答えを出してくれる歴史
ということでの、中途半端なやり方は、完全に自分の首を絞めることになるだろうからである。
もし、それがならなかった場合は、
「野党の責任」
である。
それだけ野党は、まったく仕事をしていないということになり、それこそ、
「税金泥棒」
と言われ、その責任は重大である。
実際に、野党が弱くなったのは仕方のないことだったが、そのせいで、余計に政治が混沌とし、分からない秘密の部分が増えたことで、
「政治に興味のない人が増えたのだろう」
つまり、どこに入れていいか分からないと思ってしまうと、投票率は下がる、そうなると、与党が強いのは当たり前のことで、それこそ、
「組織票」
がモノをいうというわけだ。
「政教分離」
といっておきながら、
「与党の片方が、宗教団体でできているんだから、話にならない」
ということになる。
それを思うと、
「政府に教育問題を解決などできるはずがない」
ということである。
そんな教育現場に身を置かなければいけない学生も先生も可哀そうなもので、
「教育を受けさせる義務」
「教育を受ける権利」
両方は、冷静に考えれば、矛盾しているのではないだろうか?
そもそも、
「教育を受けるというのは、権利であり、権利というものは義務ではないのだから、果たさなくてもいいはずだ」
と考えるだろう。
しかし、肩や、
「教育を受けさせるというのは、義務であるから、こっちは、絶対にしなければ、違憲となってしまう」
ということのなる。
「じゃあ、この場合、権利と義務とでは、どっちが強いというのだろう?」
ということになると、判断が難しいということになるのではないだろうか?
確かに、
「義務教育」
というのだから、義務が強いのだろう。
ただ、そうなると、
「権利」
というのは、欺瞞でしかないということになるのか、それとも、
「権利というのは、義務というものの裏返しということで、権利があれば、基本は、それを行使しなければならない」
ということになる。
生存権というのは、もちろんのこと、
「すべての国民は、健康で文化的な最低限どの生活を営む権利を有する」
ということが当たり前だといっても、それができない環境にあるわけだから、それをできるようにするには、誰かが、それができるようにしないといけない。それが政府や自治体の仕事であり、義務に近いものだろう。
そう考えると、
「権利の裏側には、それを行使させるために、義務を負う人間や団体がある」
ということになるというものだろう。
「そういう意味で、参政権というものも、本来なら、選挙に行かなければ罰則をつけるくらいにしないといけないはずなのに、それをしないのは、組織票を持っているところが、投票率が増えては困ると思っているので、敢えて、投票しなければいけないようにされては困るということで、投票させないようにしているのかも知れない」
ということになるのではないだろうか?
ロボット問題
そんな学校において、今の時代は、ゆとり教育がなくなって、
「生徒の考えるという発想を延ばすような教育を」
というようなスローガンで進んでいるということであったが、どこまで信用できるというのか?
今までの学校教育を見てみると、
「失敗に次ぐ失敗で、それを置ぎあおうとすると、行き過ぎてしまい、まずいと思って、ロクな検証もせずに、強引に戻そうとする。その結果、わけのわからないカオスな状態となってしまい、結局政策だけが先に進んでしまって、結局、失敗に終わってしまう」
ということになるのである。
それが、今の学校教育で、生徒のためには、何もいいことはなく、先生にいたっては、上が迷走を続けることで、振り回され、生徒との板挟みから、精神を病んでしまい、脱落する形の人が多くなるであろう。
そうなると、今度は先生の絶対数が足りなくなるということで、
「大きな社会問題」
となるのだ。
その問題、つまりは、
「人手不足」
という問題は、学校の先生だけではなく、他でもいっぱい出てきてしまっている。
例えば、
「2024年問題」
というのがあった。
これは、
「宅配などの、物流トラックの運転手の不足」
というものであった。
最近はただでさえ、他の業種でも、人手不足からなのか、企業の都合のいい、業務縮小からなのか、
「今までであれば当たり前のことだった」
と言われるようなものが、次第に消えていく。
鉄道会社などでもそうだが、昔は、特急電車というと、食堂車があったり、車内販売なども充実していたものだ。
今では、そんなサービスはなくなってきた。
食堂車がなくなり、車内販売も廃止になり、今では、新幹線をつないだということで、在来線が悲惨な状態になり、特急電車がどんどん姿を消していっている。
しかも、この新幹線計画というのがひどいもので、
「新幹線をつなぐと、それまで在来線などの特急が留まる駅を充実させて、地元の温泉や観光地とのコラボなどで、県や自治体も大いににぎわうということでの活性化というものがあった」
ということであった、
しかし、そんなことがなくなり、せっかくの今までの努力をこの新幹線計画は踏みにじるものである。
どこに金が流れるのか分からないが、本来なら、新幹線が開通して、地元が賑わうはずなのに、
「実際の新幹線が停車する駅前には何もなく、駐車場を果てしなく作るだけの土地があるくらいだ」
ということで、まったくの本末転倒甚だしいのであった。
しかも、新幹線が通る県には、その建設費用負担も大きく、結局は、
「住民税」
という形で、その分を、県民が負担することになる。
それも、
「地元の活性化ありき」
だったはずなのに、前述のように、
「せっかくの開発したところが、新幹線開通によって、寂れることになる」
というのは、
「国に騙された」
といっても、過言ではない。
だから、今では、新幹線計画のあるところは、
「うちの県を通さないでくれ」
といっているところも多い。
今でこそ、誘致問題でもめているリニア問題であるが、これも、今の新幹線問題と同じことになるのは、ハッキリと目に見えているといってもいいだろう。
「2024年問題」
というのも、このような、
「新幹線問題」
に近いものがある。
そもそも、日本人が、日本人を雇わずに、
「インバウンド」
とか言って。外人どもに職をやるから、こんなことになるのだ。
日本民族は、
「勤勉で働き者」
ということで、
「創意工夫が得意」
だったはずなのに、今では、すっかりそれができていない。
「嫌な汚いことはやりたくない」
という、連中も連中だが、若者をこのような人間にしてしまったのも、教育問題が絡んでいるのかも知れない。
さらに、この問題の一番の問題は、
「再配達の多さ」
からである。
再配達が多いということは、家に誰もいないといことであり、それは昼間、家の人間はいないということであり、それは、共稼ぎなどの問題があるからだった。
しかも、日本は治安も悪くなったことで、
「置き配」
作品名:答えを出してくれる歴史 作家名:森本晃次