可能を不可能にする犯罪
これが一番いいのだが、じゃあ、何とか生き残ろうと考えた場合、本当に大丈夫なのだろうか?
何とか、ハイド氏が二度と出てこないような薬を開発するしかないが、
「もし、うまく行かなかった」
ということになると、どうなるというのだろう?
そんなことを考えてみると、
「どうしても、生きているというだけで、いかに、自分が生き残ろうという意識が無意識にでも働いてしまうのか?」
ということだった。
「ドッペルゲンガー」
というものを考えた時、普通であれば、
「自分とはまったく違う人物を思い浮べるだろう」
というのは、
「まったくソックリな人間が、同じ時間、自分が存在している同一時間に存在し、他の人に見られた」
という例が、一番多いだろう。
しかも、中には、
「自分のドッペルゲンガーを見た」
という場合である。
そのどちらの場合も、
「近い将来に死がおとずれる」
ということである。
それだけドッペルゲンガーには、説得力があり、実際にその現象に遭遇したことで死んでしまったという実例が多いともいえるだろう。
ドッペルゲンガーの特徴としては、
「自分の行動範囲にしか現れない」
ということ、そして、
「決してドッペルゲンガーは、人と会話をしない」
ということが、言われている。
そう考えると、ドッペルゲンガーが、
「似ている人間ではなく、もう一人の自分である」
ということを証明しているに違いない。
そして、会話をしないわけだから、ドッペルゲンガーというものが、何を考えていて、どういう性格なのか分からないということを考えると、もう一人の自分が、性格的にも、本人と同じなのかどうかは分からない。
ただ、
「会話をしない」
というだけで、見ているだけで、孤高な性格であることは分かるので、何をどう考えていいのか、実際には分からない。
そう思うと前述の、
「他人が、ドッペルゲンガーを見た」
というのと、
「本人が自分のドッペルゲンガーを見た」
ということで、同じドッペルゲンガーでも、
「違うものではないか?」
と考えられるといっても過言ではないだろう。
本人が見る場合は、それなりに考えられることがある。
それは、本人が、
「元々、精神疾患の持ち主であり、見えてはいけないものが見えたということで、それが末期症状として、必然のように、死を迎えた」
という考えである。
しかし、それは、前者の、
「他人が自分のドッペルゲンガーを見た」
と考えるのとでは、違ってくる。
ただ、これが、
「死ぬのは、見た人間だ」
ということであれば、理屈は通らなくもないが、あくまでも、
「他人のドッペルゲンガーを見た人が死ぬ」
と考えた場合のことであった。
この場合は、見た人が死ぬということであり、それは、自分のドッペルゲンガーを見た人が死ぬという理屈に合うので、これはこれで当たり前のことであろう。
この、ドッペルゲンガーというものを、
「他人が自分を見た」
ということと、同じようにも見えるのだが、実際には、
「まったく別の現象だ」
と考えれば、
「ジキルとハイド」
のお話のような、
「極端な二重人格者が、徘徊している」
と考えることもできるだろう。
そういう意味で、
「ドッペルゲンガーを見た」
といっている人が、
「本人と、ドッペルゲンガーの二人が一緒にいるところを見た」
という人を見たことがない。
もし、見かけたとしても、それを怪しいとは思わない。なぜなら、その場合は、ドッペルゲンガーではなく、
「世の中に3人はいる」
と言われる、
「ただのよく似た人」
ということで、あくまでも、
「他人の空似だ」
ということになるだろう。
もっといえば、
「ドッペルゲンガーというものは、自分の中に潜んでいる、もう一つの人格が表に出てきているものだ」
という、
「ハイド説」
が成り立つのではないだろうか?
そういえば、ドッペルゲンガーを見ると死んでしまうという説として、
「魂のシルバーコードが不安定になったから」
と言われている。
「「シルバーコード」とは、人間の魂と魂の器となる体を繋ぐ糸のことを言います。
人間が死を迎えると、このシルバーコードが切れて、魂が体から分離します。つまり、シルバーコードが一度切れてしまうと、魂は体に戻れなくなってしまうということです。
ドッペルゲンガーは、一説では、シルバーコードが不安定になって抜け出した魂である、と考えられています。つまり、ドッペルゲンガーが存在する時間が長くなればなるほど、魂と体の分離が進んでしまい、最終的に、シルバーコードが切れて死に至ることになります」
ということが言われていたりする。
さらに、いわゆる、
「タイムパラドックスへのルール違反として、同じ人間が同一時間の同一次元に存在してはいけないということで、抹殺を図る」
という考えである。
そして、もう一つが、前述の、
「精神疾患によるもの」
という説があるが、筆者は、この説に、もう一つを考えることになるのだが、
というのは、
「人間は、脳の能力を一部しか使ったことがない」
と言われている。
だから、その伸びしろのようなもので、誰もが、超能力というものを有しているという考え方である。
そして、人間の中には、二重ところか、多重の人格を持った人もたくさんいるだろう。
そんな人間が、たとえば、
「死に直面している」
ということに気付いたとして、その時、それまで考えたこともなかったことが思い浮かび、
「死への恐怖」
という潜在意識から、
「自分を覚醒させてしまう」
ということだって、考えられなくもない。
それが、ジキル博士が作った薬と相まって、
「もう一人の自分を覚醒させることができたのだ」
と考えると、
「結局、自分を抹殺させなければならない」
と言えるのだろうが、
「どうせ、放っておいても、自分は死ぬんだ」
ということを考えれば、何もしない自分がいるだろう。
しかし、ハイド氏の方はどうだろう?
「彼だって、自分なのだから、自分の死が迫っている」
ということは分かっているはずだ。
「俺はもうすぐ死ぬ」
と思うと、
「今まで、影となって表に出てこなかった自分に嫌悪を感じていて、このまま死を待つことを思えば、何も怖くないと思い、恐ろしいことを平気で行い、まわりを皆巻き込んでやる」
というくらいに思うだろう。
人間が、
「悪いことをしてはいけない」
という心理にいたるのは、何も、
「正義感」
であったり、
「勧善懲悪」
のようなものがあるからなのだろうか?
いわゆる、宗教で言われるところの、
「この世で、いいことをすれば、極楽に行けたり、いずれ、生まれ変わることができるが、悪いことをしていれば、その魂は、地獄に落ちて、二度と、輪廻ができない」
ということになる。
という言い伝えからだろう、
しかし、考えてみれば、それもおかしなことであり。
「極楽に行って、神様になる人」
もいて、
「地獄に落ちて、生まれ変わることができない」
ということであれば、輪廻転生ということを考えれば。
作品名:可能を不可能にする犯罪 作家名:森本晃次