答えを出してくれる歴史
「どんどん買いかえればいい」
という時代がくるのだ。
そうなると、どうなるかというと、機械人間が圧倒的に増えてくる。人間が少なくなってきて、下手をすると、
「ロボット世界」
においての、
「絶滅危惧種になるかも知れない」
そのうちに時代が進むと、
「どの動物が、高等動物だったのか?」
というのが分からなくなるだろう。
「ロボットを作ったのは、どの種族なのか?」
と言われている場合はまだいいが、それこそ、
「ロボットは神が作った」
という神話ができてくれば、誰が、
「人間が最高の高等動物で、ロボットを作った」
ということが、最高国家機密となり、人間も他の動物同様に、家畜となるか、ノラになるか?」
ということになると、
「その世界におけるロボットは、今の人間と同じ世界や秩序を築いているのかも知れない」
と思うのだった。
ということになると、
「じゃあ、人間は、何か他の動物に取って代わったということも言えるのではないか?」
と考えられなくもない。
それを知っている人がいて、それが実は、最高国家機密だったということになっているということだったとすれば、
「国家ぐるみで、必死に何かを隠そうとしている」
と思うと、
「実はこの世界で君臨している人たちは、その秘密を知りながら、秘密として守ろうとしている」
と考えると、
「いろいろな国でいろいろな主義の国があり、それぞれに、戦争が行われているが、それは、定期的に戦争を起こさないと平和な時代であれば、この最高国家機密に触れるやつがいて、それをごまかすための、戦争だ」
ともいえるのではないだろうか?
もっとも、こんなバカげたことを考えるというのもおかしなことになるのだが、
「ありえない」
ということではない。
そう考えれば、いろいろ不可思議なことも説明がつきそうだ。
まず一つ考えられることとして、
「ギリシャ神話」
における、
「オリンポスの神々」
というものに対しての考え方である。
「全能の神」
ということで、神々の世界に君臨している、
「ゼウス」
というのがいるが、
「全能の神」
でありながら、やっていることは、一番人間臭いというか、
「神として、あるまじき行為」
というものだといえるのではないだろうか?
自分のわがままから、人間のオンナに片っ端から手を付けてみたり、それを知った女神たちが嫉妬から、人間界に災いをもたらしたり、さらには、ゼウスが、
「自分のいうことをきかない人間を、部下である神に命じて、一つの国を滅ぼさせる」
というようなことを平気でしているということを、神話として書いているではないか。
神話などというと、本来なら、神は全能であり、人間をおつくりになったということで、崇められるはずの存在なのだが、実際には、崇められるどころか、それは、
「人間をまるで自分たちの道具のように手玉にとる」
というのである。
しかも、自分たちのわがままという都合でそんなことをするのだ。
誰が、許せるというのか?
ということである。
もし、この話に信憑性があるとすれば、実は、この事実を信じることはしないが、
「神というのは、怒らせると、何をするか分からない存在だ」
ということで、神の世界に踏み入れようとするのを、わざとこういう恐ろしい書き方で、戒めているのかも知れない。
これが聖書の世界になると、
「バビルの塔」
の話のように、
「神に近づこうとすると、どうなるか?」
ということへの戒めになるのだ。
そもそも、同じ流派が、別れて行っただけとすると、その描き方には、違いがあれど、言いたいことは同じなのだろうと思うと、
「人間を作った神の世界に踏み込んではいけない」
ということが、機械の世界では、
「人間の世界に踏み込んではいけない」
という発想になったとしても、それは無理もないことである。
そんな世界において、
「人間と神」
の関というのは、どういうものだったのだろう?
ひょっとして、本当に神というものが存在していて、時々、神が人間の姿となり。警鐘を鳴らしにきたのだろうか?
それでも人間が戒めをきかないので、その話を神話として残すことで後世への戒めとしたのだろうか?
もっとも、聖書などによれば、幾度か神は、人間社会を壊そうとしている。
「ノアの箱舟」
のような大洪水にしても、
「もし、似たような大洪水がないと、あそこまでの発想は思いつかないだろう」
ということになる。
ということは、
「本当に、あの大洪水はあったというのか?」
とそれとも、
「神が降臨され、あの話を書き残すように言われたとすれば、話としては、繋がるのかも知れない」
しかし、あまりにも、今の時代が、
「本当にあの時代の大洪水が起こりそうな気がしてくることから、本当に恐ろしい時代になった」
といってもいいだろう。
それを思うと、
「未来を予見していることでの警鐘」
ということを、いい意味で解釈すれば、考えられないこともない。
しかし、警鐘を受けたとしてどうなるというのか?
「ノアの箱舟」
のようなことを、もう一度すればいいというのであろうか?
あの話は、まるで
「オオカミ少年」
の話であるかのように、
「誰も信じなかった」
ということから、助かろうとして、我先にということで争いが起きなかった。
しかし、あの話を知っている今の人類であれば、どうだろう?
やはり、
「そんなバカなことはないだろう」
と思うであろうか、
中東などのように、強烈な信者が国家を作っているようなところでは、
「神の存在」
を信じているであろうから、どういう行動をとるかということは、その宗教の教えによって異なるであろう。
しかし、今の日本ではどうだろう?
昔の、隠れキリシタンのように、
「たとえ殺されても、死後の世界で幸せになれる」
という発想を持っているような人間はいないだろう。
「宗教の自由」
といっても誰も、ほとんど、宗教を信じていない。
それは、きっと、
「悪徳カルト宗教」
というものが、今の時代に暗躍をしているから、こんな世界になっているのだ。
しかも、今は戦争もなく、平和な時代であるから、余計に、
「平和ボケ」
もある。
しかし、特に今は、政治と絡み合って、悪徳なことを、まるで政府に認められたかのように、
「いや、認めている形になっている」
というようなこの時代では、どうしようもないといってもいいだろう。
「宗教と政治」
これは、今も昔も変わっていないのだ。
「オオカミ少年」
の話もそうであるが、
昔から、バカげているという話は、一周されて終わりなのだが、もし、ノアの前に現れた神様が、もし、ノア以外の人を選んでいたらどうだろう。
ノアだったから、相手を神様の化身だと思ってのか、それとも、ノア以外の笑っている連中が相手でも、すぐに神様だと信じることができたのだろうか?
というのも、もし、ノア以外の人が選ばれて、その人が箱舟を作り始めれば、ノアの立場を、その人が踏襲することになる。
作品名:答えを出してくれる歴史 作家名:森本晃次