満月と血液のパラレルワールド
「国際的には、最初から存在しない」
といってもいい満州国なので、
「満州国は、日本と同じ扱い」
ということになり、そちらをソ連が統治したことで、日本兵が、
「シベリアで、強制労働させられる」
という悲劇も起こったりした。
そこから、事前に脱失し、ほとぼりが冷めてから、この村にやってきた竹中は、自分の研究した、
「血液の成果」
というものを、さらに研究するため、しばらくおとなしく、この村で、潜んでいることにしたのだった。
オオカミ男
前述の、
「731部隊」
にいた、
「もう一人の科学者」
ということで、名前を、湯川という。
彼も、別の研究を、竹中とは隔絶されたところで行っていた。
科学者というのは、それぞれ、別の研究をしている人を、そばに置きたくないという考えがあるようで、二人とも、
「同じ部隊に、それぞれ極秘に研究をしている人がいる」
ということは分かっていたが、一緒にはなりたくないと思っていたのだ。
研究の邪魔になるということでも、まさかではあるが、
「研究が盗まれる」
ということに対しての危惧もあっただろう。
しかし、どちらも、
「自分であれば、相手の研究を盗むようなことはしない」
と思っていた。
そんなことをして、自分が研究成果を発表したとしても、それは自分の成果ではないということは分かり切っているのだ。
「それだったら、営業のような、口八丁手八丁と同じではないか?」
と思っていたのだ。
「人が開発下ものを売ることで、自分の成果にする」
という営業的なやり方が、二人とも大嫌いだったのだ。
「あくまでも、発明家というのは、そのすべてが、自分の手で、開発されなければならない」
ということを考えていて、開発後、国家に徴収され、いかに営業にかけられようとも、
「開発は自分たちがしたんだ」
ということさえ証明されていれば、文句があるわけではない。
というのも、一つのことを開発したというところで、とどまっているような性格ではない。
「一つのことができれば、次に向かう」
という意思が強くなる。
つまり、
「開発がうまく行った時が一番の有頂天であり、今なら何でもできそうだ」
という自分への自信が溢れているので、
「一番やる気が漲っている時なのだ」
ということになるだろう。
だからこそ、
「開発したものを、いかに国家が扱おうとも、それはすでに、過去のことになるのだ」
ということであった。
そういう意味では、前述の竹中も、今回のお話である湯川という人物も、基本的なところで同じなのだ。
磁石においても、
「同じ極であれば、反発し合う」
というではないか。
同じ性質や、特性を持っているのは、それだけ、個性が強く、反発がハンパないといえるのではないだろうか。
「湯川博士と竹中博士」
同じ目的をもって研究をしていたのだが、決して、二人を一緒にしようとは、関東軍は考えていなかtった。
前述のように、
「反発し合う」
というのも、その理由なのだが、それだけではない。
二人をまったく一緒にしないというのは、それぞれの最初が同じところから来ているということであった。
それぞれへの課題は、それぞれに話をしている。
しかもその時に、
「君以外にも、同じような発想にて、研究を任せている」
ということを敢えて言っていたのだ。
ここには、二つの理由があり、一つは、
「お互いに、けん制し合うことで、新しくできるものが、洗練されたものである」
ということを目指したからだ。
もう一つの考え方としては、
「一つのものだけではなく、二つを同時に研究させることができれば、一つがダメでも、もう一つを使うことができる」
という考えであった。
どちらも、
「二人を競わせる」
ということの典型的な理由というものであり、それによって、
「モチベーションを高める」
ということができ、出来上がったものが、
「さらに高みを目指せる」
ということであった。
高みを目指す」
というのは、
「上に限界がない」
ということであり。
「彼らのような科学者が、一般人と違うというのは、ここにある」
といえる。
一般人であれば、高みを目指すというと、まず、
「下を見てしまう」
といえるだろう。
下を見ると、ある程度、下が見えないところまできたことで、自分に自信が持てるのだが、今度は上を見ると、そこには、何もない空しか広がっていない。
だから、
「いくら目指しても、空の向こうには、何もない」
ということになる。
これは、堂々巡りを繰り返しているようで、
「やればやるほど疲れてくる」
ということになり、必ずどこかで挫折をすることになる。
それでも、
「あくまでも、目的は一つ」
ということであれば、継続できるのだが、そこで、いろいろ考えると継続は無理になるのだ。
しかし、これが、学者肌で、さらに、天才肌の人間であれば、
「上を見た時、一般人には見えない何かが見える」
という。
それが、目的物だということが分かるので、継続もできるし、その都度力も湧いてくるというものだ。
それが、ここで登場する、
「湯川博士」
であり、
「竹中博士」
ということになるのだろう。
しかも、二人が見えている光景というのは、それぞれ別なのだが、ただ。見ているものは、同じものなのであった。
それが何かというと、
「月」
というものであった。
月というものは、いろいろな現象や恩恵を、与えてくれる。
例えば、前述の、
「女性の月経」
と言われるものも、その一つである。
そして、
「海の潮の満ち引き」
というのも、月の引力によるものだというではないか?
また、
「超高速で、地球が自転する」
あるいは、
「海洋生物の多様性が失われる」
などという、
「もし、月がなくなったら」
ということで、言われていることもあると言われるのも事実であった。
これらは、
「一つの現象から、考えた、いろいろな可能性」
ということであり、その原点となるものが、
「潮の満ち引き」
というものである。
つまりは、
「潮の満ち引き」
というものが、月の引力によるものであるから、その引力がなくなるわけだから、地球を引き付ける月がなくなれば、地球はその抑えがなくなり、自転も高速になるというわけである。
そして、自転が早くなると、地表で嵐が起こり、それによって、潮の満ち引きがないのだから、干ばつというものがなくなる。
そうなると、プランクトンなどの海の生物の種類も、減るということになるのだ。
まるで、
「わらしべ長者」
のような発想であるが、
「一つの垣根や結界がなくなると、抑えが利かなくなる」
というのは、当たり前のことであろう。
そもそも、
「月というのは、人間を活性化させる」
と言われている。
それが、女性の月経に関係しているのだとすれば、何か理屈に合うことも出てくるだろう。
よく言われることとすれば、
「出産率が高い」
ということも言われている。
つまり、
「子供が生まれる日は、満月が多い」
ということだ。
作品名:満月と血液のパラレルワールド 作家名:森本晃次