答えを出してくれる歴史
これが、今の全世界で起こっている、多民族化であり、数多くの言語が、存在していることへの言い伝えであったのだ。
だから、それは、そのまま、
「数多くの宗教の存在」
というものを、
「いかにも」
という形で言い表しているというものである。
それを考えると、
「いかにもと言われることを信じ、それぞれの宗教を熱心に信仰する」
というのも、当たり前のことなのである。
この時代の歴史を考えると、
「やはり、神というのがいるいないは別にして、神というのは、人間に言われているほど影響を与えていないのかも知れない」
といえる気がするのだ、
裏を返せば、それだけ、人間は、神というのを、自分たちの都合よく使っているだけではないかといえるのではないだろうか?
これが、
「神話」
というものであり、
人間というものは、そういう意味で、
「洗脳されやすいものだ」
といえるだろう。
ただ、過去の人間が、果たして自分たちだけで、そこまで考えたのかどうかというと難しい。
そこには、宇宙人であったり、話に出てくるような、神のような存在が本当にあり、彼らにもその話が都合よく書かれるように、
「人間を洗脳した」
といえるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「今の人間も、知らず知らずのうちに、何かに洗脳されていて、この正しいと思われるこの世界が本物だと思い込んでいるだけかも知れない」
正しいというものが、本当に目に見えているものだけでしかないということを、誰も当たり前のように分かっていないことで、人間を洗脳しようとしている、人間、いや、神様や宇宙人からすれば、難しいことではないだろう。
「洗脳」
というのは、
「人間が人間に施す」
ということは簡単にできることであり、そこで生まれた副産物が、神なあのではないかと思うと、
「人間ほど恐ろしい動物はいない」
といえるだろう。
「人間が一番の高等動物だ」
というのは本当なのだろうか?
先生が好き
そんな未来をみずきは、勝手に創造していた。それも、彼女が歴史が好きだからで、
「どの時代が好きだ」
というわけではないのだが、好きな時代が、その時の精神状態によって、変わるのであった。
今の自分の精神状態を、過去の歴史の時代に当て嵌めて、勝手に想像している。いや、
「創造している」
といった方がいいかも知れない。
過去は、
「すでに終わったことだ」
という感覚ではないのだが、終わったはずのものが、また訪れるという、堂々巡りを、絶えず考えていたのだった。
そんな過去の世界が好きだったのは、中学時代からだった。
小学生の頃は、歴史といっても、自分たちが住んでいる範囲の歴史ということで、
「本来の学問である歴史」
というよりも、どちらかというと、
「庶民の暮らし」
という、リアルな生活に密着したような感じだった。
嫌いではなかったが、
「昔の生活を聞いても、別に楽しくない」
という意識が強かった。
「このあたりは農家で、こんな道具を使って、農作物を作っていた」
ということで、社会科室のようなところに、そのレプリカのようなものが展示されていた。
いかにも古臭い道具に、みずきは、別に何も感じることはなかった。
「こんなものを使って、農耕をしていた」
ということなので、実際に、農耕をしているような展示ということで、県立の、民族学博物館のようなところがあるので、小学6年生の時の遠足で訪れた。
他の生徒は、面白がって展示品を見ていた。
もちろん、触ってはいけないものなので、見ているだけで、楽しそうにしていたが、みずきは、別に楽しいとは思わなかった。
「ふーん」
という程度で、どうしてそこまで冷めた気持ちになるのか分からなかったが、その様子を見ながら、
「こんなものなんだ」
と、ボーっと見ているだけだった。
小学生の頃というと、どうしても、社会科というと、
「主要学問ではない」
ということで、好きではあっても、第二学問という感覚で、あまり真面目に見ていない生徒が多かっただろう。
実際に、みずきもその一人だったが、どこか、ファンタジーっぽさがあることから、あまり嫌いだというわけでもなかったのだ。
中学生になると、社会科の中で、
「歴史」
という授業が、改めて出てくる。
地理、や、政治経済とは違う形での授業が楽しくなったのだ。
自分が行った中学では、歴史の授業も、
「日本史」
「世界史」
と別れていて、2年生くらいになると、どっちが好きなのか、皆大体わかってきたのだ。
もちろん、
「どっちも好き」
「どっちも嫌い」
という人もいた。
特に、どっちも嫌いという人は、どうしても、歴史というと、
「暗記物だ」
ということが、嫌なのだった。
確かに、歴史という科目は、昔から、
「女性から嫌われる」
というものだったが、最近は、
「歴女」
という言葉もあるくらい、歴史好きが多くなった。
昔から、女性が歴史を嫌いだったのは、男性から、
「好きな科目は?」
と聞かれた時、
「歴史」
と答えたりすると、明らか不快な顔をされるというのがあったからだ。
なぜ、
「男性ならいいのに、女性だとあんな顔をされるのか?」
と考えたが分からない。
やはり、話題の中で、歴史の話になると、どうしても、話が難しくなって、
「男性でも嫌われる」
ということになるのだろう。
これは、大体が、
「大人になってからのことが多いだろう」
いわゆる、
「合コン」
などというものをやっている時に、女の子が、まわりを意識せず、歴史の話を始めると、まず、引かれてしまっていた。
たぶんであるが、昔の、男尊女卑の考え方からか、
「女が歴史を語るなど、十年早い」
とまで思っている人もいるかも知れない。
特に、歴史が好きな人は、自分の知識をひけらかしたいと思っている人が結構いるだろうから、そのせいもあって、会話になると、止まらなくなってしまう。
これが、同性の間でも、鬱陶しがられるだろうが、特に相手が男性であれば、
「俺よりも、知識があるなんて」
と思うと、
「可愛げのない女」
という目で見られるに違いない。
「女というのは、おしとやかで、あるべきだ」
という考えと、
「女性が歴史なんか」
という考えとでは、辻褄が合っているわけではないが、女性も、今までの時代であれば、
「男性に、ひどい目で見られたくない」
ということから、
「女性は、おしとやかで、控えめなものだ」
と、勝手に思い込んでいるということなのだ。
もっと言えば、そんな時代を知らないはずなのに、伝統とでもいうべきか、ずっと同じ考えを踏襲しているのはなぜなのか?
というような考えを、みずきは持っていたのだった。
中学生になると、日本史が好きになった。
本当は最初、世界史が好きになったのだが、それは、古代の四大文明に心を惹かれたからだった。
というのも、
「エジプトのピラミッド」
であったり、
「メソポタミアのような、短い周期(といっても、日本の歴史から比べれば、果てしなく長い期間であるが)」
作品名:答えを出してくれる歴史 作家名:森本晃次