石ころによる家畜の改造
という少し入り組んだ気持ちになっていることで、この時期は、
「必要以上に疲れる」
という気持ちになっているのだった。
そんなことを考えていると、
「温泉旅館」
というものは、
「夏が本当は最高なんだが、残暑に来るのが、本当は一番なのかも知れない」
と感じるのだった。
その理由の一つとして、
「夏の暑さというのは、蓄積されるものだ」
と考えているからだ。
暑さというものが、身体の奥からにじみ出てくる時、汗を掻かずに、熱がこもっていることを思い知らされると、
「もっと、熱くなって、身体から汗を拭き出させたい」
という気持ちになる。
それが、真夏の容赦ない照り付ける太陽の下では、身体が言うことをきかず、どうすることもできないというところまでくると、
「ヤバイ」
と感じるのだ。
というのも、
「身体がいうことをきかない」
というところまで実際にいったことはなかったので、そんな状態になると、本当にどうなるのだろう_
という思いがこみ上げてくるのだった。
それを思うと、
「こみあげてきた暑さの中、最初は、一人がいいと思うのだが、そのうちに、誰かが一緒だったらと感じることもある」
ということを感じるのだった。
本当なら、夏や、夏の終わりなどというのは、
「人肌に触れるのも、気持ち悪い」
と感じることがあったが、それだけではないようだった。
というのは、
「身体が、熱を伝導するという作用は、まるで、自分が熱を溜めこんでおけるだけの何かがないといけない気がした」
つまりは、
「鉄は熱いうちに打て」
ということであるが、熱くなっている時ほど、融通か利くというものだ。
そんな時に出会った男であれば、
「自分ではどうすることもできないことを、相手の男なら、熱くなって柔らかくなっている自分を自由自在にできる気がする」
というものであるが、実際には、
「私に触れることができるかどうか?」
というのが、
「最初で最大の難関」
なのではないだろうか?
触ることができさえすれば、いくらでも自在に操れるというものだが、触れることができないのであれば、まるで、
「絵に描いた餅」
のようなものだ。
ということである。
確かに、
「触れることができるできない」
というのは大きな問題で、だが、自分に触れることができる男というのは、
「熱を決して、必要以上に伝導できないものだ」
という考えであったのだ。
そんなことを考えていると、今度の社員旅行で、
「昔のことを思い出すんじゃないかしら?」
と、ゆいかは感じた。
実際に、
「思い出す思い出さない」
といっても、会社に、恋愛感情を抱きそうな男がいるわけでもない。
いるとすれば、一人頼りない一つ下の後輩がいるだけで、あとの人は、皆既婚者であったり、そうでなければ、40歳以上の、
「中年オヤジ」
というだけだった。
それを思うと、
「恋愛感情など浮かぶはずもない」
というものだった。
ただ、同じ部署の先輩は、
「課長と不倫をしている」
ということらしい。
本人は、あっけらかんとしていて、後輩のゆいかには、打ち明けてくれた。
どうやら、
「女房と別れて、君と一緒になる」
と言われたようで、それを律義に信じているのだった。
二人が付き合い始めて、そろそろ一年だというのに、課長は相変わらずで、奥さんと別れるなどということを微塵も感じさせない。
普通だったら、
「どうなってるの? 私をいつまで待たせる気?」
といって、怒ってしかるべきなんのだろうが、まったく女の方もそんな気持ちがあるわけではない。
「あの人、奥さんと別れようという気がないんだわ」
といって、呆れかえっているというのは分かるが、その割に、
「怒り狂っている」
というようなそんな雰囲気は感じられない。
どちらかというと、
「もう、どうでもいい」
というような雰囲気さえ醸し出されているかのようだった。
ただ、それでも、
「投げやり」
という雰囲気でもない。
どちらかというと、
「結婚できないなら、それでもいい。しょせん不倫なんだから、私が騙されていたといえば、それでいいんだわ」
と開き直りがあったようだ。
ただ、果たして、それで通用するのだろうか?
まわりに対しては、
「騙されていた」
といっても、女の立場だから、それも分かるというものだが、それが、相手が奥さんであれば、通用するのだろうか?
そういう時の奥さんというのは、
「旦那に対しての怒りと、相手のオンナに対しての怒りとは、どっちが強いものなのだろうか?」
と思う。
ゆいかが考えるには、
「よく分からない」
というのが、本音であろう、
女の立場から考えると、そのどちらも、似たような感覚に感じられるのだが、それはあくまでも、
「他人事」
ということで見ているからではないか?
ということであった。
他人事というのは、実に都合のいいことであるが、逆を言えば、
「どうしようもなくなった」
という心情の表れではないか?
といえるのではないか。
「逃げにでも移行しないと、自分では、解決で来っこない」
という思いなのであろう。
そんなことを考えていると、
「私にとって、時間が経てば経つほど、いいことなのか、悪いことなのか、理解できない状態になりそうだ」
と考えるのであった。
特に、これが、
「不倫」
という経験のないことであれば、難しい。
もっとも、不倫などというのは、基本、
「いけないことだ」
ということなのは、分かり切っていることなのであった。
社員旅行が行われたのは、時期としては、夏の終わりであった。
ちょうど、疲れ切った身体にモヤモヤした時に聴く音楽というのが、ちょうど心地よい時期でもあった。
実際には、観光バスか、高速バスになりそうな大きなバスを一台チャーターして、それでの移動だったので、バスの中では、カオスな状態になっていたりした。
バスが走り出してからすぐくらいに、すでに、酒盛り状態になっていて、30分もしないうちに、すっかり酔ってしまっている人も出てきたくらいだ。
かなり、酔っているのだが、普段から飲み慣れている人は、そうでもないのだが、あまりアルコールを飲んでいないような、普段から真面目で、あまり目立たないような人が危ないのだった。
アルコールのまわりというのは、思ったよりも早いもので、すでにグデングデンの人もいる。
それでも、何とか理性があるのか、誰かに絡むということはなかったが、バスに元々弱い人は、ビニール袋を手放せない状態だった。
さらに、利尿作用が働くのか、
「10分間1本勝負」
などといって、バスを止めて、路地にいって、用を足している人もいた。
本来なら、こんな醜態を知られると、問題になるのだろうが、この日だけはしょうがないということで、酒を飲むのも、ある意味、
「無礼講」
のようだった。
ゆいかは、ヘッドホンをスマホに繋ぎ、ダウンロードしている楽曲を聴いていた。その曲もシチュエーションごとにフォルダに分けていたので、
「夏の終わりに聴く音楽」
という、フォルダから聴いていたのだ。
作品名:石ころによる家畜の改造 作家名:森本晃次