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三つ巴の恐怖症

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「秀才だって、努力をするということを理解できていないと、なれないものだ。それは、実力云々というよりも、その人が、どう進むべきか?」
 ということを考えられる頭を持っているということである。
 そのことを理解していて、そのままその先に向かって突っ走っていくのであれば、
「秀才は、天才をも凌ぐというものなのかも知れない」
 と言えるのではないだろうか?
 天才と秀才。どっちがどっち?」
 ということを考えると、
「私は、秀才がいいな」
 と思ってしまう。
 確かに天才というのは、
「神の領域」
 ということになるのかも知れない。
 しかし、その神というのは、本当に、
「万能なのだろうか?」
 ということである。
 しょせんは、
「人間が作り出したものが、神だ」
 ということであり、しかし、人間は、
「その神によって作られた」
 と神話には載っている。まるで、
「ニワトリが先か、タマゴが先か?」
 という、禅問答ではないだろうか?
 それを思うと、
「天才とは、タマゴなのか、ニワトリなのか?」
 あるいは、
「神なのか、人間なのか?」
 という比較対象でしかないと思うのだった。
 そんな、
「天才と秀才」
 とであるが、
 この病院のスタッフたちは、天才が集まられた。
 もちろん、それを決めるのは、面接官である。この病院は、確かにテスト形式で昇進していくのは、
「警察や検量」
 と言った、
「階級制」
 と同じである。
 しかし、それは、全国共通の国家試験のようなものではないだけに、独自で自由なものであった。それだけに、昇進試験が少しでも、おかしなものであれば、ここの体制は一気に崩壊するということになるだろう。
 そういう意味でシビアであり、間違えられないものでもあった。
 だから、ここの昇進試験を作り、昇進を決定する機関というのは、
「天才の中のさらに天才」
 というわけでないといけない。
 それが、ここでは今のところうまく行っていた。
 実は、この病院は、確かに、ここに設置されて、まだ三十年と経っていないが、実は、それ以前から存在はしていた。
 もちろん、ここでの存在と同じように極秘裏に存在していたので、誰も知る由もなかったというわけだ。
 その時から、この体制は確固されていたわけだが、実際に、
「うまく行っていた」
 というのは、そういうことである。
 だから、
「この病院の経営、さらには、方針に関しては、誰よりも、ここのスタッフ、さらには幹部は、絶対的な自信を持っている」
 といってもいいだろう。
 そんなこの病院だが、最初は、さすがに経営に関しては、五里霧中だったに違いない。
「誰もやったことがない経営方針」
 ということだったのだ。
 実は、この方法は、日本がまだ、
「占領されていて、独立国家ではない時代から、計画されていたことだ」
 というのは、
「これも、占領国においても、日本においても、最高国家機密になっている」
 ということであった。
 というのは、元々、これは、
「国家プロジェクト」
 だったのだ。
 しかし、それが、認められなかったのには、大きな理由があった。
 というのは、
「このプロジェクトには、関東軍防疫給水部、つまりは、通称731部隊と呼ばれる部隊で、暗躍していた人間がかかわっている」
 ということが問題だったのだ。
 元々、それらの面々は、戦犯にも引っかからず、そもそも、その存在すら、
「証拠がない」
 ということで、その存在を日本はひた隠しにしていたのだが、どうも、
「連合国との密約があった」
 ということを言われ、当時あった、
「社会主義国との、東西冷戦」
 というものを乗り切るために、
「彼らと裏取引をした」
 というウワサがあったが、それが、
「実は、ウソではないのではないか?」
 と言われていたのだ。
 実際に、部隊の幹部だった人が、実際に、その後の
「血液銀行」
 の幹部に就任したりしていたのだ。
「何が違うというのか?」
 ということであるが、そこには、大きな理由があった。
 血液銀行の幹部になった人は、731部隊における幹部であり、連合国との密約の上に成立したものだった。
 これは、
「世界を欺く」
 という意味も含まれていた。
 なぜなら、
「731部隊の幹部であったとされる男を、さすがには、日本でもこれからの企業と言われる血液銀行の幹部にするわけはない」
 ということで、この事実が、却って、
「731部隊など存在しなかった」
 ということへの裏付けとなるという計算だったのだろう。
 実際に、どこまでそれが信じられたかは分からないが、連合国としては、
「日本人に、自分たちの計画がバレなければ、そのまま、世界にも通用する」
 と考えたのだろう。
 実際に、
「731部隊は存在した」
 というのは、かなりの信憑性はあるのだが、何しろ、終戦を前に、日本軍は、徹底的に証拠を破壊し、破棄したのだった。
 しかし、そんなに簡単にあれだけの施設の証拠を抹殺できるものだろうか?
 そこには、何かの力が存在していると考えてもいい。
 そう思うと、ここでも、
「連合国との密約」
 というものがあり、
「日本側としても、戦犯を逃れるため」
 という理由、
 そして、連合国側でも、その秘密を握るために、お互いに得をするということで、考えられた、抹殺計画だったのだろう。
 何といっても、
「連合国側には、ソ連という社会主義国家がある」
 というのは、ネックだった。
 そもそも、彼らを抑えるために、開発することである。
 ということだからである。
 しかし、逆に考えると、
「東側であるソ連は、終戦前に、ベルリンに迫って、ソ連軍を中心とした、ドイツ占領作戦」
 というものが行われたので、ドイツに関しては、ソ連を無視して行動することはできない。
 その証拠に、ナチスの科学者は、どんどん、ベルリンからソ連に護送され、科学的な研究に従事させられたではないか。
 何と言っても、アメリカが、ヒロシマ、ナガサキに、原子爆弾を投下したという事実は、「受け入れなければならない、大きな事実だ」
 ということになるだろう。
 もっと考えれば、
「ナチスドイツの科学力は、ソ連の生命線である」
 といっても過言ではなかった。
 ソ連が強くなければ、世界は、民主主義によって、支配されることになる。
 と思っていたソ連からすれば、
「マルクス社会主義の考え方こそ、世界を救う」
 と思っていたからである。
 社会主義革命を成し遂げたソ連としては、いまさら、民主主義という、
「欠点だらけの世界」
 に戻すわけにはいかなかったのだろう。
 それから、ちょうど半世紀後に、
「ソ連が崩壊する」
 ということになるまで、その考えは持ち続けられることになる。
 だから、ソ連を除く連合国側とすれば、
「761部隊の存在」
 というものを、必死になって隠す必要があった。
 その存在が認められると、連合国は、
「その魂を悪魔に売った」
 ということになるのであった。
 だから、その存在を連合国では必死に隠したのだ。

                 軍と政府

 ドイツが開放された時、アウシュビッツを始めとした、
作品名:三つ巴の恐怖症 作家名:森本晃次