可能を不可能にする犯罪
そういう意味で、欧州の、特にドイツ系のオカルトや、ホラー話が日本にやってきて、日本の怪奇な話とどのように結び付いてくるのか?
ということを考えると、
「実に面白い」
と言えるのではないだろうか?
実は、そらも、アイドルになるのを諦め始めた時、
「このまま何もないのでは、アイドルになる夢をあきらめた意味がない」
ということは、そらの中で分かっていた。
しかし、
「どうして諦めたのか?」
と聞かれると、
「なぜなのか分からないけど、急にやる気が萎えたのだ」
としか言えなかったのだ。
そう思っていると、自分が進もうとしたところに、目の前にいたのが、細川だったのだ。
それまで、そらも細川も、お互いのことを意識しているという感覚はなかった。
どちらかというと、
「自分が進もうとする前を邪魔している存在だ」
ということであった。
それは、お互いが、
「螺旋階段を描いているように、まるで、錐もみしながら進んでいるように見えるのだった」
と言える。
どちらかが前にいる時には、後ろを意識することはない。
だから、お互いに、前しか向いていないわけなので、その顔が見えるわけはない。
後ろにいる時、
「ああ、邪魔だな」
という意識を持つとことまでは同じなのだが、前にいる人間の顔も評定も見えないので、感じることと言えば、
「邪魔になるだけだな」
という苛立ちしかないのであった。
それを考えていると、急に浮かんだ思いというのが、
「鏡に映る自分」
というものだった。
ある時、友達から、言われたことがあった。
「鏡というのは、左右が対称だけど、上下は対称にならないということを不思議に感じることはなかったか?」
ということであった。
ああ、なるほど、確かに、左右や、書かれている文字は反対に見えるが、上下は逆さま異見えるわけではない。
確かに、上下と左右とでは、見え方も違うということは分かっているので、それが影響しているのではないかと思うのだが、果たして、その理屈に合うのだろうか?
その時、友達に言われたことがあった。
「じゃあ、そもそも、左右対称がおかしいのか、上下対称というのがおかしいのか?」
ということを聞いてきた。
普通であれば、
「上下対称にならないのがおかしいのではないか?」
というと、友達は、
「いや、そうではないのではないか?」
という、
「なぜなのか?」
と聞くと、
「左右対称がどうしてそうなのか? ということを解明できたとすれば、その勢いで上下が対称ではないということの証明が分かるというものだ」
というのだ、
つまりは、
「上下対称がありえないうところを証明するには、左右が対称になることを証明しないと、いつまで経っても、先に進めないということになるだろう、
ということを言っていたのだ。
「皆が、上下対称にならないことを証明しようとするから難しいのであって、ならないということは、なるということの狭い範囲のそれ以外全部ということになり、その広さがどらだけ広いかということを考えると、分かるというものだ:
という。
さらに、
「野球でバッターが三割を超えると、一人前の打者だというが、いくら一人前といっても、6割以上が、打てなくても一流だと言われている。その境目というのが、何を根拠にそういわれているのか?」
ということが問題なのであろう。
それと同じ発想で、
「反対の発想」
というものが、狭い部分をこじ開けるために広く見せるために必要なのが、
「逆説」
と呼ばれるもので、いわゆる、
「パラドックス」
のことである、
「パラドックスの裏側には、本当に表があるのだろうか?」
その発想は、まるで、
「異次元の扉を開く」
と言われている、
「メビウスの輪」
の理論と同じなのではないだろうか?
そらは、自分がアイドルになるのをあきらめたことを、細川に話した時、
「俺は、そらちゃんがmきっと、そう言いだすんじゃないかって思ったんだよ」
というので、
「どうして、そう思ったの?」
と、そらが聞くと、
「そらちゃんが、この間、自分の目の前に誰かが立ちふさがっているような気がするって言っていたでしょう?」
という話を細川が始めると、
「うん。言ったよ」
とそらが受け答えた。
「その時思ったんだけど、目の前に立ちふさがった人物こそ、最初は、ドッペルゲンガーではないかと思ったんだよ。でも、それは、実は今の自分ではなく、少し前を歩く自分なんだよ。そして、それが普通であれば見えるはずのない自分が見えているということで、そらちゃんは、それを僕だと思い込んだんじゃないかって思うんだよね? 自分が気にしていて、一番そばにいてほしい人だと思うと、理屈としては合うからね。だけど、そうじゃないと考えると、それがもう一人の自分であり、こちらを振り向かないのは、ドッペルゲンガーではなく、同じもう一人の自分なんだけど、少しだけ前の時間を歩いている自分だと思うと、理屈が分かる気がするんだ」
という。
「それはどういうことなの?」
と聞いてくるので、
「そこで考えたのが、どうしてこちらを見ないか? ということが、ドッペルゲンガーではないということ以外にも意味があるのではないかと思った時、鏡を思ったんだよ。それも、どうして、左右と上下で見え方が違うかということをね」
という。
「それで?」
と聞いてくるので、細川は、友達と話した時の、
「野球の打率としての、三割以外の七割という発想」
を思い出して、話をしていた。
「普通であれば、左右が対称に見えるのが正しいと思うことが、そもそもの間違いで、上下が反転しないのが、どうして当たり前なのかと思わなくてね。それは、あくまでも、鏡というものが、左右は対称なんだと思い込まされていることでの思い違いだと考えると、左右が対称でならなければいけない理由がどこにあるのか? ということになるんですよね?」
というのだ。
「でも、それをどうやって証明するの?」
というので、
「それが、目の前にいる、そして、決してこちらを振り向かないもう一人の自分の存在なんだよ」
という。
そらは、自然に、頭の中に、たくさんのクエスチョンマークを円のように描きながら、
「どうしてなんだろう?」
と、半分斜め上を見ながら、口をすぼめる形で可愛く見せたのだった。
「それはね。自分から見えるもう一人の自分が、必ず、前を向いているということなんだよ。つまりは、本当は自分が見ているのは、鏡に映っている姿ではなく、後ろから見ている自分の姿を見ているはずなんだけど、こちらを見ている姿を想像することで、どうしても、左右対称だと自分で思い込んでいるんだよね」
という、
「そこが分からないのよ」
とそらが聞くので、
作品名:可能を不可能にする犯罪 作家名:森本晃次