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石ころによる家畜の改造

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 この石ころというのは、
「人に見られているのに、誰からも気にされない」
 つまりは、気配を消しているという感覚である。
 だから、目の前にいても、誰も気にしない。
「河原にある石の一つのようなものだ」
 ということだ。
 どちらにしても、
「相手に、意識させない」
 ということでは、その効は絶大で、それは、無意識にも見えるが、意識的なものもあるだろう。
 もっとも、石というのは、生物ではないので、意識も何もないのだろうが、それだけに、
「気配を消す」
 ということができるということは、
「逆に何かが宿っている」
 といってもいいのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「石ころ」
 と、
「卑怯なコウモリ」
 というのは、
「似て非なるものだ」
 といってもいいだろう。
 この時、チャックインした男性の名前は、
「秋月昭文」
 という。
 彼は、一人旅であったが、
「いかにも一人旅が似合いそうな男性」
 であった。
「この人に、連れがあるなどというと、却って気持ち悪いわね」
 と、仲居さんたちの話であった。
「そんな、人の陰口を叩くものじゃない」
 と、仲居頭の人に言われたが、実際に仲居頭も気になっていた。
「そうよね。でも、あの人は、少し気を付けておいた方がいいかもね?」
 といって、逆の意味で、釘を指すのだった。
 他の仲居さんたちも、
「こういう時にどうすればいいのか?」
 ということは分かっているので、何も言わないでいるのであった。
 仲居さんたちだけが、その男を気にしていた。
 それは、やはり、
「商売上」
 ということでの意識であって、それ以上でも、それ以下でもなかった。
 だが、その男性のことが何となくであるが、木にしたのは、他でもない、
「ゆいか」
 だったのだ。
 彼女は、動物に癒される温泉から出た時、ロビーでちょうど、チェックインするその男を見たのだ。
「どうしてその男が気になったのか?」
 というと、
「どこかで見たことがあったような気がする」
 と感じたからであった。
 それがいつのことだったのかも分からない。
 しかも、それが気になってくると、どんどん、意識が薄れてくるのを感じたのだ。
「何か、反対の意識のようだ」
 という不思議な感覚だったのだ。
 だから、どこかで見たという、その
「どこか」
 というのは、
「現実のことだった」
 というのか、
「夢うつつだったのか?」
 というのか。
「本当の夢の中だったのか?」
 というのか、そのどれでもないかのようにさえ思えるくらいだった。
「こういうのを、デジャブ」
 というのかしら?
 と思った。
 デジャブというのは、ハッキリと、どういうものなのかというのは分からない。
「科学的に正確に証明がなされていない」
 ということからなのであろう。
 ただ、それを正確にどういえばいいのかということになると、
「もし、理屈が分かっている学者がいたとしても、説明を理論的にできるかどうか?」
 と言われれば難しいに違いない。
 デジャブというものを。ゆいかは、自分なりに、
「辻褄合わせのようなものだ」
 と思っている。
 辻褄合わせというのは、理屈として、
「以前に見たことがある、行ったことがある」
 と考えることが終点ではなく、そう考えたのには、何かその後で自分に起きることなのではないかと思うのだった。
 だから、
「見たり聞いたりしたと思っていることが、まるで、予知能力の表れだ」
 と思えば、こちらの中での
「辻褄が合う」
 というものだ。
「人間というものは、自分の中の能力の、10パーセントほどしか使ってない」
 という。
 それは、
「脳の中における力」
 ということで、奇しくも、
「能の力」
 である、
「能力」
 と、
「脳の力」
 である、
「脳力」
 というものを合わせて考えると、意外と、
「デジャブというのも、理解できないこともないのかも知れない」
 ということだが、
「これを口で説明せよ」
 と言われると、難しいことになるのであろう。
 確かに口で説明するには、相手の理解力の問題もあるので、
「どこまで科学的なことに、造詣が深いか?」
 ということになる。
 科学的なこととして、SF小説であっても、いいと思っている。
 つまり、実際に、完璧に説明できることというのは、ハッキリとしていないのだ。
 中には、
「精神的な疾患だ」
 ということで、その疾患がいかなるものなのかということも証明されていないことで、無理やり、精神疾患として、診断をし、
「合うかどうか分からない」
 というような薬を投与されないとも限らない。
 今は、そのような精神疾患を持っている人はたくさんいるので、問題になるような誤診が起これば、そこは結構騒がれることになるだろう。
 それを考えると、精神科の医者というのも結構対応が難しい。
 昔のように、何でもかんでも、精神疾患患者で重症の人は、
「監獄のような檻のついた独房に入れられる」
 というようなことがあってはいけないだろう。
 昔の病院を知っている人は、
「サナトリウム」
 という表現を使うだろう。
 以前、
「奇妙なお話」
 という感じの、ホラーなのか、オカルトなのかというお話の中で、
「サナトリウム」
 というのが出てきて、その時代もハッキリとはしないので、それがその時の、
「現代」
 なのか、実際に、
「結核病棟」
 として、まだまだ現役だったサナトリウムなのか分からないが、そんな施設を、
「精神病患者」
 としての、まるで、
「隔離病棟」
 としていたのだ。
 元々、結核患者に、
「サナトリウム」
 というのを作ったのは、
「結核というのが、伝染病」
 だったからである。
 しかも、結核というと、
「特効薬がない時代」
 で、長らく、
「不治の病」
 として恐れられていたものだ。
 何と言っても、それまで普通に話をしていた人が、いきなり、
「吐血する」
 というのである。
 その症状は、毒が身体に回って死ぬというのと非常によく似ているので、最初は
「結核なのか、毒によるものなのか?」
 ということが分からなかっただろう。
 確かに、毒であれば、
「もうこの時点で、死は時間の問題だ」
 ということになる。
 しかし、結核だと診断されたとしても、
「不治の病」
 なのだから、冷静になって考えれば、
「助かる命ではない」
 ということになるのだ。
「余命が半年か一年か?」
 というだけの違いで、特効薬ができるまでは、本当に
「死の病だった」
 といってもいいだろう。
 今では、
「ストレプトマイシン」
 を最初として、特効薬もいろいろある。
「結核というと、治る病気ということで、手術をしなくとも、投薬で治る」
 というところまで来ているのだ。
 そう考えると、ストレプトマイシンなどの発揮縁は素晴らしい」
 といえるのではないだろうか?
 そんなサナトリウムのようなものが、夢に出てきたかのように感じた、ゆいかであったが、目が覚めるにしたがって、
「ああ、夢だったんだ」
 と思い、覚えていない夢だとは思ったが、
「楽しい夢だった」
 とは思わなかった。
 だから、