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答えを出してくれる歴史

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 ということも、防犯という意味でできない状態である。
 そのため、一度計画を立てて配りに行っても、結局また、今度は、配送員が、
「残業をしてでも届けなければならない」
 ということになり、そのため、
「配達員が、やる気をなくし辞めていく」
 ということであろう。
 配達員の中には、
「俺は、この後別の仕事がある」
 という人もいて、なかなかそれを残業させるわけにもいかない。
 そうなると、楽をしたい人も、そんな状態において、楽ができないのであれば、
「辞めてやる」
 ということを匂わせば、少しは残ろうかと思うだろうが、結局、そんなに長くは残ることはなく、
「どんどん、辞めていく」
 ということになるだろう。
 そうなると、この問題は、まったく解決することはない。
「じゃあ、外人にやらせれば」
 ということになるだろうが、実際に、
「外人も最近は、日本に慣れてしまって、嫌なことはしなくなった」
 という時代が来ているようだった。
 しかも、今は、最近まで問題だった、
「世界的なパンデミック」
 の影響で、
「日本に来る」
 という人も少なくなってきた。
 しかも、今の経済としては、
「日本では、給料がまったく上がらないのに、本国ではどんどん給料が上がっている」
 ということで、何も日本までくる必要もなくなったというものだ。
「もう、日本がアジアの盟主だ」
 などと言われた時代ではない。
 まだ、
「大東亜共栄圏建設」
 などと言っていた時代の方が、
「実は本当の日本だったのではないか?」
 といってもいいのかも知れない。
 そんな、
「人手不足問題」
 というのは、実際に今の運送会社だけではない。そこで一つ考えられることとして、大きな問題として絡んでくる問題とすれば、最近話題の、
「AI」
 という問題ではないだろうか?
「AI」
 というと、いわゆる、
「人工知能」
 と呼ばれるもので、今は、ロボット関係を始めとして、
「AIによるプログラム開発」
 あるいは、
「文章や、絵画、造形、さらには作曲などと言った芸術的な面なども、AIによって、作られる時代がやってくる」
 と言われている。
 一種の、人間としての、
「頭を使う部分」
 として、今は正社員が、主流になってやっている部分である。
 特にプログラム開発などでは、今までの開発を考えた時、
「最初の企画、設計から、実際の開発、そして、デバッグから、システムテスト、そして最終的に本番立ち合い」
 というところまでを、今は当然、人間がやっているのだが、
「それのどの部分をAIに任せればいいのか?」
 ということになるのだが、
 実際に任せられる部分は、今のところ、
「プログラム開発、システムテストくらいまでになるのだろうか?」
 というのも、
「企画立案などは、人間でなければいけない。それは、幹部に対しての責任が生じるからである」
 ということになる。
 ということは、
「AIに任せられるかどうなのか?」
 というところの、境界線は、
「責任が取らなければいけないところに、人間が関わらなければいけない」
 というところになるだろう。
 そうなると、
「プログラム開発から、デバッグ、システムテストまでは、AIでもいいかも知れない」
 ただ、テストの後の、検証は人間を介さなければいけないだろう。
 というのは、
「システムテストで見えてくるものとして、人間が使った場合の、使い勝手というものも、問題になるだろう」
 ということであるが、これも実は、
「実際のオペレーションを人間がする」
 という前提での話であるが、果たしてそうなのか?
 ということを考えれば、実に曖昧なところでもある。
 ただ、ここから先は、そうはいかない。
 本番で何かがあった時、応対するのは人間であり、プログラム修正を行うのは、AIなのかも知れないが、その不具合を実際に聴いて、判断するのは人間でないといけなかったりする。
 そこには、
「再発防止であったり、相手との、損害賠償問題などというシビアな問題」
 というものが絡んでくることになるからである。
 それが、
「AI技術導入」
 ということに、
「いかに、人間が絡んでいくか?」
 さらに、
「その曖昧な境界線というものをどこで見極めるか?」
 ということが問題になるということであった。
 そういう意味で、AIというものが、
「絶対にできないのが、学校の先生」
 だといえるのではないだろうか?
「トラックの運転手」
 などは、
「AIを装備したロボット」
 というものにもできるかも知れない。
 だが、実際にロボットというものは、いくら人間の形をして、その中には教養というものがあるかも知れないが、学校の先生はできないだろう。
 ただ、家庭教師であったり、塾の先生くらいはできるだろうか?
 そうなると、そのうちに、
「学校制度」
 というもの自体が崩壊しかねない。
 もっとも、それは、
「学校というものが、教養を身に着けるところ」
 という形をれっきとしたものとして考えた時のことなのであろう。
 つまりは、
「人間としての成長」
 というものを、
「学校では身に着けることはできない」
 と判断した場合。問題は、
「では、どこで身に着けるのか?」
 ということになるのだが、それを、今のような、
「教養を身に着けることと、人間性の成長を促すところというのを、一緒にしようとするから無理があるのかも知れない」
 と言いださないとも限らない。
 もちろん、そうなると、問題は山積みであり、
「一つが正しいと、もう一つ問題が出てくるということになり、下手をすると、前に進まない」
 ということになりかねない。
 ただ、今の政府の延長を、ずっと続けていくのであれば、今の政府であれば、それをやりかねない」
 と考えると、今度は、
「政府や国会議員だって、AIでできるのではないか?」
 ということになるのではないだろうか?
 どうせ、杓子定規なことしかできないのが政府の役人であり、いつまで経っても反省もない。
 というのが政府だということになると、
「AIにさせれば、少なくとも、自分が私服を肥やすためのことしか考えないだけの今の政府に比べれば、どれだけまともな判断ができるか?」
 ということになるだろう。
「そうだ、それこそ、政府役人を、AIに変えれば、今のような最悪な政府になることは少なくともないだろう」
 といえるのではないだろうか?
「今の腐り切った民主主義を正しくするためには、まずは、政府のAI化推進というのが不可欠ではないか?」
 という話になってきてこそ、世の中がまともになるのではないだろうか?
 そういう意味で、
「一番人間臭いのが政治家であり、一番、人間臭くてはいけないところが人間臭いことで、公平であったり、公明正大という言葉が、欺瞞でしかなくなってしまうのだ」
 といえるのだろう、
 それを考えると、
「やはり、今の世の中は、腐り切ったものの上に成り立っているということになるのだから、聖書にあったような、ノアの箱舟のように、一度、腐ったものを、解体してしまわないといけない」
 ということになるのではないだろうか?