答えを出してくれる歴史
それを考えると、
「これから、何年、いや、何十年後かには、AIの政治家や官僚が支配する世界になっていることだろう」
ということで、その時、
「人間は存在しているのかどうか?」
まるで、原始人のようになっているのかも知れない。
「何でもかんでも、AIにさせられることはすべてさせる」
ということになる。
もちろん、それは、AIが、最高の進化を遂げ、素晴らしい性能を発揮すればの話ではあったが、実際にそんな時代がやってくると、人間のやることはなくなってきた。
そうなると、次第に、身体も頭も劣化してくる。最初は人間が作っていたものを、すべてロボットやサイボーグに任せるようになると、そのうちに、人工知能も、
「自分から学習する」
という機能を入れて、さらに発展することになる。
するとどうだろう。人工知能が次第に、意識から、今度は意思を持つようになる。
「自分たちは、どうして、下等な人間に支配されなければいけないのだろうか?」
と考えるようになる。
そうなると、今度は、
「ロボットが、人間を支配する世界がやってくる」
というものだった。
「どこかで聞いたことがあるような」
と考えることだろう。
アニメやSF小説などでは、必ずといってもいいほど、テーマとなるもので、
「いずれ、ロボットが人間を支配する時代がやってくる」
というものだ。
しかし、それがないようにということで、今から半世紀以上前に考えられた、
「ロボット工学三原則」
というものを、組み込まれたロボットでなければいけないということを、人類は分かっているのだろうか?
正直、
「ロボットが人間を支配する」
というほどの時代が、今からどれだけ先のことになるか?
ということであるが、そこまでの科学力が、今の人類にあるかどうかである。
それに、
「ロボットに何でもやらせることで、人間としての機能が退化する」
という状態になるというのは、かなりのものだ。
実際に、人口知能が、意思を持つのと、人間が退化するのとの競争であろう。
人工知能が、進化することで、今度は人間の頭脳が退化しているといってもいい。つまりは、人間ができるであろう唯一の仕事まで、すべてロボットにやらせるようになると、実際には、もう、
「人間として終わりなのだ」
といえるだろう。
人間というものが、いかにひどいものなのかということを、人間が自分たちの作ったロボットに支配されるようになって、やっと気づくというのは、実に皮肉なことだ。
しかも、
「ロボット降格三原則」
というものを、過去の人が、
「未来への警鐘」
ということで示してくれているのに、それを無視して、あるいは、まったく考えずに、突き進んだりしなければ、こんな世界が来ることはなかったのだ。
「ロボット工学三原則」
というものは、こんな世界が来ないようにということで考えられたものだった。
「ロボットというものを、まだ実際に運用するということが頭の中で曖昧だった頃、つまりは、人工知能というものが、まだまだこれからの未来のものだということだった時代には、重要なことだっただろう」
つまりは、
「まだまだ未来のことなので、ゆっくりと考えればいい」
ということが頭にあり、人間はせっかく、ご先祖様が警鐘を鳴らしてくれていたのを、すっかりと忘れてしまうことになるのだ。
「こんな危険なことを、わざと外すなど、ありえない」
と思っているかも知れないが、実際には、
「分かってはいたが、それでも、ロボット開発を優先した」
ということであった。
というのは、
「この時代の科学者というのは、昔の科学者に比べ、開発能力は格段にあがったのかも知れないが、モラルであったり、常識的な発想に関しては、まるで、幼稚園児並みだった」
といえるだろう。
「身体が劣化していくのだから、脳の発達も、退化していくのは分かり切ったことだ」
というわけだ。
当たり前のことが分からない人間」
というものを、誰が人工知能を持ったロボットが、そんな人間に使われることを、簡単に承諾するものか。
「俺たちは人間よりも偉いんだ」
と思うとロボットは、
「人間を支配してもいいんだ」
と思い込むことだろう。
人間がどれだけ退化したことか。そして、ロボットの急成長がどれだけのものか、その接点があり、次第にさが広がっていく。その状況を。
「ロボットには見えていて、人間には、まったく見えていなかった」
ということが、人間の敗北だといってもいいだろう、
ちなみに、ここでいう、
「ロボット工学三原則」
というのは、
「ロボットが、人間を支配する時代にならないように、ロボットに、戒律を設けた海路を設置する」
というものであった。
その戒律には3つあり、それぞれが、
「絶対的な優先順位」
というものが備わっている。
ということである。
一つは。
「ロボットは、人間を傷つけてはならない」
というもので、その補足として、
「人間が傷つくということが予見されれば、それを見逃してはいけない」
ということであった。
つまりは、人間が危険に晒されそうになれば、身を挺して、たすえなければいけないということになるのだ。
そして、もう一つは。
「「ロボットは、人間のいう命令には服従しなければならない」
というもので、これも但し書きがあり、
「最初の条文に違反しない程度」
というものであった。
つまり、
「人間の命令といっても、人を傷つけてはいけない」
ということに抵触してはいけないということである。
そして、ここで問題になるのは、
「命令を聞かないといけない人間への優先順位である」
というのは、
「一度に複数から命令を受ければ、誰の命令を優先すべきか?」
ということである。
一人の命令を聞かなければいけないのであれば、他の命令には従うことはできない。
それそころか、
「他の命令が正反対のことであれば、逆らうことになる」
ということであり、そうなると、ロボットの所有者というものがしっかりと確立されていて、その人の命令だけを聞かなければいけない
ということにしないと、ロボット自体が判断をつけれずに、
「まったく動かなくなってしまった」
などということは当たり前だ
ということになるだろう。
それを思うと、
「最初の二つだけで、かなりのものではないだろうか?」
ということになり、
「優先順位の大切さ」
というものが、おのずと分かってくるのだった。
さらに、三つ目というのが、
「ロボットは、自分の身は自分で守らなければならない」
ということであった。
つまり、いくら人間の命令であっても、それが、悪いやつの命令で、
「自分を壊せ」
というものであれば、聴いてはいけない。
これは
「ロボットの権利を守る」
ということよりも、もっとシビアに、
「ロボットを作るにも、お金がかかっている」
ということでの、そこで生じたりする、
「人間の権利であったり、利益を守るため」
ということで、あくまでも、中心は人間なのだ。
「人間というものをいかに、利益をもたらせるか」
作品名:答えを出してくれる歴史 作家名:森本晃次