因果のタイムループ
父親が生きていれば、父親との関係がうまくいけば、自ずと嫁もうまくいくだろう」
と思っていた。
しかし、もう、その歯止めとなってくれる父親はいない。
そうなると、嫁と同居ということは、当然ダイレクトに、二人の関係は、接近するということになるのだ。
だとすれば、一番微妙で、難しい位置に入るのが、自分だということになる、
いわゆる、
「ジレンマ」
というのに落ち込むのは必至で、今からでも、容易に想像ができるというものだ。
だから、息子は、敢えて、
「彼女は作らない」
と思っていた。
「相手が自分のことを好きになったら」
という場合は別で、その時は、
「仕方ない」
と思い。その時になったら考えればいいと思っていたのだった。
幸いなことに、30歳になるくらいまで、自分が好きになる女性も、自分のことを好きになってくれる女性もいなかった。
それはそれでいいことだったのだが、年齢を重ねていくうちに、男としての寂しさがこみあげてくることがあった。
それは、やはり、
「肉体的な寂しさ」
であった。
確かに彼女がいない方が、自由に何でもできるということで、気が楽ということではあったが、
「身体の寂しさ」
というのは、いかんと緒もしがたい。
もちろん、息子は童貞ではない。
確かに、彼女いない歴は、年齢と同じ年数になっているが、
「オンナを知らない」
というわけではなかった。
会社に入ってから、最初のボーナスで、息子は、風俗に行ったのだ。
それは、最初から決めていたことだった。
「就職して最初のボーナスでは、童貞卒業に使う」
ということをであった。
最初のボーナスといっても、入社して、まだ数か月なので、
「寸志」
という程度の金額だろう。
何か記念になるものを買ってもよかったのだが、童貞卒業というのは、かなり前から決めていたことだった。
これは、大学時代の就活の前から考えていたことで、ある意味、就活を頑張ることができたのは、この、
「童貞卒業」
が一種のご褒美のようなものだ。
と考えていたからだった。
確かに、昔は童貞卒業というと、
「大学の先輩が連れていってくれる」
というのが、普通だと聞いたことがあったが、なぜか、息子はそれを嫌った。
まるで、恩着せがましく感じるからで、そういう意味で、
「大学生の先輩に借りを作ってしまうと、就職してまで付きまとわれる」
という、まったく根拠のないことを言っていた人がいたが、それは、
「ウソかも知れない」
とは思いながらも無視できない感覚があり、
「それくらいなら、自分で童貞喪失を計画する方が、よほどいい」
と考えたのだ。
ただ、それを考え始めた時、すでに、
「そろそろ、就活の時期だ」
と感じた時だった。
就活の時期というと、
「なるべく他のことは考えたくない」
ということであり、まずは、就活に集中する時期であった。
それを考えると、
「童貞喪失は、就職が決まってから」
と思っていたのだが、今度は就職が決まると、今までの学生気分から、今度は、いきなりの就職である。このギャップの間に童貞喪失という自分にとっての一大イベントを持ってくるのは嫌だった。
だから、
「ボーナスが出てから」
という思いにいたったのだ。
「学生時代の最高峰である、大学四年生から、今度は、その先にある、一番最低の下っ端になるというのだから、このギャップは、何もなくとも、大きなものだ」
と感じたのだった。
迷惑をかける時代
息子は、いよいよ、童貞卒業に向かって、就職してからも、それを目指して頑張ったのだ。
それがどれほど素晴らしいということなのか?
そんなことを考えていたのだが、正直、どこまでその期待が達成できるかということは分からなかったといってもいい。
実際に、就職してからすぐの頃は、
「前の一人暮らしをした時の、あの思いをまたここですることになった」
と、いわゆる、
「パワハラに近いものを感じた気がした」
ということは、あの時の一人暮らしの、
「風紀委員とその取り巻き連中:
というのは、以前の、
「世界的なパンデミック」
にて起こった、
「自粛警察」
といってもいいということでもあった。
その自粛警察というのは、パンデミックの時にあからさまに起こったこととして、
「パチンコ屋をターゲットにした」
ということだった。
緊急事態宣言というものが出て、休業要請が掛けられたが、その時、一定の店が開店していたにも関わらず、その避難の矛先は、
「パチンコ屋」
に集中したのだ。
自粛警察と言われる、一種の偽善者集団が、攻撃をしたのだ。
本来の意味での、
「自粛警察」
というのは、悪いものではないだろう。
「有事」
というものに対しての考え方は、
「ある程度の権利を抑制するくらい、治安を守るという意味で。しょうがない」
ということである。
しかし、この時のパチンコ屋に対しての攻撃は、
「元々、裏商売のようなものがあり、あまり、世間ではいいイメージでとらえられてはいなかった」
ということから、
「攻撃の急先鋒」
ということになったのだ。
これも、本当に理不尽なことである。
就職してから、息子は、少ししてから、
「誰もが罹る」
と昔は言われた、
「五月病」
なるものに、罹ったのだ。
そのことを、最初は本人も分かっていなかった。五月病なるものの存在も知っていたが、五月病に罹るとどうなるかということをよく知らなかったことで、比較対象がなかったことから、自分が、
「五月病に罹っている」
ということが分からなかったのだ。
最初は、上司から、
「学生気分が抜けていない」
という指摘を受ける。
ただ、その頃には、
「セクハラ」
「パワハラ」
という言葉が、
「コンプライアンス違反であり、上司が部下に対していうと、問題になる」
ということも言われてきている時代だった。
だが、最初は、それを、
「苛めのようなものだ」
と考えていた。
だから、最初は孤独に見舞われた。しかし、上司も、
「あまりいうと、今度は自分の立場が危なくなる」
というのは、分かってのことか、最初に、一度注意しておくだけで、後は、何も言わなくなった。
だから、急に言われなくなったことで、新入社員は、どちらかを考えてしまう。
一つは、
「もう上司は自分のことを信頼してくれたんだ」
という、一種の、
「お花畑状態」
だといってもいい。
完全に、本人の自惚れというものだ。
もう一つはまったく正反対で、
「言われなくなったのは、俺に対して期待していないんだ」
という考えである。
言われ続けるのも嫌だが、
「言われるうちが花だ」
と言われるように、言われなくなったというのは、実につらいことであり、それは、裏を返すと、
「言われてもきつい」
そして、
「言われなくなったことで、自分の限界を感じさせられる」
ということで、こちらもきついのだ。
だから、
「どちらにしてもきつい状態ということは、頭の中にニュートラル、つまりは、遊びの状態というのがない」