因果のタイムループ
それだけ、科学というのも舐めている証拠であり、最初から、
「考えないようにしようとしているのではないか?」
ということなのではないだろうか?
それを考えると、
「科学者というものと、占星術者、あるいは、宗教家などというもの、やり方や、入り方が違っていても、目指しているものは同じところなのではないか?」
と思うのだ。
となると、それぞれで、相手を否定したりせずに、
「取り入れる」
という考えを取ることで、それぞれに、理解が広がって、導き出されるはずの、同じ答えが見えてくるということなのではないだろうか?
そんなことを考えると
「タイムループ」
という考えは、実に面白いもので、バカにできないものではないか?
と考えられるのではないだろういか?
そんなことを考えていると、
「タイムリープ」
「タイムパラドックス」
を含んだ、
「タイムスリップ」
というものは、最後の、
「タイムループ」
という考え方が見つかったことで、それぞれに凌駕するものを見つけることができるのではないか?
と考えるのであった。
そんなことを考えていると、
「今自分たちがいる世代というのは、どれになるのだろうか?」
ということを考えてしまう。
「ひょっとすると、前世かも知れないし、来世かも知れない」
神崎は、
「来世ではないか?」
と考えるようになっていた。
その根拠がどこにあるのかは分からないが、
「この思いが、何か今まで見たことのないものを、世界としてになるのか、見ることになるのではないか?」
と感じるのであった。
大団円
自分が、この世で、
「順風満帆で暮らせているのは、よほど前世でいい行いをしてきたからではないだろうか?」
ということを言っている人がいた。
それを聞いて、
「じゃあ、来世でまったくひどい状態になった場合というのは、前世が影響していると考えていいのでしょうか?」
と神崎は答えた。
神崎は、あまりにも順風満帆の人生に、今度は、少し怖くなってきたのだ。
「これは今ただ、いいバイオリズムに遭遇しているだけで、実際には、もっとひどい状況になっているのではないか?」
と考えると、実に恐ろしいことになる。
と思ったからだった。
「知らぬが仏」
という言葉があるが、もし、このあとにロクでもないことが待っているのであれば、完全に、
「天国から地獄」
に叩き落されるということになってしまうだろう。
それを考えると、
「どこかの、坊主や、お寺に、自分の疑念を聴いてもらいたくなったとしても、無理もないことであろう」
と思うのだった。
しかし、だからと言って、どこかの宗教の門を叩くということは、恐ろしくてできない。
特に、
「新興宗教」
いわゆる、
「カルト宗教」
というものにすがるというようなことができるはずはない。
と感じるのだった。
これまで、
「どれだけの新興宗教、カルト宗教と言われるものが、ひどいものであったか>」
ということである。
「詐欺であったり、人を洗脳するなど、序の口で、何といっても、集団殺人をもくろんだ、テロ行為というものあった」
というくらいである
班員たちの首謀者は、死刑になったりしたひどい犯罪であったが、何よりも、
「人を洗脳して、自分たちは、その奥で、隠れ蓑に隠れている」
というのは、秘境だと言っておいいだろう。
都合のいい時だけ出てきて、
「教祖様」
というのは、実に、ひどいものだといえるのではないだろうか?
さて、そんな来世だと思っているところで、
「有名だというお寺の住職」
に逢いに行き、話を聞いてみたが、自分が、
「この世界を来世だと思っていること」
を告げると、
「それは、あなたの考え方としては間違っていないと思いますが、それをどう解釈するかということですね」
というではないか。
「どういうことですか?」
と訊ねると。
「あなたが、考えていることは、自分でも突飛すぎるということで、否定的になっていますよね? それが、あなたの正しい考え方を否定する形になるんですよ」
という。
「じゃあ、僕は僕の考え通りにすればいいんですかね?」
と聞くと。
「ええ、そうです」
というので、
「そういうことになると、考え方が、一方通行になり、一人の考え方で、まるで世の中が変わってしまうのではないか?」
ということになるような話であった。
「いやいや。それでいいいんです」
という。
まるで、
「禅問答のようではないか?」
と思うと、
「人間は、どうしても、まわりを意識してしまい、正しいことであっても、まわりが違うというと、そっちが正しいと思い込んでしまう。それが今の日本における、民主主義という考え方なんですよね。でも、それを正しいというのは誰が決めたんですか? 例えば、世の中、これで正しい、日本は平和国家だと言っても、結局、戦争に巻き込まれそうになっていて、政治家がそれをどうすることもできない。だから、人によっては、新興宗教などに入信したり、まわりが信じられなくなって、精神疾患を起こしたり、あるいは、精神異常から、人を殺めたりしてしまう。それが今の世の中なんですよ」
というではないか。
神崎はその話に耳を傾けていて、たまに、
「ついていけない」
という発想に陥ったりもするが、結局、
「自分には、どうすることもできない」
ということになるのだった。
それを思うと、目の前にいるお坊さんの説法が、
「何よりも正しいのではないか?」
と感じるのだ。
今までであれば、
「藁をもすがる気持ち」
と言って、こういうところに来たとしても、数分で挫折して、その場を立ち去るのではないかと思ったのだ。
話を聞いていて、
「これこそ、新興宗教に洗脳されている姿だ」
と自分でその図が見えるからだった。
しかし、
「目の前にいる人は決して悪魔ではない」
それどころか、
「自分に対しての最大の救世主だ」
と思うのだった。
ただ、それは、
「自分に対してというだけであり、他の人に効果があるかどうかということは分からない」
ただ、自分にだけ効果があるのだ。
ということにしかならない。
この状態を、神崎は、どのようにとらえればいいのだろうか?
「ところで、神崎さんと言われましたかな?」
と言われて、住職から声を掛けられた。
「ああたは、どうやら、この世界は、自分が元々いた世界ではなく、何かの力で、こちらに呼びそせられたというようなことをお考えかな?」
と言われたので、まるで、自分の頭の中を見透かされたかのようで、恐ろしいと感じたが、
「はい、そうです」
と答えると、住職はうなずいて、
「そうでしょうね。そういう人は実は多いんですよ。あなたは、この世界に選ばれてやってきたのです」
というではないか。
「どういうことなんです? どうしてあなたがそれをご存じなんですか?」
と言われたが、