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化け猫地蔵堂 2巻 3話 川船女郎

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 ごろうた、とタキが口籠もり、ふりかえりそうになった。
 だが坂道は急だった。
 タキは否応なく坂を下っていった。
「幸せになあ。もしなにかあったときのために、おれは三日間だけ、ここでまっていてやるからなあ。三日間だけだぞう」

 五六太はタキのうしろ姿に叫んだ。
 五六太も百姓の出だった。
 子供のころ、自分の村の娘が身売りされた。
 娘は三年の年月を経、綺麗になって戻ってきた。

 村の一家は娘の稼ぎで借金を返し、田畑を買い、人なみの暮らしを手に入れた。
 ところが身内たちは、多くの男を相手にした女だ、
 穢れの底で生きてきた女だと、娘と口をきかなかった。
 やがて病を得た娘は、村はずれの小屋に隔離された。

 数ヵ月後、娘は病の苦しさから逃れるため、自ら谷に身を投げた。
『もしかしたらタキだって同じ目にあわないとも限らない。許嫁なんていったって、本当はどう思っているのかわかったもんじゃない。家の者だってタキがもってきた銭を手にしたら、汚れた女に用はない、なんて考えるかもしれない。人間なんてうすっぺらな木の葉のようだから、風の加減でひらりとめくれ、かんたんに裏を見せる』

 五六太は丘の古木の下にしゃがんだ。
 斜面で足を滑らせたときに膝頭を痛めていたので、傷を治すのにもちょうどよかった。
 懐には、途中で買い求めた干飯(ほしい)がまだ二、三日分残っていた。

 木立に囲まれた村は、朝、昼、晩、のんびり煙をのぼらせた。
 五六太が生まれ、両親が住んでいる村と同じだった。
 五六太は、つぎの日も一日じゅう村に目を凝らしていた。
 鳶が村の上を飛び、牛車がむこうの道に消えた。

 田圃のなかの一本道を何度か男や女がやってきた。
 が、街道に通じる丘のふもとで右や左にそれた。
 つぎの日の昼、色とりどりの着物を着、笠をかぶった一団が現れた。
 男たちが奏でる楽器にあわせ、田圃の雑草をとりだした。

 田楽である。その男女のなかに、タキがいるかどうかはわからなかった。
 夕方になった。
 仕事を終えた草取りの一団とともに、幟をたてた一行が、むこうの丘の麓の赤い鳥居をくぐった。
 神社である。笛や太鼓の音が夜遅くまで響いた。

「タキよ、きっと来てくれ」
 さいごの三日めだった。
 太陽がかたむき、平野に赤みが射した。
『タキのやつ、まさか村で幸せになってしまったんじゃないだろうな』
 五六太の心に不安が湧いた。

 とうとう陽が沈んだ。
 五六太は唇を噛み、田圃のなかの一本道を見守った。
 だが、まだ完全に日が暮れた訳ではなかった。
『タキは、日が暮れるまえにきっと現れる』
 すると、田圃の道にぽつり、一人の女が姿を現わした。

 女は一本道を走ってきた。
 どんどん、近づいた。
「タキだ。やっぱり村人たちは……」
 小柄なタキの姿がはっきりしてきた。
『おーい、タキさーん』
 五六太は腰をあげ、声にはださず、手をふった。
 三日間そこにまっていてよかったと思った。
 タキは自分のところに戻ってきたのだ。
 子供のころの村でのできごとがふっと思いだされ、胸が詰まった。

9 
「──というような訳なんです。お助け猫地蔵様」
 五六太はお地蔵様に頭をさげた。
 頬がくぼみ、目も色を失っていた。
 旅から帰ったところで、頭も着物も泥と埃にまみれていた。

《というような訳なんですって、なにが、というような訳なんだい?》
《タキさんを連れていないじゃないか?》
 ブチとトラが地蔵堂の境内を見わたした。
じれて尻尾の先をひねった。

 突然、五六太が、立ったまましゃくりだした。
 右の二の腕を眼窩にあて、涙を拭った。
「タキのやつ、村のみんなに快く受け入れられてしまいやがった。義作のやつが先頭にたって御祓いをしたり、魔除けの祀ごとをやったりしてタキを迎え、村人たちを納得させてしまいやがったんだ」

 田圃の道を駆けてきたタキは、五六太にいきさつを話し、最後にこう告げた。
『お江戸に帰ったら坂の下のお助け猫地蔵様にお礼を言ってください。お かげさまで幸せにやっていけそうですって。わたし五六太さんのことは忘れない。一生胸のなかにしまっておく。さようなら』

「そんな訳で、タキのやつ、思わぬ幸せ者になってしまいやがったんだ。ちくしょうめ」
 五六太は唇を噛み、うらめしそうに猫地蔵を見おろした。
 お地蔵様は赤い涎掛けをつけ、胸を反らしている。
 うっすらと笑ったような顔つきだ。

「みんな、お前さんのお陰なんだとよ」
 恨めしそうにつぶやく。
 しばらくお地蔵様を見守ってから、五六太はまた言った。
「ま、いいか」
 そうしてくるっと背をむけ、石畳を踏み、地蔵堂をあとにした。

 その後も五六太は銭屋で手代を勤めているから、旦那に大目玉は食らったものの、許されてまたもとの鞘におさまったようだった。
 運命には、目に見えない意思の力の働きのようなものがあるのだと、ト ラ猫とブチ猫は思った。
 タキの心の奥底には、いつも明るい希望のようなものがあった。
 だからタキは村に帰り、なるべくして幸せになったのだ。

 地蔵堂の庭の椎の木をゆらし、風が吹いた。
 朝顔の浴衣の裾からのぞく、タキの白い膝小僧がトラとブチの目に浮んだ。
 海老造は堀川で舟を流していた。
 川筋のほかの舟や岸の家々に、米や野菜を売っているのだった。

●2巻了(3巻へ続く)