可能を不可能にする犯罪
「いいかい? 自分は、もう一人の自分をドッペルゲンガーだと認めたくない。認めてしまうと、近い将来死んでしまうと思うからね。だから、こっちを見ているのは、本当はもう一人の自分ではないと思い込みたいことで、それが、絶対に自分だと思いたい。本当は違うのにだ。だから、どうしても、こちらを向いている相手が自分だという正当性を持たせたい。だから、自分が鏡に映っているのは左右が対称だと思ってしまう。そう思うと鏡の向こうに世界が広がっているように思え、すべてが左右対称だと思うんだよ。本当は、左右が対称なのではなく、後ろから見ているので、対称になっていないのが当たり前なんだよ。これは、一種の鏡を使った、ドッペルゲンガーに対しての、人間の本能が作り出す。錯覚という、対策方法なのではないだろうか?」
と、細川が言った。
かなり強引ではあるが、無理のない発想ではないだろうか?
そんなことを考えていた本人である、細川の友達が殺された。
その友達には、捜査を進めていくと、少し怪しいウワサがあったのだ。
というのは、
「親友の彼女を寝取った」
という話であった。
その親友というのは、誰あろう、細川だったのだ。そして、細川も、もちろん、親友が、自分の彼女、当然、
「そら」
ということになるのだが、そらと細川、そして殺された男の三人の間に、ややこしい話があったのは、分かり切ったことであった。
だが、細川は、あまりそれを口にしたくなかった。だが、さすがに、
「事が殺人事件である」
ということなので、黙っているわけにはいかない。
黙っていると立場的に明らかに不利になるのは、間違いないことではないか。
この殺された男の名前は、神崎信孝という。
この三人は、同じ大学の同級生であったが、そもそも、神崎の方が、細川に近づいてきて、半ば強引に、
「親友気取り」
になったのだった。
その頃には、細川は、そらと付き合い始めた頃であり、後から思うと、
「そらのことを、最初から狙っていて、それで、細川に親友気取りで近づいた」
ということだったようだ。
どちらかというと、一人で女の子と仲良くなるなどできない小心者である神崎にとって、細川というのは、まるで、噛ませ犬のようなものだったのだ。
小心者のくせに、そういう悪だくみはしっかりしている。
いや、そういうところがしっかりしているから、小心者でも、何とかできるのであった。
「天は二物を与えず」
というが、極端な善悪の二物は与えるのかも知れない。
この神崎という男は、実に、人を欺くことに掛けてはうまいといってもいいだろう、
どこか、同情を買うところがあり、それが、
「人間として完璧ではない」
ということが、相手に同情を買うということを証明しているかのようで、うまく相手を利用できるということになるのだろう。
確かに、
「人間として完璧ではないから、同情のようなものが生まれる」
親友になるかもしれないという人間が現れると、最初に何を考えるかというと、
「自分にない、いい面をたくさん持っているのではないだろうか?」
と思い、それを探し始める。
だから、いい面を一つ見つけても、それで満足することはないので、他にも必死になって探すのだった。
それがどういうことなのかというと、
「一つでは満足できない場合、それがいくつあっても、満足できないという境地に陥る」
ということであり、それは、まるで、
「お金」
と同じ発想になり、
「お金はいくらあっても、心配が尽きることはない」
というものだ。
それは、欲望というものが、お金に対しての執着ということになるのだろうが、
「その執着をいかに果てしないものにするか?」
ということになると考えると、
「欲望というものは、果てしない」
ということにある。
これが、達成欲のようなものであれば、どんどん、求めるものがその先にもあるわけなので、決して悪いことではない。
しかし、それが、征服欲、自己顕示欲、物欲などとなると、
「自分というものを見失ってしまう」
ということになり、どうすることもできない心境に陥ってしまうのではないかと言えるのではないだろうか?
警察が考えれば、この三人は、一種の、
「三角関係」
であり、細川には、
「神崎を殺す動機は充分にあるのではないか?」
と考え、
「第一の容疑者」
として捜査が行われた。
しかし、見た目に比べて、実際に、三角関係が大きいということもないということであった。
しかも、肝心のアリバイが、細川にあったのだ。
その日、細川は、そらと一緒にいた。それは、ちゃんと証明されていて、デートの現場にそれぞれ、防犯カメラの映像に残っている。
だから、警察も、二人を疑うことができなくなってしまったわけだが、ある意味都合がいいともいえた。
「二人が一緒にいたということは、これ以上に二人を完璧なアリバイを示すものはない」
といえるが、一歩間違えれば、
「どちらかのアリバイが崩れれば、相手も崩れるということである」
ということが言えるのだが、それが、防犯カメラという、決定的な、
「動かぬ証拠」
であれば、どうしようもないというものである。
そもそも、三角関係というのも怪しいもので、
「ちょっとした痴話げんか」
を大げさにいう人がいただけなのかも知れない。
最初に聞いた相手が、
「あの三人は三角関係だ」
ということを思い込んでいて、そのような証言をすれば、警察も人間なので、思い込みというのがあってもしかるべきだといえるだろう。
しかし、本当は、
「そんな思い込みはあってはいけない」
というのが、警察の捜査における心得なのだが、
「そうであってくれれば、どれほど、犯罪の動機として、ふさわしいことかと考えると、そこには、まるで、
「探偵小説における。叙述トリックのようだ」
と言えることになるのだろう。
捜査を続けていくうえで、
「神崎という男は、誰からも恨まれるような人間ではない」
ということであるということから、
「やはり通り魔殺人なのか?」
ということも浮上してきた。
ただ、彼を恨んでいる人はいないのではないかということであったが、それは、彼が別に聖人君子だということからではない。
ただ、何人かが口を揃えて話したのを総合して考えると、
「彼は、人を殺すことはあっても、殺されるようなことはない」
ということであった。
「それだけ、狂暴な性格なんですか?」
と刑事が聴くと、
「そういうわけではないんですが、彼の性格は、実直なところがあって、言い方を変えると、融通が利かないんですよ。だから、一度信じてしまうと、一途なので、よく人から騙されたり、利用されたりすることがある。それでも、自分では、嫌だとは思っていないようで、そのおかげで、まわりが緊張している時でも、大人の対応をしていて、そこだけしか知らない人は、彼を、本当に聖人君子のようにしか思えないでしょうね。でも、実際にはその後、皆の関心が他に移った時、急に怒り出すことがある。それが、彼の特徴だといえるでしょうね」
というのだった。
作品名:可能を不可能にする犯罪 作家名:森本晃次