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石ころによる家畜の改造

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 ということだったのだ。
 特に旅行好きであったり、名所旧跡めぐりが好きな人は、そういう発想が大きいに違いない。
 自分が出かけたところは結構覚えているもので、特に旅行先で知り合った相手などは、記憶に残っていたりする。
 特に異性などであれば、旅行先での、アバンチュールであったり、または、戻ってきてから、連絡を取り合って、あらためて、深い仲になるなど、どちらにしても、男の人であれば、
「武勇伝」
 というものであり、女性であれば、中には、
「男を手玉に取ったうちの一つ」
 とでも考えている人もいるかも知れない。
 実際に、ゆいかも、学生時代は、旅行が趣味であった。親友といえるような女性とよく一緒に、旅行に出かけたものだった、
 目的は、
「温泉」
 だったのだが、もちろん、それだけではなく、近くの観光地である、名所旧跡を訪れることも忘れなかった。
 もっとも、友達が名所旧跡が好きで、計画を立ててくれるのは友達だったので、ゆいかは、その計画に乗るだけのことだった。
 ただ、彼女は、天邪鬼のようなところがあるのか、決して、ランキングでも、ベストファイブに入るようなところに行くことはなかった。
 後から聞いた話では、
「彼女が、ベストファイブに入るようなところに行くとすれば、一人旅をする」
 ということであった。
「ただでさえ人が多いのに、誰かと一緒だと身動きが取れない」
 というのが理由だった。
 というよりも、その子は、
「一人だけの時と、私と一緒にいる時とでは、まったく違った考えを持っている。それは決して悪いことではなく、むしろいいことだった」
 と、ゆいかは感じていた。
 なぜなら、それだけ割り切っているということは、その時々で、
「楽しみ方をわかっている」
 ということであり、それを考えると、ゆいかは、
「旅行に行くというのは、最初から自分の中で楽しむということをどうすればいのか?」
 ということを分かっている必要があると思っているのであった。
 温泉旅行も、何度も来ているので分かっているつもりだった。
 ただ、実際に行くところは、鄙びたところが多く、
「寂しい」
 と言った方がいいくらいのところで、
「芸術家が一人で、創作活動をするにはいいんだろうな」
 と思うようになって、次第に、友達とだけではなく、一人で計画し、温泉旅行に来るようになっていた。
 その時は、ゆいかも、
「自分の創作活動のために来ている」
 ということであったが、彼女は、小説を書くことが好きだったので、まるで、
「プロの作家にでもなったかのような」
 という感覚になり、ほとんど部屋に引きこもって、小説を書いていた。
 そんな時は、大体、3日から5日くらいの滞在が多かった。
 あまり長くいても、次第に、世間の感覚を忘れてしまいそうで、その怖さもあったのだ。
 怖いといっても、錯覚であり、怖いという感覚すら、小説を書くシチュエーションを味わうという意味で、
「利用できるものは利用したい」
 と考えたのだ。
 ただ、あまり怖い話を書くことはなかったような気がする。
 温泉旅館で書く内容は、
「温泉旅館を舞台にした恋愛もの。そこで出会った男女二人が、恋に落ち、それが、いかなる恋愛をするか?」
 ということであったが、その時々、あるいは、旅館の雰囲気によって、ストーリーはまったく違っていた。
「自分のような一人旅の男女が知り合う場合」
 さらには、
「それぞれ単独で走り合うのだが、実際にはそれぞれに伴侶がいて、
「ここでだけのアバンチュール」
 という約束で、ここだけで完結するパターン、
 あるいは、
「アバンチュールだけで我慢できなくなった、どちらかが、禁を破って連絡を取ったことで、ズブズブの、泥沼の恋愛に落ちていく」
 という内容だったりである。
 こういう温泉宿で考えていると、どうしても、
「純愛というよりも、愛欲に塗れた恋愛」
 という、
「ドロドロとしたもの」
 になってしまうのであった。
 そんな恋愛小説を書いていた時代が自分にあったことを思い出していると、学生時代の自分が、実際には、
「そんな恋愛に憧れていたんだろうな」
 と感じ、
 温泉宿で、執筆活動をしている時で、
「誰か、男の人の一人旅の人がいないかしら?」
 と、密かに思っていたのだ。
 特に、執筆活用をしている自分が、
「隠微な雰囲気に包まれている」
 と感じていたからだった。
「私が隠微かどうか、自分ではわからないけど、せっかく、こんな鄙びた温泉宿に来ているのだから、
「どれだけ、この土地に映えていて、創作活動というものを、いかに醸しだすことができているのか?」
 というのを知りたいとも思ったのだ。
 最近でこそ、執筆活動はしていなかったが、やはり、それは就職して、最初の一年くらいは、
「仕事に慣れる」
 ということで、仕事に集中の毎日だったので、それも仕方のないことだった。
 それに、大学を卒業する時、
「辞めるわけではないが、しばらくはできないだろうな」
 という覚悟はしていたので、そのことで悩むことはないと思っていた。
 しかし、それは間違いだった。
 仕事に慣れるまでの一年間くらいは、仕事に集中していて、それだけ、
「充実した毎日」
 というのを送れていたと自分では思っていた。
 そのくせ、急に気を抜いたりした時、
「何か、嫌な気分になりそうな時があるんだよな」
 と感じていたのだ。
 どこか、鬱病のような感じがして、時々、
「何をするのも嫌な時がある」
 と思っていた。

                 温泉宿の魅力

 そんな時は音楽を聴くことが多かったのだが、その音楽も、気分で、ジャンルがいつも違っていた。
 そんなモヤモヤした時は、
「夏の終わり頃によく聞いた音楽が似合いそうな気がするんだよな」
 というのであった。
 秋に入ってくると、もう涼しさというよりも、
「寒さ」
 というものを感じるようになって、完全に、
「夏の終わり」
 とは、一線を画していたのだ。
 というのも、
「夏の終わりというのは、暑さというものがまだ感じられ、必要以上に汗を掻いている気がしている」
 というのだ。
 それは、
「自分の身体に、その暑さというものが、こもった形になっていて、熱がこもっているといってもいいくらいではないだろうか?」
 と感じていた。
 身体から暑さがにじみ出てくるのを感じる時というのは、最初は汗を掻かないものだ。
 そうなると、身体の感覚が次第にマヒしてきていて、
「このままでは、ぶっ倒れる」
 と感じるようになった時、次第に、身体から汗がにじんでくるようになった時、
「それまで死んでいたであろう意識がよみがえってくるのを感じる」
 というのだ。
 それが発汗作用というものであり、汗を掻くと、体温も次第に下がってきていて、身体に弄んでくる汗が、身体にまとわりついていて気持ち悪いという雰囲気はあるのだが、吹いてきた風が、そのすべての気持ち悪さを吹き飛ばしてくれるような気がした。
 それでも、まとわりついた汗は、どうすることもできず、
「気持ち悪さと、その中でも、風邪による爽快さ」