因果のタイムループ
その証拠として、一度集合ポストになっている郵便受けの前を通りかかった時、例の取り巻きの一人が、一人でそこにいて、息子を見た瞬間、あからさまに慌て始めたというのだ。
自分のポストだとは限らないが、少なくとも、あの連中に、
「嫌われている」
と思われる自分を見て、あからさまに慌てたのだから、こっちとしても、気分のいいものではない。
そうなると、もう、誰も信用できなくなる。その頃から、
「別のところに引っ越そう」
と思うようになり、物色し始めた。
その頃は、
「どこか、別のところにいけば、こんなことはなくなるだろう」
と信じていたのだった。
だが、その期待は、完全に裏切られた。
そもそも、当たり前というもので、
「一か所がそうであれば、他も同じだ」
というのは当たり前であり、もちろん程度の差はあれど、せっかく引っ越しても同じような思いをしないといけないということは、息子にとって、
「地獄を見た」
と感じさせるに十分だった。
「そっか、おふくろもこうい状況に置かれたということで、あんなに近所に対して、神経質になっていたんだ」
と初めて知ったのだ。
だからといって、すぐに帰るのは、息子としても、自分のプライドに反した。
ただ、母親が、体調を崩し、入退院を繰り返していた時、それをいいことに、
「実家に帰ろう」
ということで、実家に帰った。
母親の方は、昔のような確執はなかったので、息子もこだわることなく、普通に家に帰ることができた。
それがよかったのか、大学を卒業し、働くようになってから、母親もかなり丸くなっていた。
それまで、ほとんど働いたことのなかった母親が、パートではあるが、スーパーで働くようになってから、人間も丸くなったようだ。
人間づきあいも、昔あれだけ、毛嫌いしていたはずなのだが、今では、仕事が終わってから、
「友達と食事をしてくる」
という機会も増えたのだ。
ただ、人の家に行ったり、誰かを連れてくるというようなことはなかった。そのあたりは、どうやら、母親のこだわりというべきか、
「相手のプライベートを尊重する」
ということを優先しているようなのだった。
だからというべきか、
「今のような、個人情報保護の時代には、おふくろのような人間が、正しいというような時代になってきたんだ」
ということを考えると、
「お袋には、先見の明があった」
ということになるのだろうと感じたのだ。
それは間違いのないことであっただろう。
「個人所法保護」
というものが言われ始めて。実際に、
「他人のプライバシーに踏み込んだりすると、警察沙汰になってしまう」
ということが、皆にも浸透してきたので、誰も、必要以上に、他人のプライバシーに踏み込むことはなくなった。
しかし、それでも、
「昔の悪しき習慣」
とでもいえばいいのか、マンションの時に目の当たりにした、
「風紀委員と、その取り巻き」
というのは、相変わらずのようで、
「プライバシー保護と、マンションなどの集団生活においての、昔からの習慣」
というものの間で、何やら、歪のようなものが存在しているのは、間違いないようであった。
「一応、小さいところではあるが、一軒家に住んでいることで、嫌な風習に惑わされることもない」
ということだけでも、よかったのだ。
今では、母親よりも、そういう風習を嫌っているのは、息子のようで、あからさまな態度に出るのは、息子の方が強かった。
母親が、
「まあまあ」
といって、嗜めることがあるくらいで、息子の方が、あからさまに態度に示さないと、気が済まないということなのだろう。
母親も分かっているので、
「必要以上にたしなめることはしない」
何と言っても、元々は自分の性格だったのだ。息子にそれが移っても仕方がないということであった。
そんな息子だったが、あからさまな態度には示すようになったが、性格的には、実は、
「丸くなった」
といってもよかった。
あからさまな態度は、彼が、
「正直者だ」
という証拠であり、だからこそ、
「母親の以前のあからさまな態度を、今であれば許せる」
という気持ちになったのだろう。
というのも、彼本人が、
「自分が昔の母親よりも、あからさまになっている」
ということを分かっていないのだ。
分かっているとすれば、これほど嫌な思いをすることはなく、家を出ようとまでは思わなかったように、後になって感じるようになっていたのだった。
そんな息子だったが、仕事をするようになってからは、一時期、約数年であったが、勤務地が、家から通えないところだったので、やむなく、マンション住まいからの仕事に出かけていた。
「仕事を持った、一人暮らしの青年」
ということで、マンション関係で、いろいろ言われることはなかった。
実際に、残業もそれなりにあり、帰宅する時間というと、早くて、午後九時がいいところであった。
それだけに、近所も何も言わないし、自分から近所づきあいをする気もないので、学生時代の頃のような、
「露骨な嫌がらせ」
というのはなくなっていた。
仕事を、ちゃんとしていて、ごみの捨て方などの、
「マンション内のルール」
の最低限は守っていたので、何も言われない。
だからこそ、そもそも、マンションで
「風紀委員」
であったり、
「その取り巻き」
のような人がいるかどうかというのは、分からなかった。
会社には、
「数年で、戻してほしい」
ということは言っていた。
大卒で、それなりの成績を残している息子のいうことなので、会社も、
「善処する」
ということで、数年だけの偉業所勤務を終えて、約束通り、
「家から通える範囲内」
という、本部に帰ってくることができた。
しかも、会社側としては、それなりのポストも用意してくれていて、とりあえずは、
「順風満帆」
という状況になっていたのだ。
仕事は順調だったが、それ以外のプライベートでは、これといって、ハッキリすることはなかった。
年齢的には、
「彼女がいてもいいわけだし、そろそろ結婚」
ということも言われてもいいくらいだった。
しかし、結婚ということに関しては、息子はあまり、気分のいいものではなかった。
それは、やはり大学時代に感じた、
「近所づきあいの億劫さ」
が影響しているのだろう。
というのも、
「まわりに気を遣ったり、取り巻きのようなことをしないといけない人たちもいることを考えると、人間づきあいは、深くなればなるほど、嫌になってくる」
というものであった。
というのも、
近所づきあいで、気を遣うということがどういうことなのか。最初に一人暮らしをした時、思い知った。
「自分のプライバシーを大切にする」
という、格好のいいことを言っているが、実際には、そんなことは理屈だけのことで、必要以上に神経を遣わされて、思ったよりも、神経がすり減ってしまうのは、本当に我慢できることではないのであった。
「結婚するということは、家族を持つ」
ということで、
「あの母親と付き合っていけるかどうか」
ということが一番の問題だった。