石ころによる家畜の改造
「デリカシーもないくせに、家族だからなどという理不尽で何の説得力もない話に、よくもまあ、それを当たり前のことだと思うなんて、どうかしている」
と感じていた。
だから、最初は、
「親なんてそんなものだ」
と思っていたが、中学、高校生になってくると、進路の問題であったり、
「未成年者に対しての、法定代理人」
つまりは、
「親権者」
としての、立場が問題になってくる。
「親だから」
ということで、ゆいかの時代は許されていた。
今であれば、
「虐待」
という問題があることで、いくら、
「保護者」
という名の、
「親権者」
であっても、児童相談所や、自治体などが、
「とんでもない親」
というものから、保護するということも実際にあるのであった。
それは、しかし、一部であり、実際には、
「児童相談所と自治体の不手際:
というものから、間に合わず、
「虐待によって、児童が殺されてしまう」
という悲劇は、日常茶飯事であった。
そんな状態において、
「虐待」
ということが問題になっているので、
「警察の介入もやむなし」
ということにならないのだろうか?
児童相談所や自治体の、
「つまらない意地やプライド」
で、後手後手に回ることで、大切な命が奪われるというのは、本当にいいことなのだろうか?」
本来であれば、子供と大人を切り離し、
「そんなひどい親」
最近では、
「モンスターピアレント」
という言葉のような、まさにそんな状態になっているのだ。
そんな親は、まず、精神鑑定を行い、
「精神疾患だ」
ということであれば、隔離して、治療を行わないといけないだろう。
そんな人間を野放しにするとどうなるか?
ということは、小学生にだって分かりそうなものである。
そして、
「正常で、犯罪者として判断能力がある」
ということになれば、
「それなりの法律によって、裁かれることになる」
ということだ。
そうなると、どちらにしても、
「親権のはく奪」
は当たり前のことで、
「一人の人間として、一人の人間に犯罪行為を働いた」
ということになるのだ。
昔であれば、
「尊厳犯罪」
というようなものがあり、
「肉親が犯した犯罪は、さらに強い罪に処せられる」
というものがあった。
それは、例えば、
「親が子供を」
「子供が親を」
殺したなどということであれば、昔だったら、
「よくて、無期懲役、悪くて死刑」
と言われていたのであった。
今では、
「法の下の平等」
という観点から、
「それはおかしい」
ということになり、刑法から削除されたが、年配の人は、いまだに、
「その法律が生きている」
と思っている人は多いだろう。
それを考えると、
「私の親は、本当に昔人間だったんだ」
ということを感じた。
今の時代ほどひどくはないが、
「親の威厳」
というものをひけらかしていたことに違いない。
実際に、昔の親には、口でいうだけの権威のようなものが備わっていた。
しかし、今は親が頼りなくなっているのは間違いないし、さらに子供が、意見を主張するようになっていることから、親の立場が失墜しているのが、普通のことになってしまった。
しかし、親の中には、
「自分が親になった時、自分が受けてきた仕打ちを、今度は自分の子供に」
ということで、
「モンスターに変わってしまう」
という親が増えたことだろう。
昔の、
「オオカミ男」
の話ではないが、
「月を見ると、モンスターに変わってしまう」
ということで、それがオオカミだったということで、
「オオカミ男」
と言われるようになったのだろう。
そんな親への反発は、静かに燃えるものであった。
まわりから見れば、
「何かおかしな家族関係だ」
とは思っていただろう。
しかし、家ではまったく口も利かず、どちらかというと、
「にらみ合っている」
ということで、一触即発の様相を呈していたのだ。
だから、二人とも、
「意地の張り合い」
であり、
「意地を張ることで、自分の主張を示しているつもりでいるが、実際に相手に通じていない」
といえるだろう。
「つまりは、どっちもどっちなのだ」
ということを、大学生になって、ゆいかは感じた。
「高校を卒業したら、就職して、一人暮らしを始めよう」
と思っていたが、父親が、高校2年生の時に、亡くなった。
母親が、
「保険金があるから、大学くらい出ておきなさい」
と言われたが、さすがにこの年齢になって、
「いまさら、大学受験はきついので、専門学校くらい」
ということで、
「情報処理の学校」
に行ったのだった。
運命の出会い
元々、頭は悪くなかったので、プログラムを作ったりすることは得意で、その実力はなかなかなものということで、就職も、今の会社に入れたのだった。
一応、単独でも、地元大手といってもいいところであったのだが、かつての、財閥系のグループ傘下に入ったことで、給与面は、かなりいい方になっていたのだ。
だから、今から思えば、
「学生時代よりも、今の方が、はるかに充実している」
と思うのだった。
ただ、どうしても、
「孤独」
ということと、
「まわりからの束縛」
というものに対しての、
「トラウマ」
が消えるわけではなく、
「ちょっとしたことで、トラウマを思い出す」
という状態になったのだった。
そんな自分を、一度、
「精神疾患があるのかも知れない」
と思って精神科を訪れたことがあった。
その時は、
「あなたには、強烈阿トラウマがあるようですが、だからといって、精神疾患というわけではないですね」
という診断であった。
それを聞いて、
「安心した」
という感覚であったが、安心というよりも、どちらかというと、
「拍子抜けした」
と言った方がいいかも知れない。
別に、
「精神疾患」
というものであっても、なくても、自分にはあまり関係ないと思っていたのだが、それは大きな間違いだったようだ。
「精神疾患であれば、保証も受けられる」
ということをきいたが、それを公表することでのリスク、デメリットもあるということになるであろう。
そのことを考えると、ゆいかは、
「あまり、精神科に顔を出すのはやめておこう」
と思うのだった。
ゆいかは、他の人と、考え方が違う。
他の人だったら、
「精神疾患がバレると、絶対に差別される」
と思って、自分が精神疾患であるということを認めたくないと思うに違いない。
しかし、ゆいかの場合は、
「まずは自分のことを知らないと、何もできないではないか?」
ということから始まるということであった。
だから、最初に病院に行ったのだが、そこで、自分の立場や周りのことを考えたのだ。
それが、ゆいかのいいところでもあり、悪いところでもあるだろう。
一長一短な長所と短所、
「背中合わせ」
ということでもあり、
「紙一重だ」
ともいわれるのだろう。
「モンスターピアレント」
作品名:石ころによる家畜の改造 作家名:森本晃次