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因果のタイムループ

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 ということである。
 もっと言えば、
「何を考えても、考えれば考えるほど、悪い方に考えてしまう」
 ということだ。
 前者が、
「何を考えても、いい方にしか考えない」
 という、楽天的な考えであり、後者は、
「どんどん悪く考えてしまう」
 という考えになり、この状態を、
「躁状態」
「鬱状態」
 というのである。
 その二つが一緒になると、
「躁鬱症」
 という状態に陥り、それが、
「脳の病気」
 ということで、
「投薬が必須である」
 という状態になると、
「双極性障害」
 ということになり、精神疾患として認定され、ひどい時は、仕事ができない状態になり、
「障害年金」
 というものを貰うということになってしまうのだった。
 それを考えると、
「五月病」
 というのは、一過性のものであり、
「一度罹ると、もう罹らない」
 という、はしかやお多福かぜなどのようなものと同じになるのだ。
「そういう意味でも、五月病というのは、伝染病なのかも知れない」
 とも考えられる。
 だから、新入社員の、五月という同じ時期に罹るともいえるだろう。
 ただ、
「入社して同じ時期に皆が考えることや、生まれてくる悩みが同じ時期だというのも当たり前のことだ」
 ということであり、そちらも一理ある。
 ずっと、そう言われてきたので、いまさら、
「伝染病かも知れない」
 と言われてもピンとこないというものだ。
 伝染病だと考えると、ある意味罹らないというのは、どうなのだろう?
 もし、一年目で罹らなかったとして、これが五年目くらいに罹ったらどうなるのだろうか?
「はしかなど、子供の頃に罹っておけば、軽くて済むのだが、大人になって罹ると、命の危険の問題がある」
 と言われるものだ。
 お多福かぜなど、大人になって罹ると、
「精子ができなくなり、子供を授けられなくなる」
 というような話もあるくらい、大人になって罹ると、いろいろな意味で、大変なことになるというものだ。
 それを思えば、
「これほど大変なことはない」
 といえるのではないだろうか?
 それと同じ、
「伝染病」
 だということになると、30過ぎて罹ると、どれほど大きなものになるか分からない。
 と考える。
 もし、これが、精神疾患を伴うとすれば、
「自殺を試みる」
 ということを安易に行うようになったり、仕事をしようとしても、鬱状態に陥ると、
「食事をするのもできない」
 というくらいになるというではないか。
 果たして、
「仕事などできる状態なのか?」
 ということを考えると、
「会社を辞めて、闘病生活を余儀なくされる」
 ということにもなりかねない。
 そうなると、
「会社に対して、その損害を賠償してもらおう」
 と考える人もいるだろう。
 訴えられた会社もたまったものではない。もちろん、部下に対して、パワハラの事実があったのだとすれば、告訴は無理もないが、そうでなければ、会社も弁護士を立てて、争う構えを見せることになるだろう。
 そんな伝染病のような気がする五月病は、まるでウイルスのように、
「変異をしている」
 という感じがしていた。
 五月病がひどくならずに、収まる人もいれば、そこから派生する形で、
「精神疾患の予備軍」
 という感じで捉える人もいるだろう。
 それを考えると、
「躁鬱症」
 というのと、
「双極性障害」
 というものとの違いが難しいのと同じようなものだといえるのではないだろうか?
 躁鬱症における鬱状態と、双極性相がいにおける鬱状態とでは、
「同じ鬱状態でもかなり違う」
 ということのようだ。
 双極性障害というのは、前述のように、
「脳の病気」
 であるということから、自然治癒というのは、ありえないともいえるだろう。
 だから、ちゃんとした主治医を持って、その人と二人三脚状態で、病気に立ち向かうということが必須だということである、
 患者が、
「自分の意思で勝手に判断するのは、御法度ということになる」
 といえるだろう。
 特に、双極性障害の場合は、躁状態に陥ると、
「何でもできる」
 という感覚になり、それは、自分で勝手に、治ってもいないのに、
「治った」
 と誤認させることになるのだ。
 だから、医者にもいかなくなり、今度鬱状態に陥ると、今度は、薬が切れていることから、
「まったく身体が動かない」
 という状態になり、一人で籠ってしまい、どんどんひどくなっていくのっだ。
 そして、また躁状態が訪れるというわけで、この繰り返しが、
「双極性障害」
 というものなのだ。
 しかも、双極性障害に陥ると、
「死にたくなる」
 という時期があるようで、そんな時期として考えられるのは、実は、
「躁から鬱になる時だ」
 と思われがちだが、実は逆で、
「鬱から躁状態になる」
 という時のようである。
 なぜかというと、
「鬱状態は確かに、死にたくなることがあるというのだが、身体を動かすことが億劫なので、死ぬということも億劫になるという。しかし、鬱状態から、躁状態へと向かっている時は、その時に、混合状態といって、躁状態と鬱状態が一緒になっている時があるというのだが、その時に、半分、鬱状態の、「死にたい」という思いと、鬱状態の、「今なら何でもできる」という状態が、混同していることで、死にたいという思いと、何でもできるという感覚が一緒になることで、一思いに、死んでしまおうということになるのだ」
 ということであった。
 そういう意味でも、
「双極性障害」
 というのは、恐ろしい病気なのである。
 だから、個人で勝手な判断をしたり、まわりも、その病気を受け入れて、しっかりと把握しておかないと、まずいことになるというわけだ。
 それを考えると、
「五月病」
 と呼ばれる病気は、この精神疾患の予備軍だということになると、どれほそ恐ろしいものかということになるのだ。
 ほとんどの人は、
「一過性のもの」
 ということで片付けるに違いない。
 そんな五月病も、幸いにもなのか、それとも、伝染病というのが、
「デマ」
 だったのか、一か月おしないうちに収まってきた。
 普通の鬱病なら、
「二週間くらい」
 と言われているので、それに比べれば、
「少し長かった」
 といってもいいかも知れない。
 だが、それでも、梅雨が明ける頃には収まっていて、夏本番を迎える頃には、精神的には楽になっていた。
 その心境もあってか、かねてからの計画であった。
「童貞卒業」
 を試みることにした。
「激安店に行くか?」
 それとも、ここは奮発して、
「高級店にするか?」
 と考えたが、どうせなら、
「高級店にしよう」
 と考えたのだ。
 激安店であれば、下手をすると、ぞんざいに扱われ、セックス自体が嫌いになってしまう可能性があったからだ。
 もちろん、
「あまりにも素晴らしいサービスを受けて、抜けられなくなったらどうしよう?」
 という思いと、
「最初にテクニックがある女性が相手で、実際に恋愛をした相手は、当然そこまでの手クイックはないので、失望してしまう可能性があるのではないか?」
 などという、いろいろなことを考えてみたが、しょせんは、
作品名:因果のタイムループ 作家名:森本晃次