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満月と血液のパラレルワールド

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 昔から言われていることとして、
「犯罪が起こるのは、満月が多い」
 とも言われているが、普通なら逆ではないだろうか?
 満月は、新月と違って、明らかに明るいのだ。足元から影も伸びているし、何かの犯行を犯したとすれば、一番発覚しやすいということになるはずなのに、そうではなく、
「一番犯罪が起こる確率が高い」
 ということになるのだ。
 それを思えば、一体どういうことになるというのか?
 考えれば実に難しいことである。
「月と、人間」
 あるいは、
「月と地球」
 という関係は、
「太陽」
 のそれとは、かなり違っているものではないかということであろう。
 そんな中で、
「月」
 に関係のある
「エピソード」
 として、一つ考えられるのが、
「オオカミ男」
 の話であった、
 前述の、
「ドラキュラ伯爵」
 の話としては、血液という意味での繋がりがあった。
 ドラキュラというのは、吸血鬼であり、血を吸われた人間は、、吸血と化すということであった。
 この話の元になっているのは、
「蚊」
 というものえはないだろうか?
 蚊は、刺されると、人間の血を吸う。そして、吸われた血の代わりに、蚊が持っている毒素を、相手の身体に注入するという。
 だから、痒いと感じるのであり、その蚊によって、伝染する深刻な病気が多いということである。
「マラリア」
 であったり、昔存在していた、
「日本脳炎」
 なども、蚊が媒体になっているということを聞かされたというものである。
 そんな蚊というのは、いろいろなところで、
「人間にとって、兵器として利用される」
 ということが、未来である今の世界では言われている。
 もちろん、
「731部隊が存在した」
 というこの時代においては、
「生物兵器」
 として、研究されていたに違いない。
 さらに、もっといえば、今の時代では、
「ステルス」
 というものに使われている。
「ある一定の年齢の人間には聞こえない」
 ということで、研究されている、
「モスキート音」
 というのは、蚊の飛ぶ音のことである。
 実際、
「レーダーに引っかからない」
 と言われる、
「ステルス機能」
 に応用されているということから、
「蚊というものには、まだまだ、人間が利用するに値するものが潜んでいるのかも知れない」
 ということで研究している人も多いのだ。
 何と言っても、
「血を吸う」
 ということが、
「いかに人間というものを惑わせるようになるのか?」
 ということが分かっているのか、
「吸血鬼ドラキュラ」
 というものが書かれた時代には、もうすでに、蚊の毒というものが、人間に及ぼす害というものの存在を証明していたのではないかと思うと、
「実に、蚊と人間のかかわりというものが、神秘的なものだったのか?」
 ということが分かるというものである。
「蚊と人間のかかわり」
 それは、言わずと知れた、
「血液の問題」
 であり、それがさらに。月というものを想像させると考えると、やはり、
「月というものは、人間にとって、神秘的なものだ」
 といえるものなのかも知れない。
 そんな月の話において、
「オオカミ男」
 というのが、なぜ出てきたのか?
 昔から、
「オオカミのような人間」
 という発想はあった。
 中には、
「オオカミに育てられた人間の子供」
 などという発想の話があったのを何となく覚えているが、そのシチュエーションがどういうものだったのかというと、正直ピンと来なかったりする。
 オオカミ男」
 などの話がどこから起こったのか?
 というのも。難しいところである。
 確かに、
「オオカミという動物は、月に吠える」
 というイメージがあるが、そこから来ているのか、それとも、オオカミ男のような伝説が起きる時というのが、
「満月の時に多い」
 ということなのだろうか?
 そのどちらも、完全な信憑性はないまでも、
「まったく火のないところに出てきた煙」
 というわけでもないようだった。
 ただ、
「人狼」
 であったり、
「半狼半人」
 であったり、さらには、
「オオカミに憑依する」
 というような話が取りざたされているのだが、
「オオカミ男」
 の話ということになると、最後の、
「オオカミに憑依する」
 というものであろうか。
 満月の夜になると、人間が苦しみだして。オオカミの顔や身体に変身するというのは、ある意味、
「吸血鬼ドラキュラ」
 と、似ているところがあるのかも知れない。
 特に、吸血鬼に血を吸われた人間は、そのまま死ぬのではなく、吸血鬼になってしまうということで、こちらも、考えていれば、
「人間の姿だったものが、血を吸われたことで、吸血鬼に変身する」
 ということだ。
 どちらにしても、
「変身ものである」
 ということには変わりはないのだ。
 この発想は、元々、アメリカで、ちょうど、大東亜戦争下の頃に、公開された映画で、
「満月の夜にオオカミ男に変身し、自分の意思に関係なく。殺人を犯していく」
 というような話だということである。
 今から。80年近く前にあった話であるが、当時は、ドラキュラや、フランケンシュタインなどの話と一緒に、
「ホラー映画の傑作」
 と言われていたようだ。
 何となく。ドラキュラの話と似たところもあり、そのあたりは興味深いということになるのだが、話としては、
「ホラー、オカルト、ゴシック系の話は、結構昔からあったのだ」
 と思うと。そこに、
「心理学的な話」
 というのが関わってくると、今の時代であれば、精神疾患などの問題に密接にかかわってくるものもあるのではないだろうか?
 そんなオオカミ男という発想は、湯川博士を夢中にさせた。
 竹中博士が、
「吸血鬼ドラキュラ」
 というものの中に、
「不老不死」
 というものを見出し、
「それが人間ではなく、サイボーグとして使えるようになれば」
 という発想を抱いたことに対して、この湯川博士は、
「オオカミ男」
 という発想に、自分が作り上げる薬品を使って、
「ロボットのような肉体を持てる」
 という発想を持つことで、今度は、
「その力というものが、月によるものであり、さらには、血液を使うことが必要だ」
 というところまで気づいたのだ。
 湯川博士の開発していたことは、それから20年近く経った時に、アメリカのSF作家によって、提唱されるようになったのだが、それ以前から、ロボット開発において、その人工知能であったり、電子頭脳と呼ばれるものの開発に何が引っかかってくるのかということを、この湯川博士は、分かっていた。
 その一つとして、問題になるのが、
「フレーム問題」
 であった。
 湯川博士は、科学者であり、SF作家ではない。
 しかも、まだ当時は、ロボット工学という考え方は、正直表には出ていなかった。
 というのは、
「表に出ていないだけで、考えられることではあった」
 というだけ、日本における、科学というものは、世界水準を超えていたといってもいいかも知れない。
 悲しいかな、それを戦争に使用しようとする目的が明らかであったことで、
「自由場発想」
 というものが許されなかった。