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悪魔への不完全犯罪

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 という気持ちを持っているからなのか、がっつくようなことはしない。
 それが、坂下の考えであった。
 坂下に寄ってくる女性が、
「皆それぞれ別の日であって、バッティングするということがない」
 ということに、坂下は気づいていたのだろうが?
 もし気づいているとすれば坂下には、それなりの考えがあるはずだろうが、別に普段と変わらない。
 しかし、普通なら、
「おかしい」
 と思うのだろうが、それを思わないということは、それだけ、身体重ねる女性に対して、嫌悪感を感じているということだろう。
 そもそも、身体を重ねる女性を選ぶのはこっちの方で、
「抱きたい」
 と思っている女性をいつも、選んで風俗に行くのが楽しみだと思っているので、却って、素人はあまり気分のいいものではなかった。
 確かに、金を貰うまでは、
「へいこら」
 という感じで、従順に見えるが、何と言っても、男が、
「賢者モード」
 なっている時に、冷められると、男の方としても、たまったものではない。
 いや、
「逆に、賢者モードの時に、べったりくっつかれる方が嫌だという男性もいるが、その気持ちも分かる気がする」
 と、坂下は感じるのだった。
 ただ、
「最近、女性に誘われることが多いな」
 とは思ってはいた。
 しかし、嫌な気分ではなかったのは、前述のような理由からであるが、それは、坂下の、元々の性格ではないだろうか。
 そんなことを考えていると、坂下が、誘ってくる女性に、
「何かパターンがある」
 ということを考えるようになった。
 それがどういうことなのか、ハッキリとは分からないが、
 「何か気持ち悪いものを感じる」
 というのは確かだったのだ。
「後ろで誰かが暗躍している?」
 とも、考えてみたが、
「さすがにそれを考えるというのは、俺が、疑心暗鬼になっている証拠なんだ」
 ということになり、それを考えることは、自分で認めたくなかったのだ。
 それは、坂下という男が、
「素直で従順だ」
 ということではない。
 ぢちらかというと、頭の回転は速い方で、それだけに、
「感情がついてこない」
 ということになるのだろう。
 それがあることから、坂下は、たまに、自分で、
「何を考えているのか分からない」
 と思うようになった。
 というよりも、
「何かを考えている」
 ということは分かっていて、だから、考えていることに集中しているのだ。
 それを途中で、
「きりがいいところで」
 ということで辞めてしまうと、たとえ、5分しか経っていなかったとしても、すでに、忘れてしまっているのだ。
「集中力が、ハンパない」
 と、いい帆に介錯すれば、そう言い切れるのではないだろうか。
 そうでなければ、
「健忘症ななないか?」
 と言われても仕方がない。
 それだけ両極端であり、性格的にもそういうことになるのだ。
 だから、
「俺は、躁鬱症なんじゃないか?」
 と考えたことがあった。
 躁鬱症といっても、類似の病気に、
「双極性障害」
 というものがある。
 こちらは、完全な、
「脳の病気」
 ということで、投薬が不可欠なのだ。
 双極性障害と、躁鬱症は似ていて、
「躁状態と鬱状態を交互に繰り返す」
 ということで、
「鬱状態を見ているだけでは、医者も誤診する可能性もある」
 というものであった。
 ただ、それぞれの病気の症状は、明らかに違うところがあるという話も聞く。
 だから、薬の種類もまったく違い、
「双極性障害」
 の場合には、
「必ず医師の診断によっての投薬と、治療が必要だ」
 というのだ。
 問題は、
「躁状態に移行した時」
 だという。
 患者によっては、躁状態になり、それまでの足かせが取れたことで、爽快感も出てくるようになると、
「治った」
 と自分で勝手に判断し、薬を飲むのを辞めてしまい、さらに、ひどい鬱状態を招くということがあるというのであった。
 また、双極性障害で、
「自殺を図る人も多い」
 という。
 それは、鬱状態の時に考えるのではないという。
 一番多いのは、
「鬱状態から、躁状態に移る時の、混合状態の時が危ない」
 というのだ。
 混合状態というのは、
「鬱状態の中に、躁状態が入ってくるような、それぞれ反対の状況が共存している」
 というような時のことであった。
 どうして、鬱から躁の時が多いのかというと、
「鬱状態を引きずったまま、躁状態に入る」
 ということで、
「鬱状態の時であれば、自殺をしたいと思っても、身体が動かない」
 という。
「鬱状態の時のいうのは、身体のけがや病気でもないのに、精神が病んでいることで、何もできなくなるということである。それは、億劫だということと違っているのかどうなのか、分からない」
 ということであった。
 だから、鬱状態では、
「死にたいと思っても、身体が動かない」
 ということであった。
 しかし、鬱状態に躁状態が入り込んでいるとすれば、どうだろう?
「死にたい」
 と思っているところに、躁状態。
 つまりは、
「今は何でもできるところにいる」
 という思いであったり、
「何をやっても、自分の望み通りになる」
 という晴れやかな思いから、
「たとえ自殺であっても、晴れやかな気持ちになる」
 ということで、
「今なら死ねる」
 と考えるのであろう。
 特に、
「今の気持ちで死んでしまえば、向こうの世界でも、きっと楽しいことが待っている」
 と信じて疑わないということになるのだろう。
 そうなると、
「俺は、いつだって死ねる」
 という思いもあるにも関わらず、
「思い切って死のう」
 という思いにも至れるのだ。
 前者を感じれば、自殺を思いとどまれるし、後者であれば、自殺してしまうことになるだろう。
 前者は、実に都合のいいことになるのかも知れないが、それでも、そんな精神状態になれるというのは、やはり、
「躁状態の特徴だ」
 といってもいいかも知れない。
 そんな状態を、何度も繰り返し、腕にはリスカの痕が、たくさん残っている女性も多いだろう。
 この病気は、男女関係なく罹るものなのだろうが、
「自殺を試みる率」
 そして、
「自殺に成功する率」
 というのは、男女比でどんなものなのだろうか>
 イメージとしては、女性の方が圧倒的に多いような気がするが、それこそ偏見なのかも知れない。
 坂下は、自分のことを、
「病気なのかも知れない」
 と思ったことが時々あるが、しかし、それを追求しようとは思わない。
 まわりに対しても、自分がそんなことを考えているということを、あまり言わないようにしていたが、最近、一緒に食事に行ったりする女性たちには、よく呟くようになっていた。
 呟くことで、
「気が楽になる」
 ということはあるようで、その思いが、最近、よく自分の中で、余計なことを考えると思わせるようになってきたようだ。
 それにしても、最近は、
「女性からよく誘われることで、
「嫌だ」
 と思うことはなくなってきた。
 むしろ、
「また、今日もかよ」
 と言いながら、気持ちは朗らかに、
「ホイホイ出かけていく」
 ということが、当たり前のようになっていたのだった。
作品名:悪魔への不完全犯罪 作家名:森本晃次