答えを出してくれる歴史
ということもあっただろうが、今はどうなのだろう?
向こうの方が、潤っている国だったりして、日本人が却って出稼ぎに行きたいと思うくらいなのかも知れない。
日本では、法律も厳しくなってきたので、
「海外に拠点を移すか?」
という組織も多く、女も、
「一緒にいく」
という、目先のことだけを考えていく人も中にはいるかも知れない。
ただ、さすがに自由もなく、
「お金のために身体を売る」
ということの恐ろしさ。
それは、貞操問題というよりも、もっとシビアな問題があるかも知れない。
「外国に行って、どこの誰とも知らない外人と身体を重ねることで、どのような病気に罹るか分からない」
というものだ。
この間も、日本は、
「性病の巣窟と化し、今までにない深刻な状態になった」
といっているが、結果的には、
「外人が持ち込んだ」
ということであり、海外からの電線がどれほど怖いかということを、まったく分かっていない、
「お花畑のような発想」
であり、それこそ、平和ボケの象徴といえるだろう。
そんな状態において、みずきは、
「母親に対しての恨み」
を決して忘れることはできなくて、自分を放っておく神経を恨んだ。
しかし、その一方で、
「オンナとしての生き方」
をまっとうしている母親を羨ましいとも思うのだった。
「恨みと、羨ましい」
似ている言葉ではないが、恨みも羨ましさもどちらも強いと、感覚がマヒしているのか、同じレベルの同じ感覚に思えてくると、似たような意味に思えてきた。
それは、
「自分で考えることを辞めてしまった」
といえるのではないかと思うほどで、
「子供だからできる特権なのではないだろうか?」
と思うのだった。
大人になったことはないが、大人になると、責任が生まれることは分かっていて、それだけに、
「大人になりたくなんかない」
と思うのは、羨ましいという思いを抱きながら、恨みを感じる母親に対しての、言い知れぬ苛立ちがそう、思わせるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「自分が親になったら、子供には、こんな思いはさせない」
という気持ちがあることもさることながら、
「羨ましいと思う母親のような生き方をしてみたい」
という、まったく正反対の思いが自分の中に渦巻いている。
それが、
「恨み」
と、
「羨ましい」
という気持ちが共存した思いの中にいるからだと感じるのだった。
そんな思いを抱いていて、みずきの学校は、みずきが考えているよりも、いろいろな人間がいるようだった。
高校2年生になって、すぐの頃、クラスメイトから、先生に分からないように、カンパの依頼が回ってきた。
男のカンパなのかすぐに分かったが、他の人は、すぐにお金を出しているようだったが、みずきは迷っていた。
「出せるだけのいくらでもいいから」
というのが、回し始めた人の言い分であったが、その理由に対して釈然とした納得ができなかったからだ。
理由というのは、もちろんというべきか、
「クラスメイトの女の子が妊娠したので、堕胎費用が必要だ」
というのだ。
カンパを募ろうとした人は、親友としての親切心から、妊娠してしまったその子を助けたい一心なのだろうが、みずきとしては、
「どうして、私たちがカンパしないといけないの?」
という思いであった。
そこには、母親に対しての思いも含まれていた。
つまりは、
「恨み」
と
「羨ましさ」
である。
相手の男がどういうやつかは分からないが、
「どうせ、そのあたりの、ナンパな大学生か何かで、無責任なことをしたのだろう」
という思いであった。
「ナンパする男も男だが、ホイホイつぃていく女も女だ」
としか思えないのだ。
しかも、百歩譲って、
「お互いが好きどうして、親が許してくれない。苦肉の策として、、既成事実を作ることで、結婚しようと考えた」
というのであれば、理屈としては分かる。
しかし、それを認めるわけにはいかない。
なぜなら、
「元々は軽い気持ちだったのだろうから、二人がどこまで本気なのかは分からないが、作ったこともは、しょせん結婚したいというだけの既成事実のつもりだったというのであれば、うまく結婚までこぎつけたとしても、それがゴールというわけではない。ゴールだと思えば、そこがスタートラインだと分かったとしても、相手はどうだろう?」
と考える。
そうなってしまうと、結婚生活がうまく行けばいいが、ぎこちなくなってくると、もはや子供は、
「邪魔者」
でしかないのだ。
邪魔者を生んでしまったのだから、
「じゃあ、いらないや」
といって、どこかに捨ててくるわけにもいかない。
「勢いで結婚してしまったけど、家族に縛られて、気が付けば、遊ぶこともできない。ましてや、子供を育てなければいけない」
と感じる。
そうなると、親のいうことが分かるわけがない子供が、ぐずったり、泣きわめくのを、苛立ちでしか感じることができない。
いけないという思いがあってなのか、それとも、考えないようにしようとしているからなのか、育児放棄に走ったりするだろう。
家では、旦那と毎日のように喧嘩。女は、そのうちに、
「子供がその原因だ」
と思うようになる。
決して、自分の非を認めようとはしない性格なので、どうにもすることはできないのだ。
そうなると、女の神経は、瓦解してしまうだろう。
「情緒不安定」
となり、
「被害妄想」
も甚だしい状態になれば、すべてを他人のせいにして、自分は好きなようにしようと思うことだろう。
誰のせいにするかというと、もちろん、ターゲットは、旦那である。
「旦那が私の思い通りにならないから、私に子供を押し付けて、私だけが苦しい思いをしているんだ」
ということである。
しかし、子供がいるので、なかなか勝手な行動もできないと、まだ、まともな神経は残っているだろう。
しかし、たとえば、
「旦那が表で浮気をしている」
などという疑惑が起こると、抑えが利かなくなってしまう。
それでも、まずは事実関係をしっかりさせようとして、旦那を責めてみたりするのだが、旦那とすれば、実際に浮気をしているという手間、嫁さんに言われると、言い訳しかできない。
旦那としてみれば、
「俺だって、遊びたいのに、お前を結婚したことで、好き勝手にできない。夜だって、こっちは、子供がうるさくて、眠れない状態にさせられて、一体どうすればいいというんだ?」
ということを、頭に刻んでいるので、浮気をしても、
「俺が悪いんじゃない。お前がちゃんと子育てをしないから、こんなことになるんだ」
と完全に、すべての責任を相手に押し付けて、
「浮気もやむなし」
ということで、言い訳を完全に、自分の中で正当化するのであった。
「男には、それができるんだ」
ということは、後になって分かることだが、もうそうなってくると、後は、
「離婚に向かって、まっしぐら」
ということである。
離婚というものを正当化するわけではないが、少なくとも、一度くらいの離婚は、
「まあ、しゃあないか」
という程度である。
昔のように、
「戸籍に瑕がつく」
作品名:答えを出してくれる歴史 作家名:森本晃次