画が進んでいた。
すると、結果として、
「最初の半年や一年の間に、作戦をことごとく成功させ、ある程度まで有利に進められた時点で、講和に持ち込み、日本にとって、一番有利な条件で、若いする」
ということであった。
相手国の首都、つまりは、ワシントンやロンドン、アムステルダムに攻めこんで、そこを占領するなどということができるわけはなかった。
だから、日本としては、
「いかに、勝つか?」
ということでなく、
「いかに負けない戦争をするか?」
ということが、問題だったのだ。
それが、日露戦争ではうまく行った。
当時の日本には、あれ以上の戦線拡大は無理だったのだ。
ロシア革命が起こってくれたおかげで、戦勝国としての、講和条約が結ばれたのは、ありがたいことだったのだ。
しかし、実際に、日本がその後、満州事変の後、中国に進出し、不幸にも、
「盧溝橋事件」
において、軍事衝突が起こったことから、中国側を刺激し、中国側の挑発に乗ってしまったことで、日本は、中国との、
「全面戦争」
の様相を呈してきた。いわゆる、
「シナ事変」
であった。
シナ事変において、日本は、中国に対して、優位に戦闘を進めてきたが、その途中で、ドイツのトラウトマンによっての、和平工作が進行していて、
「和平交渉」
という場面もあったのだ。
実際には、相手国の蒋介石も、
「この条件なら、飲むことができる」
ということで、一度は和平が成立するかと思われたところへ、日本がさらに、戦闘上、有利になったことで、条件をさらに突き付けてきたということで、蒋介石も一度は和平に傾いた心が、徹底抗戦へと、180度転換してしまい、せっかくの和平のチャンスが失われたのだった。
だから、日本は、あくまでも、戦争を継続するしかなく、泥沼の戦争へと突き進んだのだ。
そんな状態で、今度は、英米蘭との、
「大東亜戦争」
に突入してからの計画は、おそろしいほどうまく行っていたのだ。
しかし、逆に、日本は勝ちすぎた。
もしあのまま、講和条約を申し入れて、戦争を終わらせていればどうなっただろう?
いくら、日本国としては、最高の状態で終わらせることができたとしても、それを果たして、世間が許すだろうか?
少なくとも、戦争目的というのは、
「東アジアを、植民地としている、欧米列強からの開放」
というのが、その目的だったはずだ。
それなのに、
「勝っている段階で、なぜ、当初の目的を果たしてもいないのに、和平交渉をしなければならないのか?」
ということになってしまうだろう。
そもそも、情報操作などを行って、突き進んだ戦争だったのだ。それが、今度は、災いし、
「戦争を辞めることができない」
作品名:満月と血液のパラレルワールド 作家名:森本晃次