小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

化け猫地蔵堂 2巻 3話 川船女郎

INDEX|5ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

 料理屋の明かりも川舟の灯も消える。
 タキも海老造も蒲鉾型の屋根の下で眠っている。
《タキ、海老造起きろ》
 屋根の上から声がした。

《タキさん、起きなさい。聞いてますか。あなたはこのまえ、お助け地蔵に願をかけにきましたね》
《よく聞けタキ。明日も明後日も商人風情の客がくる。ところが今日から四日日たったら、金を忘れていった男たちがまたやってくる。そのとき、来た男たちにその金をそっくり差しだすんだ。そうすれば、その金はぜんぶお前のものになる》

 タキは、自分に語りかけてくる声を聞いた。
 なにごとかと舟の外に這い出た。
 海老造も反対側の出口から外に出た。
「海老造さん、いま声が聞こえたけど」
「ああ、たしかに聞いたぜ」

 海老造は金壺眼を凝らし、凹凸のあるぶつぶつの顔で橋を見あげた。
 頭上の橋の上には、最近目につく二匹の猫がいるばかりだった。
 赤茶のからだにうっすらと黒い縞模様のある顎髯のトラ猫と、頬毛をふくらませ顔の鼻の下半分と喉と腹に白い模様のあるブチ猫である。

 月でも眺めているのか、心地よさそうに二匹で肩を寄せ合っている。
「おいそこの猫。いま声がしたけど、だれが喋ったのかわかるか?」
 海老造が顎をあげて訊く。
 もちろん猫は応えない。
 仲良く両前足をそろえて空を仰いでいる。

 二人の影が鉾型の屋根のなかにひっこんだ。
 するとまた人の声がした。
《わすれるなよ。金は返すのだ。だが男たちは受け取らない。金はみんなタキのものになる。金は二人で分けるがいい。タキが六、海老造が四だ》

《タキさんはそれで故郷に帰れます》
《海老造はそれで商売ができるようになる》
《残念ながら連中の心はみんな小さい。大した人物ではない》
《タキさんは、故郷に帰って義助と暮らすがいいでしょう》

《ひとつ注意をしておくが、そんな客がいつもあると思ってはいけない。独立心に燃えた何人かがいるだけで、初めの四日ぐらいが限度だ》
《転がり込んでくるお金に期待するようになると、いつか身を崩します。限度をわきまえ、さっと切り上げなさい。いいですか、わかったら返事をしてください》
「はい」
 素直なタキの声だった。
 海老造の声も低く重なった。

 トラ猫とブチ猫の二匹は、満足して腰をあげた。
 タキと海老造が再び外をのぞいたとき、橋の上にしゃがんでいた二匹の 赤茶のトラとブチ猫が、連れだって立ち去るところだった。


 銭屋の贋伊勢吉の五六太は、中仙道を走った。
 いくつもの川や山を越えた。
 あれから五日ほどたち、堀に浮かぶ海老造の舟を見つけて聞くと『仕事は休みだ。タキなら故郷に帰った』と言われたのだ。

『故郷はどこだ』『小諸の奥でございます』『いつ出発した』『一日まえです』『いまからいけば、追いつけるか』『運がよければ』
 女郎に逃げられたような川舟の船頭なのに、うれしそうに教えたくれた。
 五六太はもう一度、郷と村の名を確かめた。
 よおし、と駆けだした。

「仕事なんか、うっちゃっちゃえ、またどこかの店でやりなおしてやらあ、タキはおれに惚れてたんだ、おれは本気だ」
 はじめは菱屋の伊勢吉と名乗り、ようすをうかがった。
 だが、今はためらいなどなかった。

 小さな店からはじめ、二人で大きくするのだ。
 五六太は三日間、夢中で手足を動かした。
 どんどん走った。
 タキが故郷に着かないうち、捕まえたかった。

 小田井(おだい)から小諸にむかう。
 タキの故郷は寸前だった。
 峠を登る。峠のむこうが中里村だ。
 反対側からきた土地の者がそう教えてくれた。
 中里村はタキの村である。

 五六太は松並木の道からはずれ、丘に立った。
 眼下に平野がひろがっていた。
 田圃だった。稲が穂を実らせていた。
 タキとはついに出会わなかった。

 がっくり膝を着こうしたときだった。
「わあ、よく実ってる。今年の稲はいいでえ」
 足もとの松の木陰からだった。女の声だった。
 下の道の赤松の陰に、編笠をかぶり、紺の着物を着た女が立っていた。

 腰を据えて両手を口に当て、タキさーん、と五六太が大声で呼ぼうとしたとき、義作さーん、とタキが叫んだ。
 勢いあまった五六太は、足もとの湿った粘土質の斜面を滑り落ちた。
「タキさん、おれだあ」
タキは、突然名を呼ばれた。そして、なに者かが自分の脚にすがりついてきたのだ。

 タキは悲鳴をあげ、ばたばた足を踏んだ。
 着物の裾が割れ、股の間から額に泥をつけた男が顔をのぞかせた。
「あ、二両の、伊勢吉さん。どうしてこんなところに」
「に、二両の伊勢吉さんなんて呼び方、やめてくれ。おれは五六太だ」

 五六太は脚の間から這いだし、からだを起こした。
 タキは五六太の出現に、ただ目を瞠(みは)っていた。
「タキさん、お、おれは」
 五六太は、はあはあと息を切らすように問いかけた。

「あんた、わたしを追ってきたんだね」
 タキが悲しそうにうなずいた。
「船頭に聞いたら、ちょっとまえに故郷に帰った、と言うから、さようならの一言を告げようと思って後を追ったんだ。すぐに追いつくつもりだったけど、もうちょっともちょっと、とうとうここまで来てしまった」
 はははは、と空笑いをし、五六太は頭を掻く。

「わざわざありがとう。本物の伊勢吉さんて人がきて、あんたのこと、いろいろ言ってた。でもわたし、あんたを忘れない。だってわたし、あんたのこと好きだったんだもん」
 タキが編笠の下の目をちらっと伏せた。
 額と頬を泥で汚した五六太が、うんうんとうなずく。

「でも、二両の伊勢……いいえ銭屋の五六太さん。わたしは、村でまっている義作って人のところに帰るんです」
 編笠をあおがせ、タキは眼下の田圃を見守った。
 頬に、黄色くなりかけた稲穂と太陽の日ざしが映えた。

「そういう事情なら、船頭の海老造さんから聞いて、おれだって知ってらあ」
 五六太は泥をつけた額に手をあて、一緒に稲穂の波の輝きをあおいだ。
 髪は乱れ、首筋には汗が光っていた。
 五六太は義作に似ていた。

 義作よりもからだは細く、鼻筋がとおり、男前だった。
 五六太と出会ったとき、タキはおどろいた。
 自分をからめとるような人なつっこい優しい性格にもひかれた。
 しかし、村の義作はただの恋人ではなかった。
 病気の両親や幼い弟や妹の面倒をみてくれているのだ。

「わたしの家はあの田圃のなかにあります。二両はお返しいたします。どうか見逃してください」
 タキは編笠をかぶった頭をさげ、懐から金をだそうとした。

「ばかいうねえ。みんなが承知してタキさんにやった金じゃねえか。おいらはタキさんの姿をもう一度、拝みたかっただけだ。タキさんが幸せになってくれるんなら、それでもう満足ってもんだ。望みどおりになったんだし、もういいや。元気に家に帰ってくれ。お父っつあんもお母さんも弟さんも妹さんも、それに義作さんもよろこばあ」

 五六太はタキの華奢な肩を掴み、からだのむきを変えた。
 自分のほうではなく、反対側にだ。
 掌にタキを抱いたときの感触がよみがえった。
 五六太はタキの背中を押した。