因果のタイムループ
という意味でいえば、
「男性の方が、その傾向にある」
といってもいいのではないだろうか?
そういう意味で、それは、
「風俗嬢に対しても言える」
ということであった。
「いつも同じ相手であれば、飽きが来る」
というのも、無理もないことで、最初は、
「フリーで行くと、好みでもない女の子に当たってしまう」
と思い、ずっと指名してきた男性が、たまに、フリーでいくと、
「どんな女の子に遭うか、それが楽しみだ」
と考えるようになったりする人もいる。
確かにフリーで入ると、どんな女の子に遭うか分からない」
ということであるが、指名しても、その子が自分の思っていたような女の子だとは限らない。
特に、店側の、
「パネマジ」
に引っかかってしまうこともある。
「パネマジ」
というのは、確かに、
「身バレを防ぐ」
ということが一番の理由だが、店側からすれば、
「綺麗に加工することで、客に指名してもらおう」
と考えるのは当たり前のことである。
そう考えると、
「パネマジに引っかかる」
ということを思えば、フリーの方が、
「どんな子がカーテンの向こうで待っているか?」
という楽しみがあるというものだ。
それで、想像していたような、あまり好みではない女性であったとすれば、それはそれで仕方がないと、諦めもつくというものだ。
長く風俗を利用していると、それこそ、自分にとっての、
「当たりはずれ」
があるというものである。
みなみと、しばらく会わなかったが、また会いたくなったのは、それまでに出会った女の子が不満だったというわけではない。
どちらかというと、嫌いというわけではなかったのだが、
「一緒にいて癒される」
と思う女の子とは、性行為にいたることに、違和感を感じ始めたのだ。
一種の、
「違和感を感じた」
といってもいいわけで、何か、
「精神的な矛盾を感じさせる」
のであった。
その矛盾というものが、いかなるものであるかということを考えてみると、
「そもそも、ソープ通いというものが、癒しを求めてのことではない」
ということを思い出したのだ。
もちろん、
「癒しを与えてくれた女の子と、また遭いたい」
と思うのは、当然であり、もう一度くらいは指名することはあるだろう。
しかし、それ以上となると、躊躇してしまう。会う時までは楽しみなのだが、実際にプレイとなると、自分が望んだようにはならないのだ。
というのも、
「身体が反応しない」
と言った方がいいかも知れない。
嫌いになったわけでも、満足できないと思い込んでいるわけでもない。ただ、身体が反応しないということは、
「癒しというものが、飽きを誘っているのではないか?」
ということに気付いたからだ。
これは、
「心と身体の矛盾」
から来ているもので、それを、
「飽き」
ということで片付けようとするのは、
「このままだと、ソープに来て、どの女の子に相手をしてもらっても、自分の身体が反応しなくなる」
と感じたからだ、
これは、それだけではなく、
「ソープ嬢以外の女の子に対しても、まったく同じことが言える」
と思ったが、
「いや、それ以上に、他の女の子であれば、もっと、立ち直りできない」
というほどになるに違いないと感じたのだ。
だから、そうならないようにという思いを込めて、
「最初の原点」
である、みなみのところを訪れたのだ。
みなみには、正直に話した。
みなみの方も、
「余計なことはいえない」
とでも思ったのか、必要以上のことは言わなかった。
しかし、
「あなたが、そう思うのならそうなんでしょうね。だって、あなたの身体はあなたにしか分からないことだから」
といって、みなみは悲しそうな顔をした。
今まで、みなみがそんな顔をしたのを初めて見た。そう思っていると、みなみが、話し始めた。
「私も、前に同じようなことを言っている人がいて、私のサービスを受けに来たんだけど、今のあなたと同じようにね」
という。
「それで、その人はどうなりました?」
と聞くと、
「それから、一度も私のところに来ていないから分からないの。ソープを卒業したのか、抜けれずに、ずっと彷徨っているのか? どちらにしても、私は後悔はしていないの。私としても、乗り越えなければいけない道だったのだからと思うの」
というのだった。
「そうなんだ。まるで、一つの人生を繰り返しているような気がするんだけど、違うのだろうか?」
と神崎がいうと、
「そうなのかも知れないわね。因果応報という言葉があるけど、それって、人生をまたいでもあるのかも知れないわね」
とみなみが言った。
「というと?」
と神崎が聴くと、
「これもお客さんから聞いた話なんだけど、もし、今この世界で、苦しんでいることがあるのなら、それは、前世の自分のおこないが災いしているからではないか? と言われていることなのね」
というではないか。
「なるほど、そういう前世の話はよく聞く気がするな。でも、それは、今の自分の人生じゃなくって、前の人の一生なのに、それが、まったく関係のない人に影響するというのは、どういうことなのだろうか?」
と神崎がいうと、
「私も詳しくはないんだけど、実際に、そういう人生を歩んできた人は、前の人の人生を引きずることになるらしいの。でも、確かにそれなら理不尽なことなのよね」
と、みなみがいうと、
「そうなんだよね。それが、もし親子であったとすれば、ことわざにあるように、親の因果が子に報いと言われるんでしょうけど、それだって、理不尽だということを表すことわざなんじゃないかと思うんだよ。だとすれば、どこの誰とも分からない人の前世を引きずってしまうのは、理不尽以外の何者でないように思うんだけどね」
と、神崎はいった。
「私は、おばあちゃんから、その話を聞いたんだけど、おばあちゃんも、自分のおばあちゃんから聞いたというのよね。こういう話は親から聴くものではなく、おばあちゃんから、孫に聴かせるものだということなのね」
というので、
「でも、孫がその話を聞くくらいまでになった時、おばあちゃんがいなかったら、その孫は、誰からも聞くことはないということになるのよね。だとすると、子供世代では、話が受け継がれていくけど、自分世代では、その話は、そこで終わっているので、片手落ちのように伝わっていくのかも知れないな」
というと、
「そうでもないようなのよ」
と、みなみはいった。
「それはどういうこと?」
と聞くと、
「そんな時、おばあちゃんが夢に出てくるらしいの。最初はおばあちゃんが夢に出てきたということが分かっているので、そんなことは信じられないと思うらしいんだけど、次第に、夢を見たことが、自分の中での問題となり、その問題が、いかに大きなものになるかということを冠が合えると、時間が経つにつれて、夢というものが、本当は、過去からの警鐘のために見るのではないか? と思うのね」
それを聞いた神崎は、