石ころによる家畜の改造
「遅れることさえなければ、それでいい」
ということであった。
だから、彼女は、すぐに立ち上がり、一緒に女将から聴いていた、
「野生動物の湯」
とでもいっていいのか、その場所にゆっくりと歩いて行ったのだ。
二人の間で、暗黙の了解として、
「野生動物の湯」
という言葉が定着したが、これは、二人にとって、同じであり、お互いに、ツーカーの仲ということであった。
さすがに、こっちの湯には誰も来ておらず、ゆっくりと浸かることができた。
向こうでは、人間が入ってきたのに、まったく動じることもなく、二匹の猿が、まるで人間様であるかのようにい、ゆっくりと温泉に浸かっていたのだ。
「かわいいわね」
と友達は、いかにも、頬の筋肉を緩めて喜んでいる。
「ええ、そうね」
と、相槌を打ったが、その様子は、少し味気ないように見えるかも知れないが、これは二人の間での、こちらも、
「暗黙の了解」
であり、お互いに、気まずくもなく、当たり前のことだったのだ。
それは、
「サルが人間に驚くこともなく、温泉に浸かっている」
という光景と同じで、一切の違和感はない。
それを思うと、
「温泉に浸かるサル」
という題材で、
「何か小説が書けるのではないか?」
と考えた。
それは、温泉というものが、人間だけでなく、動物にも効能があり、人間が動物のための、
「湯治場」
を作ってあけたことが、まるで、
「美談」
とように見えるというのが、素晴らしい気がしたのであった。
それを思うと、
「この二匹の猿は、本当に幸せ者だな」
と、感じたが、
「他にもどんな幸せ者がいるのか?」
ということを想像すると、
「何度もここに入ってみたいな」
と思うようになった。
最初は、
「一度でいいや」
と感じていたのがまるでウソのように感じられ、
「温泉というのが、本当に素晴らしい」
と思うのだった。
動物が見える温泉は、あまり広いところではなかった。
「思ったよりも、小さいわね」
と友達がいうので、
「そうね、でも、動物が湯治に来るところなので、動物中心じゃないのかしら?」
と、ゆいかはいった。
友達も頷きながら、
「そうね、あんまりたくさんの人がきて、動物を脅かすようであれば、動物もせっかくの温泉を利用しなくなるかも知れないものね」
ということであった。
だから、まだ、他の団体が来ていないということもあって、まだ静かな宿であったが、これが他の客がくれば、相当賑やかになるであろうことは、ゆいかにも友達にも想像できたのだ。
だが、宿としても、団体客は神様みたいなもので、特に、最近になって、パンデミックからやっと立ち直るための客が動き出したことは、ありがたいことなのであろう。
「この宿は、外人が来ないということで、安心できるところらしいのよ」
と友達が言った。
友達は、旅行の運営委員の一人なので、そのあたりの情報は掴んでいた。
彼女は、今回の運営委員に自分から立候補したのだ。
「どうして、自分からやろうと思ったの?」
と聞くと、
「だって、これからやっと旅行とか行けるようになるわけじゃない。結局またいろいろと調べなければいけないということになるのに、自分でプライベートで調べなければいけないわけでしょう? だったら、会社の行事として調べるのだから、後で、運営委員として感謝されたりすることを思えば、どうせということであるなら、運営委員で調べた方がいいに決まっているわよね」
というのであった。
それを考えると、ゆいかも、
「なるほど」
と感じるのだった。
ゆいかも、
「うまいな」
と感じた。
自分が同じ立場なら考えるかも知れないが、そのためには、自分で、
「その立場になった時、どういうことになるか?」
ということを理解する必要がある。
どちらにしても、最終的には、
「損得勘定」
なのである。
損得勘定のために、人間というのは動くのだから、それをしっかり判断できるようになる必要がある。
友達は、
「それを今実践しようとしているということにあるのだ」
と考えているに違いない。
特に、友達は、
「わがままなところがある」
といってもいいだろう。
わがままを少々口にしても、人から睨まれないようにするには、
「人が嫌がることでもしないといけない」
ということになる。
どうせ、そうであれば、
「損得勘定から、得な方を選べばいいに決まっている」
ということである。
彼女は、今回の旅行で、一番の優先順位として、
「外人と一緒になるのは嫌だ」
と考えていた。
それは、
「好きでもない相手に、無理矢理に抱かれる」
というくらいに嫌だというのだ。
「あいつらは、日本の風俗習慣を知らずにやってきて、好き放題だ」
と思っているのだ。
特に、某国の国民に対してひどい思いを抱いていて、それが感情に膨れているのであった。
ゆいかも、基本的に外人は嫌いだった。
一度、学生時代にその時の友達とどこかの観光地に旅行に行った時、変な外人に付きまとわれて、嫌な思いをしたことがあった。それを思い出すと今でも気持ち悪く、
「ヘドが出る」
と思うくらいだった。
親友もそのことは知っているので、ゆいかの前で、露骨に、
「外人は嫌いだ」
といっても、嫌われることはなかった。
ただ、今回の旅行で、友達が主張する。
「外人がいるところは嫌だ」
という主張が通ったというのは、それだけ、
「彼女が今回の旅行で、自分の主張が通るくらいに、力を持っている」
ということなのか?
それとも、
「委員の連中が皆、同じように外人が嫌いだ」
と感じているのか?
そのどちらかなのか、それとも、どちらもなのかなのではないだろうか?
どちらにしても、そもそも、外人が街で横行しているのは、気分のいいものではない。言葉もまともに分かりもしないくせに、レジにいると考えただけでも、おかしなことではないか。
政府が、
「金になる」
というだけで外人を雇っていて、しかも、そんな外人どもを雇うことで、補助金が政府から出るという。
バカげているとしか思えない。
補助金だって、元は税金ではないか。我々の国民全員の金のくせに、政府はまるで、自分たちの金のように言っているが、そもそも、そこが間違いなのである。
だから、彼女がいうには、
「この旅館では、団体旅行を申し込んだところには、
「従業員に外人がいるかどうか」
を聴いているという。
それでいると言えば、
「丁重にお断りする」
ということであったので、今回の旅行に、外人が入ることはないだろう。
ただ、ハーフやクオータだけはどうしようもないという。
「そこはしょうがないわな」
と友達はいっていて、そこに関しては、会社側も、
「しょうがないか」
ということであった。
そういえば、この会社、本社としても、結構な人数だが、外人がいない。
もちろん、
「外人だから雇わない」
というのは、公然とはできないが、ちゃんとした面接で決めるのだから、
「面接で落とした」
ということにすれば、何とでもなるだろう。
いい悪いは別にして、
「一種の、攘夷の会社だ」
作品名:石ころによる家畜の改造 作家名:森本晃次