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因果のタイムループ

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 なぜなら、確かに、その通りなのだろうが、それをすると、自分でその楽しみがなくなってしまうと考えた。
「自分の中で、それなりの結論を見つけた上で、その答え合わせとして、ネットを検索するなどという方が楽しいし、それこそが当たり前のことだろう」
 と考えるのであった。
 どうして、そういう気持ちになっているかというと、最近、神崎は、
「自分でも小説を書いてみようかな?」
 と考えるようになったからだ。
 元々小説を書くということに、造詣が深いと思っていた。
 本を読むのは好きなので、読んでいてその世界に入り込むというのは、間違いのないことで、あっという間に読んでしまった時も、時間もそれなりに経っていて、
「当たり前だ」
 という理屈ではなく、自分が考えていることが、その小説に合っていると、自分が納得しながら読むことで、自分を納得させることができるのだ。
 そうでなければ、SF小説を読むということは、あくまでも受動的なことで、納得もせずに読んでいるということになり、
「面白い小説」
 というだけのことになってしまう。
 それは、読書としては、楽しいことではあるが、
「自分のためになっている」
 という考えではないといえるだろう。
 それを考えると、
「小説を書くというのは、自分にとっても大切なことで、どうして今までしなかったのか?」
 と考えるほどだった。
「俺には、そんな大それたことはできない」
 と自分に言い聞かせていたとすれば、それは完全に、
「逃げ」
 というものであって、その言い訳に、
「大それたこと」
 という表現を使っているとするならば、それは、
「これほどの言い訳はない」
 といっても過言ではないだろう。
 それを考えると、
「やっとこの年になって、書いてみようと思った」
 ということであり、これが、
「不惑の年齢になった」
 ということでの、
「迷わない」
 と考えたことだったはずである。
 ただ、少し深く考えると、同じような言葉として聞こえる。
「迷う」
 と
「惑う」
 ということであるが、どちらが、どうなのかということをこの年になって初めて考えたのだ。
「迷うというのは、たくさんの選択肢があり、その中から最良のものを選ぶのに、迷っているということであり、どちらかというと、いい意味が多いだろう」
 ということで、それに対して、
「惑うというのは、選択肢は一つだが、それを行う、やめるということを、どうしようか?」
 を考えるということである。
 だから、惑う方は、
「迷った後のその先という意味で、これも悪いことではないような気がするのだが、なぜか、迷うよりも悪いことに感じられるのは、俺だけなのかな?」
 と、不惑を迎えた神崎は考えるようになっていたのだ。
 そう、不惑を迎えたことで、神崎は、
「何か、俺って、今生まれたような気がするんだよな」
 ということであった。
 というのは、それまでの過去の自分の人生を知っているのに、まるで知らないような感覚になっていて、他の世界から、いきなり、この年になって、自分を考えたかのような気がするのだった。
 つまり、
「不惑のこの年に、物心がついた:
 といってもいいようなものだ。
 もちろん、過去の記憶だけは残っている。そんな状態である。
 そこで、先ほど考えた、
「いくつかの、タイムトラベル」
 という発想が出てきたのだった。
 実際に、自分でも考えて、そして、答え合わせとして見たネットの情報とでは、若干の違いがあった。
 もちろん、まったく同じだなどと思うわけもないのだが、少しの違いは、
「誤差の範囲だ」
 というくらいには思っていた。
 実際に、調べた、
「タイムトラベルもの」
 というのは、まず、一般的に言われている、
「タイムマシン」
 であったり、
「ワームホール」
 というものによって、誘われる世界に、行ってしまうということである。
「タイムマシン」
 ということは、解説の必要はないと思うが、
「ワームホール」
 というのは、その必要があるだろう。
 これは、どういうものなのかというと、タイムマシンが、
「人工で作られた機械」
 であるのに対し、ワームホールというのは、
「自然に存在しているもので、その穴を通れば、どこかの時代に出てくる」
 と言われる、
「想像上のもの」
 だということだ。
 タイムマシンにしても、ワームホールにしても、どちらも、存在しているのを見たことがないので、あくまでも、小説世界のことでしかないのだが、要するに、そういう機械や自然現象を使って、
「どこかの時代に行ってしまう」
 ということだ、
 ここで大切なのは、
「他力本願で別の世界に移動する」
 ということになるので、
「自分が身体も精神も、一緒に移動する」
 ということである。
 もっとも、タイムマシンを開発したのが自分であれば、ここでいう、
「他力本願」
 という言葉は、まったく違ったものとなるということである。
 それが、一般的にいわれる、
「タイムスリップ」
 というもので、ほとんどのSF小説は、この観点から出来上がっていたのだ。
 ただ、最近では、そこから、少し、
「枝分かれ」
 のような発想も生まれてきた。
 だから、
「タイムスリップ」
 という言葉には、
「広義の意味と、狭義の意味とに分かれる」
 ということである
 広義の意味は、今まで言われていたような、全体のことであり、狭義の意味というのは、細分化されたものを除いた、いわゆる。
「正味の部分」
 といってもいいだろう。
 そういう意味で、細分化された一つに、
「肉体と精神を分けた時、精神だけが、時空を超えて、そこに存在している自分に乗り移る」
 という考え方で、いわゆる、
「タイムリープもの」
 と言われる考え方だ。
 昔から、この
「タイムリープ」
 という考えはあった。
 というのは、過去に戻るということを考える以前に、ある程度まで生きてきて、今の自分を考えた時、
「ああ、あの時に戻ってやり直したい」
 と思ったことは、誰にでも一度や二度はあるだろう。
 それを叶える発想として生まれたのが、この、
「タイムリープ」
 というものではないだろうか?
 例えば、今、不惑の年にあった自分が、
「あの時、好きだった女性がいて、告白もできず、結果、今になったと思っている」
 として、それを、
「後悔している」
 という考え方から、
「やり直したい」
 と考えているとすれば、
「もっと、早ければ、やり直せただろうに」
 と考えているところに、例えば夢を見て、
「その夢が現実になった」
 といってもいいように、
「タイムリープしてしまった」
 という小説も最近では結構ある。
 そのタイムリープというのは、問題とすれば、
「終わらせ方が難しいのかも知れない」
 というのは、
「タイムスリップもの」
 ということであれば、
「最後には、結局、元の世界に戻ってくる」
 というのが、ほとんどであろう。
 しかし、タイ、うリープの場合は、自分の身体が、幽体離脱のようにして、魂だけが、違う時代に入り、その時代の自分に乗り移っているのだから、
「元の世界に戻る」
作品名:因果のタイムループ 作家名:森本晃次