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化け猫地蔵堂 2巻 3話 川船女郎

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 舟はあたらしい客を乗せ、岸をはなれた。
 とにかくは商売である。
 客をおろし、また戻ってくる。
「たんへだ。こんどは十両だよ海老造さん」
 タキの声がうわずっていた。

「今度は、じゅ、十両。うーん」
 この道三十年の海老造が、重たくうめいた。
「どうなってんだ?」
「なんだかこわいよ、海老造さん」
《こんどは十両かよ?》
《‥‥なにか、訳があるんじゃないの》
 トラとブチも欄干の下で、にうーと呻く。

「海老造さん、番所(ばんしょ)に届けなくてもいいんですか?」
 タキは故郷で、小判なんか見たことのない生活をしてきた。
「ばかいうな。番所なんかに届けたら、みんなネコババされ小役人の連中の懐に入っちまわあ」
「あ、海老造さんその煙管」
「あっちち、逆さじゃねえか。ばかやろう」

 その夜、さらにもう一人の客がきた。また十両の金を忘れていった。
 舟に置き忘れた金は、全部で二十七両にもなった。
 二人の舟は夜更けまえに灯を消した。
 タキも海老造も、おどろきと興奮でいっぱいだった。
 床(とこ)についても茫然としているにちがいなかった。

 ほかの川舟も灯を消す。
 トラとブチにも訳がわからなかった。
 いままでの騒ぎを忘れ、川筋の繁華街も静寂に包まれた。
 商売の女性は、川筋にも岡場所にもたくさんいた。
 貧困の一言が彼女たちを縛りつけていたのだ。

 みんな、負けるなよ、とトラとブチは心のなかで励ました。
 もと化け猫のお助け猫と称しても、この世の不条理や矛盾にはかなわない。
 この世をつくった神様とやらが目の前にいたなら、いくらでも文句が言いたくなる。
 二匹も地蔵堂に帰り、一眠りした。

 住みなれた天井裏は、やはりほっとする。
  忍びこむ風が心地よい。
 江戸の夏も盛りをすぎ、草むら深く、遠慮がちに虫が鳴きだした。
《海老造って船頭、金をもって逃げてもよさそうなのに、どうしたんだろうね?》
 さっきからの最大の疑問だった。
《あいつはなにかを知ってるんだよ。それで迷ってんだ》

 天井裏で話しをしていると庭に足音がした。
 提灯をさげた男の影だった。
 夜中の参拝者は珍しくない。

「お助け地蔵様、とうとうわたしはいい女を見つけました。だから今日、十両を置いてきました。タキは加賀屋の福松んとこの初にも負けねえくれえ、いい女だった。あの女が、忘れた金を店まで正直に届けにきてくれるかどうか、あるいは次にいったときに返えしてくれるかどうか、そのどちらかでありますように。どうか、よろしくお願いもうしあげます」

 男の声だった。
《そうだよ、そうだったんだよ》
《なーるほどねえ》
 トラとブチの緑色の瞳が遠くに据えられた──。

5 
 三年まえの暮れだった。
 日本橋の呉服問屋、加賀屋の手代の福松は集金を終え、大川のほとりを歩いていた。何軒かの集金先で御馳走になり、酒もちょっと呑んだ。
 一年間、世話になったというお礼だった。

 小さな額の集金もすませ、不可能と思われていた大口からも回収できた。
 ほっとして気も緩んでいた。
 福松の目の前に、手拭で頬かむりをした男が立ちふさがっていた。
 大川(隅田川)の土手の上だ。

「旦那、川舟で熱燗なんかどうです。いい女ですよ。一息ついたところなんでしょう。ちょっとだけならいいじゃないですか」
 船頭は客の顔色を読んだ。福松の袖を掴み、離さなかった。
 福松は男の誘いにのった。
 得意先でごちそうになり、覚めでもあった。

 川舟で飲む熱燗は心地よかった。
 相手の女郎は無骨な船頭とは大違だった。
 誠実で気性のよさそうな女だった。
 福松は満足し、ほかほかした気分で舟からおりた。

 また土手を歩きだした。
 日本橋の通りに出、自分の店にちかづいた。
 福松は、はっとなった。懐が軽かったのだ。
 ばらの二十両のほうはあったが、大口の三十両の包がなくなっていた。

 川舟だ、と考えた。
 舟をおりるとき懐に手を入れ、確かめたような気がした。
 とにかく大川にもどり、河岸の枯れ草のなかに立った。
 月が凍っていた。
 つぎの客を乗せたのか、さっきの舟はどこにも見あたらなかった。

 歩いてきた道に落としていないかと、月明りに目を凝らした。
 夜道を大口の集金先までたどってみた。
 金はどこにもなかった。
 福松は何度も大川をのぞいた。

  重たげな冬の水面が黒光りしているだけだった。
 深夜はとっくに過ぎていた。
 加賀屋も、戻らない福松を案じていた。
 福松は仕事も真面目だったし、主人からの信用も篤(あつ)かった。

 いくらまっても帰らず、集金先に遣いを走らせてみた。
 すると、いったん集金をしたあと戻ってきて、金を忘れていったかどう かを確かめにきたという。

 以前、手代が持ち逃げ事件をおこした。
 金を無くしたと偽り、集金先を探すふりをした。
 時間かせぎをしたのだ。

 加賀屋は従業員を走らせ、福松を探した。
 以前の件もあり、夜が明けて姿を見せなかったら番所に届け出るつもりだった。
 とりあえず店を閉め、まつことにした。

 そのころ、金をなくした福松は、この場はいったん引き返し、すべてを主人に報告すべきだと考え、日本橋にむかい、歩きだした。
 加賀屋にちかづくと、月影に照らされた店のまえの防火用水の陰に、一 人の女が立っていた。

「もしや、あなたさんは」
「もしや、おまえさんは」
 福松は舟のなかで、ほろ酔い気分で自分の店の名を語った。
 女は初という名前だった。
 加賀屋に金を届けにきたのである。

 初が加賀谷にきてみると、店はぴたりと閉じられ、真っ暗だった。
 明日でなおしてこようと、迷っていたところだった。
 福松が帰ったというので、加賀屋の主人が起きてきた。
 福松は集金の金を差しだし、経緯を打ち明けた。

 すると店の主人が言った。
「世の中には殊勝な女がいるものだ。おまえはその人と巡り合う運命だったのだ。
 その女を嫁にし、独立するがいい。そういう心意気であれば店は必ず繁盛する」

 福松は川舟女郎を女房にし、店をもった。
 加賀屋の主人が言ったとおり、店は繁盛した。
 わずか一年半で店員が三人から三十人になった。十倍である。
 ──川舟女郎や川舟の船頭、江戸の商人たちに語られている逸話だった。

《海老造はこれを知っていたんだな》
 ほっとしたように牡のトラが牝のブチに語りかけた。
《贋の伊勢吉にもわかっていた。いい女だと思ったので、二両で試してみたんだね》
 苦笑いである。

《でも、ほかの店の名や他人の名を使うなんて、意気地がないねえ》
 訳がわかったブチも肩の力が抜け、笑顔である。
《自分の名を語られた菱屋の伊勢吉は、あの顔つきでは福松と初の話を知らないようすだけど、訪ねてきたタキを店の者が大勢見ていたので、噂はあっというまにひろがるね。夕べだって何人もの男がやってきたくらいだから、タキをめぐる争いが激しくなるかもしれないしね》

《伊勢吉を名乗った男は、菱屋の伊勢吉の隣とか向かいとか近くにいて、やってきたタキの姿を見ていたかもしれないね》
《明日の夜は、きっとおもしろいぞ》