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因果のタイムループ

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「なるほど、夢というものが、自分の意識の中で、口伝のようなものとなって、それが、説得力につながるとすれば、自分にとって、一番説得力のあるものが、夢ということになるのではないかと思うと、みなみちゃんの言っていることも、まんざらでもないように思う。覚えている夢と忘れてしまった夢を考えた時、忘れている夢が楽しい夢で、覚えているのが、怖い夢だったりするのよね。それは、それだけ怖い夢の印象が深いからで、印象が深いからこそ、大切なことなんだろうと思うと、今のいなみちゃんの言葉から、説得力という言葉が生まれてくるというのも、分かる気がするんだよな」
 と、神崎はいうのだった。
 ただ、いくら説得力があるとはいえ、前世の話を、一足飛びに理解するというのは、難しいものであった。
 世の中において、
「前世というものが繋がっているとすれば、そこにあるのは因果というものであり、それぞれに、報いるから、因果応報というわけで、片方からの一方通行であってはいけないだろう」
 と思った。さらに、
「もし、そういうことであれば、時系列が存在するというのはおかしなことで、時系列が問題ではないという因果応報が存在するというのであれば、次元と時間というものが歪んでしまっていることを感じるのだ。

                 次元と時間

 前世というものと、来世というものがあり、その中間に、現世というものがある。これを時間という感覚で考えると、面白い現象になるのだった。
 というのも、
「過去、未来、現在」
 と、時系列で並べれば、そういう言葉になるのだが、実際に口にする時、あるいは、楽曲の歌詞にする時、
「現在、過去、未来」
 というではないか。
 そういう方がしっくりとくるし、違和感もない。
 だが、これは、時系列からすれば、明らかにおかしなものであって、時間の流れとすればまったくもっておかしいといえるだろう。
 実際に、
「現在」
 というものを考えた時、これは、一瞬でしかない。
 未来が、現在になる瞬間、そして、その現在が、今度は過去となる瞬間、それは、これ以上のっ短いものはない。それが現在というものであり、しかし、
「物事を考えるうえでの中心となるのだ」
 といえるだろう。
 だが、その現在もあっという間に過去になる。だから、
「現在を現在として理解して、思考をもたらすことは、不可能だといってもいい」
 しかし、現在というのは、どんなに短くとも、絶対にゼロにはならない。
 どんなに、薄い紙であっても、どんどん重ねていくと、その厚みは着実に増してくる。
 これは、
「加算法」
 というもので考えた場合だが、逆に、
「減算法」
 というもので考えた時というのは、
「合わせ鏡の原理」
 であったり、
「マトリョシカ人形」
 の発想になるのだった。
 というのも、こちらは、どんどんと見えているものが小さくなっていくという現象であり、
「自分の左右、あるいは前後に鏡を置いた時、そこには、永遠に自分が映り続けるというものだが、その大きさは確実に小さくなっていく」
 ということである。
 小さくなっていく中で、その先が無限だということは、逆に
「ゼロになってはいけない」
 ということを、証明しているかのようではないか。
 理屈で考えても、間違いなく、ゼロになることはない。
 これがゼロになるというのであれば、その正体は、
「どんなものでも、吸い込んでしまうブラックホールの存在を証明し、さらに、それが、この世の、しかも、実に身近なところに潜んでいる」
 ということを示しているということになるのではないだるうか?
 それを思うと、
「減算法」
 というものにおいては、
「無限」
 という言葉がキーワードになって、
「限りなくゼロに近い」
 というものを証明しているようで、この、
「減算法が、加算法を凌駕する」
 ということになるだろう。
 しかし、逆に、先に、加算法の方が証明されるとなると、
「加算法が、減算法を凌駕する」
 ということになり、結局どちらも証明していることになるのではないだろうか?
 現在というものは、まるで、
「尺取り虫」
 か、
「モグラ」
 というもののように、穴の中を、自分で掘って進んでいるようなものだ。
 しかし、それはあくまでも、現在というものが前に向かって進んでいくということで、
「現在というものが、
「動いている」
 ということの証明のようだ。
 しかし、現在というものは、自分たちの感覚で動いているとは思えない。それは、
「動いている電車の中で飛び上がった時、どこに着地するか?」
 ということに似ている。
 これは、
「慣性の法則」
 と呼ばれるもので、いわゆる、
「ダルマ落とし」
 という現象に似ているのではないだろうか?
 この現象は、
「目の前にあるダルマの下に、いくつかの積み木が重ねられていて、その途中をハンマーでたたいた時、上がすべて移動するわけではなく、叩いた部分のみが前に押し出されることで、その上が一段ずつ落ちてくるというものである」
 こちらも、同じ、
「慣性の法則」
 として言われることであるが、一見、理屈に合っていないことでも、
「慣性の法則」
 としての証明がなされると、一瞬にして、その理屈は、科学的にも証明されることになる。
 それだけ、
「いかに難しいことでも、一つの穴が開くことで、簡単に証明されるということが存在する」
 といえるのではないだろうか?
 だから、
「この電車の中の着地」
 であったり、
「ダルマ落とし」
 というものの証明がなされれば、
「現在、過去、未来」
 を証明することができるだろう。
 もちろん、それらのことが、
「すべて慣性の法則というものだということを結びつけることができれば」
 ということになるのだろうが、それが、実際に証明されるというのは、それぞれを、一方から見てしまっているだけでは、叶わないことだということを、理解しなければ、できる証明ではない。
 ということになるのであった。
 それを考えると、
「時系列」
 というものは、本当には、
「この時代、いや、次元だけのものであって、違う次元では、まったく違った発想になるのだろう」
 とうことだった。
 しかも次元というのは、いわゆる、
「線の世界の一次元」
「平面の世界の二次元」
「我々がいる、立体世界の三次元」
 そして、
「時間軸を持ったと言われる、四次元」
 と、いわれるそれぞれの次元とは、違った次元が存在していて、その次元が、
「今回の問題を解決してくれる形になるのではないだろうか?」
 と考えられるのであった。
 それを考えると、それも、結果としての、
「減算法」
 と、
「加算法」
 というものが、問題になってくるのではないだろうか?
 そんな、
「次元」
 と、
「時間」
 というものを考えていると、それとは別の発想になるのだが、
「密接に結び付いてくるのではないか?」
 と考えられるのが、
「夢」
 という発想であった。
 この夢というものは、
「発想」
 というよりも、
「概念」
 と言った方がいいかも知れない。
 何と言っても、
作品名:因果のタイムループ 作家名:森本晃次