石ころによる家畜の改造
「思い出そう」
と考えると、そこで浮かんできたのが、
「サナトリウム」
だったのだ。
サナトリウムの夢は、
「最近見たことがあるような気がする」
と感じたことで、これが、デジャブではないかと思うと、目が覚めるまでに、結構いろいろと考えていたように思えたのだった。
サナトリウムというのをテレビで見たと感じると。
「自分が、見たテレビの内容を、もう一度見ることになる」
という、根拠のない思いが頭に浮かんできた。
最近では、テレビで、
「再放送」
というのがあまりなくなってきた。
そもそも、
「ドラマ」
というのも、あまりあるわけではなく、秋や春の、
「特別番組」
ということで放送されることがほとんどであった。
一定のドラマ枠はあるが、昔のように、
「1時間番組」
や、
「2時間サスペンス」
のようなものが姿を消し、
「30分番組」
として、しかも、深夜枠で放送されることが多かった。
それに、以前は、
「原作というと、小説」
であったのだが、最近では、
「人気コミック」
であったり、
「ネットで話題のネット小説」
と呼ばれるものばかりになったのだ。
ただ、昔からの
「脚本家オリジナル作品」
も一定数ある。
しかし、90年代の、ブームであった。
「トレンディドラマ」
と言われた、売れっ子尾脚本家数名が、引っ張りだこのようになって、脚本を書いていた時代は、今は昔である。
あの頃は、
「トレンディ俳優」
ということで、数人の男優であったり、女優が、人気で、こちらも、各放送局から、引っ張りだこだったのだ。
そんな時代は、
「ゴールデンといえば、ドラマ枠でひしめいていた」
という時代だった。
当時は、
「野球枠」
というものがあり、延長になったりして、
「せっかくビデオをセットしておいたのに」
ということがないように、ビデオも、
「30分延長枠」
という仕掛けを作り、
「30分だけ延長しても、最後まで入るようにしていた」
というのだ。
今のレコーダーと違い、当時のビデオ予約は、
「チャンネルを設定し、その後に、開始時間と終了時間を設定するということであったので、最初から30分延長させている人もいただろう」
と思う。
しかし、その後に、
「番組を直接録画する、Gコード予約」
というものにしておくと、たぶん、
「放送局の都合で延長になった」
という、ギリギリのところでは、どうしようもなかったのだろう。
そんなことを、自分たちよりも前の世代の人はしていたんだろうと思うのだった。
そんなトレンディドラマが、ある意味、
「テレビの絶頂期だった」
といえるかも知れない。
前述の、
「野球の30分延長問題」
というのがあったが、これは、ドラマを見る側というよりも、野球を見る方としても、イライラものだった。
なぜなら、
「30分延長では終わらない」
ということがあったからだ。
しかも、
「テレビ放送をするのは、地元の球団ではなく、視聴率が取れる、別に強くもなくとも、人気があるだけのチームを贔屓するかのように放映していた」
ということが問題だった。
女、子供の、
「あまり野球を知らない人は、そのチームしか知らないということで、贔屓をすることになる」
しかし、時代は、
「地元に根付いた球団経営」
ということで、以前では、
「東京、大阪」
という二大都市の近くに球団が集中していたのだが、次第に、九州、東北、さらには、北海道にも、
「おらが町の球団」
というものが増えてきた。
これは、
「サッカーのプロ化」
ということで、
「Jリーグ」
というものが開幕したことにも影響があるかも知れない。
「サッカーチームは、親会社の利益よりも、世界に通用する選手の育成と、地域に根差したクラブチームの経営を目指す」
とかいうような形で、生まれ、数年は、かなりの人気があったものだ。
初年度などは、チケットというと、
「プラチナチケット」
と呼ばれ、そのチケットの問題で。
「殺人事件」
というのまで発生したくらいだった。
そういう意味で、プロ野球もサッカーも、
「地元のチーム」
として脚光を浴びるのだが、テレビ局は相変わらずだった。
そこで、出てきたのが、
「衛星放送」
における、
「贔屓チームのチャンネル化」
というものだった。
「月額1000円以下で、ひいきチームのフランチャイズでの試合を、試合開始から終了まで漏らさずに放送する」
というものであった。
それも、試合開始前から、選手のインタビィーであったり、球場の案内であったり、
「ファンのためになるコマーシャル」
のような放送を行い、試合終了後も、
「ヒーローインタビュー」
はもちろん、
「勝利のセレモニー」
であったり、試合のハイライトなども、しっかり放送するのだ。
ファンとしては、これほどありがたいものはない。
そうなると、民法の、
「視聴率が取れるだけのひいきチームしか放送しない」
というやり方がバカバカしくなり、
「誰が民放など見るか?」
ということになるのだ。
実際に、
「ドラマ専用」
「昔の映画などの専用」
というチャンネルに登録しておけば、
「見たくもないが、それしかない」
という民放を見る必要などない。
というものだ。
それを考えると、
「ドラマも、野球も、ゴールデンからなくなった」
という民放が何をやっているかというと、
「芸人タレントが出てきて、旅行に行ったり、バラエティ豊かだが、教養が出るというわけでもないクイズ番組をしたりして、そこに、人気俳優をゲストで招けば、少しは視聴率が取れるというものだ」
極めつけが、情報番組である。
「売れなくなったタレントをコメンテイターとして使って、ネットで炎上するようなことを言わせるような番組を作る」
というのだから、
「放送界というのも、地に落ちた」
といってもいいかも知れない。
そんなことをいろいろ考えていたのだが、宴会も気付けばたけなわになっていた。
実際に、
「いつ始まったのか?」
と思うほどで、始まったという意識はあるのだが、いつから始まって、今どのような状態なのかというのが、自分で定かではなかったのだ。
「宴会というと、もっと分かりやすいものだと思っていたのにな」
と考えたが、宴会というと、どうしても、忘年会のイメージがある。
忘年会というと、華僑なのは、11月くらいで、
「これから、繁忙期に入って忙しくなるので、その前に一年の労をねぎらっての忘年会を行う」
ということだったのだ。
そんな状態での忘年会というと、
「また、これから大変な時期がやってきた」
ということで、できることなら、
「最後の打ち上げ」
ということで、忘年会を催してくれるのであれば、まだいいと思うのだ。
しかし、人間というのは不思議なもので、そうなったら、そうなったで、テンションが下がってしまう。
というのも、
「せっかく年末の最後の仕事が終わったのだから、そこからは、一刻も早く会社を離れて、自分の時間を作りたい」
と思うのだ。
限られた、
「年末年始の休み」
作品名:石ころによる家畜の改造 作家名:森本晃次