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満月と血液のパラレルワールド

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 ただ、これらの発想は、1950年代。つまり、二人の博士がこの村に来た時の、さらに後になって考えられたことだった。
 しかも、それを考えたのが、SF小説家ということで、話題になったものである。
 ただ、その内容には、
「優先順位」
 という問題が潜んでいることと、それとは別に、実際にロボットを操作する人工知能に対して、
「無限の可能性」
 をいかに、克服するか?
 といわれる、
「フレーム問題」
 というものが絡んでくることから、実際には、
「人工知能で判断して動く、本来のロボットと言われるものは、いまだに開発されるところまで行っていない」
 というのが現実だった。
 先ほどの、ロボット工学における、いわゆる
「三原則」
 というものは、いまだに、開発されているわけではない。
 ただ、この発想に関しては、アメリカのSF作家が考えるよりも先に、この二人の科学者である。
「竹中博士」
 と、
「湯川博士」
 は分かっていた。
 しかも、お互いに相談したわけではないところで、偶然に、同時期に二人は気づいたのだ。
 だからこそ、二人は、お互いに、その発想を自分の中だけで解釈しようとするので、お互いに反発しあっていたのだ。
「相手が考えていることは、自分の発想を覆すものだ」
 という発想であった。
 なぜなら、二人とも、
「自分が考えた発想には、必ず、反発する発想があり、その発想をも凌駕することができなければ、ロボット開発における、この三原則を満たすことはできないのだ」
 という考えであった。
 それをお互いにそれぞれが思っていて、しかも、それそれ反対のことを考えているので、反発するのも当たり前だ。
 しかし、お互いに自分の考えを、お互いの博士はもちろん、他の人に話をしたりはしていない。
 もっとも、他の人に話をしたとしても、それを誰が分かるというのか、自分の考えをわかるとすれば、それぞれに、
「相手の博士しかいないに違いない」
 と考えていたのだった。
 それが分かったのは、竹中博士が、相手を見て。
「オオカミ男」
 を考えている。
 そして、湯川博士から見て、
「吸血鬼ドラキュラ」
 の発想をしている。
 ということが分かったからだ。
 それが分かったことで、本来なら、お互いに情報交換をすべきなのだろうが、どうしても、それを時代が許さなかった。
 世界大戦という世界のすべてが戦争に巻き込まれ、誰もが感覚がマヒしてしまっているので、そんな状態で、
「誰が、相手を簡単に信じられるというのか?」
 ということが、問題だったのだ。
 ただ、それでも、それぞれに研究を続ける二人は、その過程に間違いはなく、それぞれ、
「研究を裏付けるだけの研究結果は、十分に持っている」
 と考えていたのだった。

                 大団円

 そんな二人は、
「そのうちに少し歩み寄るこおも大切ではないか?」
 と考えるようになった。
 というのも、
「自分たちが、吸血鬼ドラキュラであったり、オオカミ男という発想をしているだけではなく、今度は、フランケンシュタインの発想も組み込まなければ、自分たちだけでそれぞれの研究をしていてもうまくいかない」
 ということであった。
 そもそも、自分たちが、研究を行っているのは、
「戦争に勝つための兵器開発」
 ということだったはずだ。
 だから、本来なら、敗戦の時点で、もう、こんな開発など必要はないはずだ。
 もし、必要だったとしても、それは、
「アメリカを中心とした、民主主義」
 のためということになるのだろうが、
「アメリカというところは、自分中心でないと気が済まない」
 といえるだろう。
 ただ、その考えは、今まで自分たちが与してきた、
「大日本帝国」
 にも言えることだろう。
「大東亜共栄圏」
 の建設ということであるが、
 実際に建国したとしても、その中心にいるのは日本であり、日本が、
「アジアの盟主」
 でなければ意味がないということである。
 それは、戦争を行う大義名分の裏に隠されたものであり、代理戦争など、その最たる例ではないだろうか?
 日本においては、完膚なきまでに国土を焦土にされ、その後も、
「アメリカの属国」
 というべき、弱腰政府が、この国の中心にいるのだから、かつての大日本帝国にて、
「国を愁いて死んでいった人たちが、どのような気持ちでいるかということを考えると、やり切れない思いになるだろう」
 だから、無条件降伏をしても、まだまだ、再軍備を考えたり、大日本帝国の復興を考える人からすれば、
「死んでいった連中に、申し訳が立たない」
 という気持ちだったに違いない。
 しかし、時代はそれを許すわけではなく、
「今の国家が、いかに腑抜けであっても、敗戦国である以上、どうすることもできない」
 ということであった。
 しかも、かつての、軍部が中心で、さらに財閥が戦争を引き起こした原因ということで、それぞれに解体させられたが、それも、
「無理もないことだ」
 というのも、当然のことであった。
 二人の科学者は、それでも
「自分たちは研究を続けることは正しい」
 と思っていた。
 それは、あくまでも、
「軍国主義の復活」
 ということではない。
 どちらかというと、
「医学の発展」
 というものを考えていたのだ。
 だが、そもそも、核兵器というものが、
「本当はエネルギー改革」
 という、平和利用に使われるはずだったものが、いつの間にか、
「国防」
 としての、
「核抑止力だ」
 ということで考えられるようになると、二人もそれぞれに考えが次第に変わってくるのだった。
「湯川博士」
 の場合は、あくまでも、
「核抑止力」
 というものと近い考えであった。
「オオカミ男」
 というのは、普段は普通の人間であるが、
「満月の夜になると、顔も身体も変わってしまう」
 というものである。
 だから、自然と変わる染色体が二つあって、その時々で、臨機応変に相手を倒すまで戦うというオオカミに変身するというものだった。
 しかし、竹中博士の、
「吸血鬼」
 という発想は、話としては、まるで伝染病のようで恐ろしい発想であるが、実は、伝染病ではなく、
「お互いに抗体を作ることで、他の伝染病から自分たちを守るという、防衛本能が、身体に身につく」
 という考えであった。
 だから、血を吸われることで、吸血鬼になるのだが、その時に、
「どんな病気に対しても、抗体を作る」
 ということで、まるで、
「不老不死」
 の身体を作るという理想に燃えていたのだ。
 しかし、不老不死というのはm理想ではあるが、それが、
「人間にとって、本当にいいことなのか?」
 と考えられるということが、一番の問題だった。
 オオカミ男の場合は、そんな
「永遠の命」
 を求めているわけではない。
「肉体が滅べば、別の肉体に魂を入れることで、人間の精神だけが、永遠に生き続ける」
  という、
「不老不死」
 という意味では似ているが、身体に関しての執着が違うのだった。
 実際に、
「どちらの博士が、正しいのか?」
 ということが分かるわけではない。