石ころによる家畜の改造
のせいで、そんな気持ちになったり、それを意識しないといけないという感情に包まれたりと、頭がよくて、頭の回転が速いだけに、そんな発想が渦巻いてしまうのだった。
そんな状況を考えていると、今の自分が、
「幸せなのかも知れない」
と考えるようになった。
しかも、会社では、コンプライアンスの問題があることで、
「女性だから」
などということで差別を受けたり、
「セクハラ」
というものもない時代が来た。
しかし、ゆいかは、正直、この状況をオンナの立場としても、
「あまりいい傾向ではないな」
と感じていたのだった。
というのも、
「あまり過剰になりすぎると、ロクなことはない」
と感じていたのだ。
要するに、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
ということであり、
「男性に気を遣って何もできなかった女性」
という降雨から、
「女性にお権利を開放する」
と言えば、聞こえがいいが、そんな状況にい便乗して、女性側から、
「男性に対してプレッシャーをかける」
という、
「女性ということを使っての、犯罪行為」
というものが、横行しないか?
ということを心配もしていた。
そんなことを考える時、
「私って、本当に女なのだろうか?」
ということを考えてしまうこともあったりした。
だから、親に対して、
「オオカミ男」
という発想をしたのかも知れない。
それは、
「権利の後ろには義務というものがあるように、開放される側の反対から見れば、逃げることのできない束縛が潜んでいるということが分からず、それまでの束縛をいきなり海保することで、オオカミになってしまう」
ということを感じ、
「それが、二重人格性を思わせるオオカミ男というものを、連想させるということになるのではないか?」
と考えられるのだ。
というのは、
「今ではあまり聞かなくなったことではあるが、実際には、いまだに犯罪として、存在している」
と言われる。
「美人局」
というものである。
読み方は、
「つつもたせ」
というものであり、
「女がオンナという武器を使い、男とグルになって、弱者を脅す」
というものだ。
弱者といっても、犯罪行為に引っかかる、
あるいは、自分の社会的地位が失墜するということで、一味のターゲットとしては、
「金をもっていて、社会的地位に執着が強い人間」
つまり、
「会社役員」
であったり、
「芸能人」
などが、狙われやすい。
彼らは、金や地位があるだけに、寄ってくる女はたくさんいるだろうから、人によっては、
「警戒心が、欠如し、感覚がマヒしてしまっている」
という人も多いことであろう。
それを思うと、
「狙われる方も悪い」
といえるのだろうが、圧倒的に、
「美人局」
の方が悪いに決まっている。
しかし、狙われた男は、なまじ金があるだけに。
「金で解決できるなら」
と思って金を出すと、最後、
「一生付きまとわれる」
ということになるだろう。
美人局側とすれば、
「どうせ、誰にも言えないだろう」
といって、タカをくくっているに違いない。
しかし、そんな美人局というのも、実は、
「諸刃の剣」
のようなものだ。
仕掛ける方は、
「自分たちの計画は完璧だ」
と思っているようだが、
「世の中そんなに甘くはない」
といってもいいだろう。
というのも、
「確かに、相手は守らなければいけないものがあるから、金を出す」
ということである、
だから、
「秘密を握っている限り、自分たちは安全だ」
と感じるのだろう。
だが、それが一番の落とし穴なのだ。
脅される方は、
「金があって、名誉のために金を出す」
という人間である。
最初は、
「面倒だから」
ということで、一度は、
「元々、自分が鼻の下を延ばした」
ということで、こんなことになったのだから、
「授業料が高くついた」
ということで仕方がないと思ったのだろうが、
「二度目からは、そうはいかない」
ということである。
このままずっと付きまとわれるということであれば、話は変わってくるわけで、こうなったら、
「お金で、やつらに制裁を加える」
と考えるのは当たり前だ。
「金があるから、金を出す」
というのは、一度だけで、二度目からは、逆に、
「金を使って排除する」
とは考えないのだろうか?
何といっても、
「やる方は、やられることに気付かない」
というが、まさにその通りなのだろう。
一度金を払った方とすれば、次からは、必死になって相手を潰そうとする。これは、
「金が欲しい」
というよりも、今の名誉がなくなることで、
「金もなくなる」
という当たり前のことを分かっているからであり、
「金があるから金を出す」
という、
「まるで小学生程度の発想」
しかない連中は、その時点で、
「破滅への階段を上っている」
ということになるだろう。
たぶん、
「非政府組織」
に依頼して、
「やつらが、これから何もできないくらいにまで、懲らしめてください」
ということで金を払っているだろうから、
さすがに、
「簀巻きにして、海の底に沈める」
ということはないまでも、女は、
「金で売られるくらいは平気であるだろう」
それは、完全な自業自得で、同情の余地はないということになるだろう。
やはり、
「策を練る人間ほど、自分がやられることを考えない」
という、いわゆる、
「驕り」
のようなものがあるのだろう。
「自分は、相手に対して強い立場である」
ということに胡坐をかき、それ以上に、
「自分に対しての驕りが強い」
ということなのである。
それを思うと、
「明日は我が身」
であったり、
「因果応報」
という言葉を感じずにはいられないというものだ。
ミステリー小説などでよくあることとして、
「一度、警察が捜索した場所というのが、一番発見されにくい」
ということである。
警察というのは、それなりに、自分たちに自信を持っている。
「国家権力」
というものを笠に着るということになるからであろう。
そういう意味で、
「かしこい犯人」
というのは、絶えず警察の裏を掻くということを狙っているので、案外と楽に裏を掻くことなど簡単にできてしまうのであろう。
しかも、
「普段からしている方は、されることを分かっていない」
ということで、
「まさか、警察の上前を撥ねよう」
などということはないだろうと思っているに違いない。
そんなことを考えていると、
「必要以上に、余計なことを考えてしまうのだろう」
と感じた。
ゆいかは、今自分の頭の中が、
「カオスになっている」
ということを感じているのだろうか?
中に誰かがいるということを感じながら、さっきまで、
「モンスターピアレント」
を思い出していたということを、失念するところだった。
本当は、思い出したくもないと思っていることなのかも知れないが、それだけではないのかも知れない。
一つ言えることは、
「父親の気持ちを知ることなく、父親が死んでしまったことに、後悔があった」
ということであった。
作品名:石ころによる家畜の改造 作家名:森本晃次