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化け猫地蔵堂 2巻 3話 川船女郎

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トラとブチの猫は、うなずきあって手を揉んだ。

6 
 橋の上には、赤茶の白ブチ猫しかいなかった。
 なにかを期待するように、ゆったりと腰を下している。
 橋の下には小舟が浮かんでいる。

「海老造さん、お金、届けないでもいいのかい?」
「いいよ。三、四日まって、失くしたって言ってくる者がいたら返せばいい」
 舟の中の会話が聞こえる。
「なくしたって、言ってこなかったら?」
「そのときはおれたちのものにするさ」
「……」

「あのな、おめえだってはやく金を貯め、故郷に帰りてえだろう?」
「帰りてえ。妹や弟やおっかさんや、おとっつあんに会いてえ。義助とひとつ布団んなかでほかほかして眠りてえ」
 タキは、すなおに語る。

「おれだって川風が身にしみる歳だ。川の流れに三十年も竿差してりゃ、心身ともにくたびれてくらあ。あと二十両もあれば舟を自分のものにして、蔵前から米を仕入れて川筋で商売ができるんだがなあ」
 海老造は、小舟で堀川を行き来するまっとうな商人になりたかったのだ。

「じゃあ、お金忘れてった人、来ないほうがいいような気がするんだけど」
「そこなんだよタキ。それが一概にそうも言えねえんだよ。だから苦労してんだ」
 もしタキが玉の輿で、店が繁盛でもしたら、たんまり礼がもらえる。
 初の船頭だった男は礼金をもらって身内扱いになり、福屋の店の案内係をしている。

 その歳になると、目先の銭よりも将来の安泰のほうがいい。
「いまごろお金を忘れていった四人の男の人たち、どうしているかねえ」
 タキはまだ真相を理解していない。

 外が暗くなった。
 堀川の岸辺に、草の生えた四畳半ほどの空き地があった。
 料理屋と飯屋の間のその空き地は、通りかかる酔っ払いが股ぐらをさぐり、小便をするのにちょうどよい場所だった。
 だから、そこにはいつも独特の臭いがたちこめていた。

 いま、その草の生えた空き地で、四人の男が眉根を寄せ、目をしょぼしょぼさせていた。
 漂う気体が目と鼻を刺激していることもあったが、四人は互いに日本橋で働いていて顔見知りでもあった。
 ばつが悪かったのである。

「あれ? 菱屋の伊勢吉さん」
「なんだおめえ、向かいの銭屋の手代の五六太(ごろうた)じゃねえか。ははーん、二両の一件はおめえだな」
 菱屋の本物の伊勢吉の勘がひらめいた。

 いわれた細面の五郎太が頬を赤らめ、ふっと横をむく。
「そっちの旦那さんは、白木屋の番頭さんじゃありませんか」
 ほかの一人が、もう一人に声をかけた。
「ごほ、ごほ、ごほん。いやいや、これはこれは京橋の笹屋の忠兵衛さん。なんですかこんなところで」
「今日は、店が早引けでして。ん、ん、ごほ」

 空き地からは、橋の下に繋がれたタキの舟が見張れた。
 舟に提灯が灯ったら、さっそく出ていこうという魂胆である。
 はじめは一人、そしてまた一人と現れ、いつしか四人になっていた。
 噂が広がるといっても界隈が主であり、十人も二十人も一気に押し寄せるようなことはない。
 そこへさらにもう一人、跳び込んできた。

 男は赤い髪をしていた。
 ところどころに黒い毛が混じっている。
 ちょっと吊りあがり気味の切れ長の目だった。
 あたりでは見かけない顔である。

「やあ、みなさーん」
 みんなが嫌がるような、明るい声をだした。
 男たちは首をちぢめ、たがいに顔を盗み見た。
 赤毛の男は、そんなみんなを無視する。

「タキはいい女だよな。おれは四日前、三十両を忘れてきた。名は名乗らなかったが、いけば返してくれるだろう。みんな、すまねえが手を引いてくれ。タキを見つけたのはおれがいちばん先だ。だからタキはおれのもんだ」
 いきなり、宣言した。

 なんだこいつは、とみんなが顔をしかめた。
「ばかいうじゃねえ」
 贋伊勢吉の銭屋の五六太が応じた。

「おれは二両こっきりだったけど、タキを見つけたのはおれがいちばんだ。それでおれはもう二度も通ってんだ。おれの店はちっちゃくて給金もたいしたもんじゃあねえけど、おれにしてみれば二両は大金だ。決死の覚悟で全財産をつぎ込んだんだ。遊びなんかじゃねえ。それになんたってタキはおれに惚れてる」

 最後は、ちょっと声を落とした。
「あのな、このばあいは惚れてるだとか、いちばんに見つけただとか全財産だとか、そういう問題じゃねえ」
 ほかの一人が牽制する。

「おれは白木屋の番頭だが、半年後には暖簾分けが決まってる。タキはおれのところにくるのがいちばんだ。おれだったら、明日からだって船頭も一緒に面倒をみてやれるんだ」

「白木屋さん、今年のうちの売上はあんたんとこの三倍だ。わたしは笹屋の手代だが、給金も多いし、将来は大番頭も保証されてる。わたしにタキをくれたら、いまの笹屋を日本橋一の店にし、タキを大奥の女中よりももっと贅沢に案楽に暮らさせてやれるんだ」

「ふざけるな。三十両がなんでえ。白木屋がなんでえ、笹屋がなんでえ。やい、猫目の赤毛野郎もひっこみやがれ」
 菱屋の本物の伊勢吉だった。手にぺっと唾をはき、腕をまくる。
「まあまあまあまあ」

 最後に姿を見せた赤毛の男が、猫のような目で反笑いをした。
 そして懐から折り畳んだ紙を取りだした。
「みなさん。いろいろ御託を並べているようですが、みなさんはこういうものを用意して本当に覚悟を決めてやって来てるんだろうか。人を試そうというのだから、このくらいの決意は必要ですぜ」

 赤毛の男は、ひろげた紙をひらひらさせる。そして、ぐるっと一堂に見せつける。
 紙にはこう書かれていた。
『わたしは四日まえ、タキの舟に三十両を忘れた。もし金を自分のものにせず、店に届けてくれるか、つぎに行ったときに返してくれるような行為を示した場合は、殊勝な心掛けに免じ、忘れたその全額をタキ殿に与えるものなり。神田駿河台下、赤兵衛』

「こういう証文を揃え、タキを試してこそ男だ。なんの覚悟もなく、ああだこうだと一方的に決めつけるのは、礼をわきまえない無粋な者のやることだ。世間の笑いもんになる」
 高く証文をかざし、みんなに見せつける。

「礼をわきまえないやつは許せねえ」
 赤毛の男の声が、小さな空き地に鋭く響いた。
 黙って聞いていた一堂は、なんだか悪者になった気分だった。
 が、白木屋が言う。

「でもな、駿河台の赤毛。その紙をどうする気だ。自分で持ってたんじゃあ、意味がねえだろ」
 赤毛は心得たとばかりにうなずく。
「封印をして、この先の番小屋に預かってもらうのよ」
 赤毛は腰に矢立を提げ、懐には半紙ものぞかせていた。

「書いてやらあ、なんでぇそんなもの」
 銭屋の五六太が、貸せ、と矢立の筆と半紙をひったくった。
 さらさらと証文を書く。
 ほかの者も書かざるをえなかった。
「さあ、あとはタキがだれを選ぶかだな。そうだな、また四日後にこようぜ」
 赤毛が提案する。

 その晩、赤毛はさらに五人から証文を取った。
 噂を聞いてやってくる者がまだいるだろう。
 あと三日間、赤毛は空き地に通い、そこに陣取るつもりだ。
 証文はすべて、ちかくの番所に預けられる。

7 
 午前零時。
 江戸の町は完全に眠る。