答えを出してくれる歴史
ということは、その人が箱舟を作り始めて、ノアはそれを見て、笑っているということになるだろう。
ここは、あの物語では、重要な意味を成すわけである。
「どういうことなのか?」
というと、まずは、
「神様がノアを選んだことが正解でなければ、それまでの人間は、ノア以外、罰当たりな連中ばかりで、神様が地表を滅ぼそうと思われたというのも間違いではない「
ということになり、
「神様は、やはり偉大だ」
ということになるのだ。
そして、
「大洪水を起こしたのか?」
それとも、
「大洪水が起こるということを、神様が予見できたということなのか?」
ということで、発生した大洪水であったが、それにより、
「神様の思惑通り」
地表の生物は死滅してしまった。
そして、水が引いてきて新たな世界ができてきたわけだが、考えてみれば、
「大洪水を起こさせる神様なのだから、水が引くまでにそんなに長く彷徨わせるということは、本当は神が起こした洪水ではなく、たまたま起こった大洪水に、神様が便乗したのかも知れない」
ということになると、話の内容は変わってくる。
神様は、人間を助けようという意思はあるが、
「そんなに大それたことはできないので、せめて種の保存ができるくらいのことはしてあげた」
ということになるのか、それとも、
「人類が死滅してはこまるので、何とか一人だけでも助けようとしたのか?」
というだけのことだったのかも知れない。
こちらは、
「人類のため」
というわけではなく、
「神々の都合」
ということだろう。
それでも、
「オリンポスの神々に比べれば、まだマシだ」
といえるだろう。何しろ、
「自分たちのわがままであったり」
たとえば、
「不倫の証拠を消したい」
というだけで、一つの人間の国家を滅ぼすことができるだけのことをするのだから、ノアの神が、洪水を起こしたのでないとすれば、
「オリンポスの神は、ノアの神よりも力があるというべきか、自分たちの都合で、どれほどむごいことができるのか?」
ということである。
つまり、
「ノアの箱舟」
の真相のその裏には、オリンポスの神々にあるような、
「自分たちの都合をいかに正当化し、世界を滅ぼすことに勝手な理屈をつけられない立場にあることで、あのような話にしなければいけなかったのか?」
ということである。
つまりは、
「ノアの神」
というのは、
「オリンポスの神々」
と、まったく変わらない、人間のことなどどうでもよく、最終的には自分たちだけの都合でことを起こすというもので、戒律などを定めたのも、
「人間をうまく操るため」
ということであろう。
そんなことを考えていると、神様なんてあてにならない。全能の神と言われているのが、人間に対して、
「何をするか分からない」
などということであれば、本当にロクなものではないだろう。
また、これは、
「全体を滅ぼす」
ということではないが、
「秩序も何もなくなってしまった街」
というウワサを聞きつけた神が、その街を滅ぼそうとした時、その悪い連中に拘束されていた家族をまず救い出すということをしたのだ。
その時に、神は救い出した家族に、
「何があっても、決して後ろを振り向いてはいけない」
とくぎを刺して、家族を安全な場所に導こうと歩いていたのだが、そこで、その途中に、後ろから、轟音が響いてきたことで、奥さんが振り向いてしまったのだ。
旦那は。
「見るな」
と言ったが遅かったようで、奥さんはそのまま砂になってしまったということだったのだ。
これは、聖書にだけ言われることではなく、全世界に残っている神話であったり、寓話などに残っているもので、いわゆる、
「見るなのタブー」
と言われるもので、
例えば、日本であれば。
「浦島太郎」
「舌切り雀」
「鶴の恩返し」
などがそれで、
「ギリシャ神話」
であれば、
「パンドラの匣」
などがその例としてあることだ、
すると、この、
「見るなのタブー」
があった場合というのは、たいていの場合、
「見るな?」
と言われたものを見てしまい、ほとんどは、死んでしまったり、石になったりするのであるが、生き残った人間も、不幸にしかならないということだ。
つまりは、
「してはいけない」
と言われたことをしてしまうと、神様のバチが当たるという、いわゆる、
「戒め」
なのである。
このお話を、
「ソドムとゴモラ」
というのだが、
その時の村を、ソドムの村というのだが、そこを一瞬にして破壊したのは、
「核兵器」
ではないか?
と言われている。
もちろん、本当にそうなのかどうか、分かるわけはないが、
人間が、いかに、
「神の前では無力なのか?」
ということを描いている。
そして、もう一つ言えるのは、
「ソドムの村」
では、
「決して、後ろを振り向いてはいけない」
という
「見るなのタブー」
であったが、
「ソドムとゴモラ」
の話に使われたものが、核兵器のような人工的なものではないとすれば、それが、
「自然現象」
と言わるかも知れない。
いや、ひょっとすると、神様が使った、
「核兵器」
というのは、実は自然現象なのかも知れない。
それを考えると、
「神様が地表を滅ぼそうとして使用したものは、実は、すべてが自然現象ではないか?」
とも考えられる。
たまたま起こった自然現象を、本当は神などいるわけはないのに、
「神の仕業」
ということで、人間界の戒めというものに使うため、
「あたかも、神のお考えによって、滅ぼされた」
ということでの、未来に対しての、警鐘ではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「人間は、それだけ、自分たちに未来はない」
ということを思っていたに違いない。
それだけ、昔の人は、何よりも人間を信じられなかったということであろう。
だから、神を想像し、人間ではなしえないことをなしえる存在として君臨させたのではないだろうか?
しかし、今の時代になって、さらにひどい状況になってきた。
それは、やはり、
「歴史に学ばない」
ということなのだろう。
それとも、それだけ、
「運命は代えられない」
ということで、
「どんなに過去を勉強していて、分かっていても、同じことを繰り返してしまうのが歴史だ」
という。
いい例がヒトラーではないだろうか。
彼は、ドイツ第三帝国において、独裁者として君臨した。
その時、第二次世界大戦を引き起こしたというところでは、ある意味仕方のないところもあったのかも知れないが、やはり、大きな失敗は、
「ソ連侵攻」
だっただろう。
最初は、電撃戦がうまく行っていたが、急に襲ってきた寒波のために、ドイツ軍は動けなくなった。
本来なら、撤退しないと危ないのに、
「現状死守」
という厳命が出たことで、ドイツ軍は総崩れとなった。
そんな中において、ドイツ軍が、冬将軍にやられたことは、ヒトラーも分かっていたのではないか?
彼は、ナポレオンも研究していて、よく勉強もしていたはずだ。
作品名:答えを出してくれる歴史 作家名:森本晃次