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三つ巴の恐怖症

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 などということになると、どんどん、
「負のスパイラル」
 というものが増えていき、堂々巡りを繰り返すということになってしまうだろう。
 ただ、昔から、それで会社は成り立ってきているのだ。
 そういう意味では、
「社会にハラスメントというのはなくてはならないもので、まったく消し去るということは無理だとすれば、いかに、被害を少なくする」
 ということを考えていかないと、
「無理なものを推し進めている」
 ということになり、却って、どうしようもない問題に、発展しかねないといえるのではないか?
 ということになるのだった。
 目指すのは、あくまでも、
「限りなくゼロに近い」
 というものである。
 そういえば、
「世に蔓延っている伝染病」
 というのも、そうではないか。
 数年前にあった、
「正解的なパンデミック」
 と呼ばれたもの。
 あれは、ウイルスという性質上、一度波を向かえて、終焉していくと、今度はウイルスが変異というものをしていくことで、さらなる波が襲ってくる。
「波は数年に渡って、10回前後繰り返されるものではないか?」
 と思っていると、実際にそうなってしまった。
 ウイルスというものは、最初は誰にも分からないもので、その予防であったり、特効薬などということの前に、
「何者か?」
 という、その正体が分からない。
 だから、薬を作っても、
「本当に大丈夫なのだろうか?」
 と、ワクチンへの信頼性はまったくなかったといってもいい。
 アナフィラキシーショックのように、
「ハチの毒」
 というもののようになっては、本末転倒である。
 このアナフィラキシーショックというのは、
「ハチに2度刺されると死に至る」
 と言われていることから、その理由を説明するのにつかわれる。
 というのは、
「一度ハチに刺されると、身体にハチの毒が回るのだが、そこで死に至るということはない」
 そして、
「一度身体に、毒が入ると、そこでその毒を駆除するということでの、自浄効果ということで、自分の身体の中に、抗体というものを作るのだ。そして、その抗体が出来上がると、その毒がもう一度身体に入ってくると、それを駆除しようとして、その毒と戦うというのである」
 そして、その時に、
「アレルギー性のショックを引き起こし、それが、死に至らしめるということであるのだった」
 つまりは、
「人間が風邪を引いた時など、熱を出すわけだが、それは、風邪の菌を撃退しようとして、風邪の菌に対抗するだけの抗体ができていて、その抗体と菌が戦っているので、熱が出るのだ」
 ということであった。
 これと同じことが、
「ハチの毒」「
 にも言えるわけで、
「毒によるもの」
 というのが死因ではなく、あくまでも、身体にできた抗体が、アレルギー性のショックを身体に起こさせることで、それが、
「死に至らしめるのだ」
 ということであった。
 それを、皆どこまで分かっているかということであり、
「ハチに二度刺されると死ぬ」
 ということは、
「アナフィラキシーショック」
 という言葉を認識するようになってから、分かってきた人が多いだろう。
 元々、
「浸透しかかっている言葉」
 ということであったが、それを決定的にしたというのが、
「世界的なパンデミック」
 というものが起こった時だろう。
 流行り出して一年ちょっとくらいで、ワクチンが急遽開発され、政府から、
「ワクチンを輸入したので、順次打ってほしい」
 ということであったが、
「ワクチン論争」
 というものが巻き起こったのだ。
 というのも、
「たった、一年やそこらで開発されたワクチンに、安全性が保障されているのか?」
 ということであった。
 確かに、
「ワクチンというものは、最低でも、数年に渡って、臨床検査をかなり施してこなければ、信憑性はない」
 といってもいいのだから、いくら、
「急に流行した伝染病」
 であったとしても、
「いくら予防のためといって、ワクチンを打ったことによって死んでしまっては、本末転倒もいいところだ」
 といってもいいだろう。
 それこそ、
「ハチに2度刺されると死んでしまう」
 ということと同じではないだろうか?
「ハチの毒で死ぬわけではなく、抗体と毒の間でショックを引き起こし、それがまるでアレルギー性のショックである、アナフィラキシーショックとして人を死に至らしめる」
 ということになるわけなので、
「伝染病に罹ったから死ぬ」
 というわけではなく、
「そのワクチンを打たなければ死ななかった」
 という、
「国に騙された」
 と感じる人も多いだろう。
「何かあった時は国が責任を持つ」
 ということで、ワクチン促進のための言い訳として言っていたわけだが、実際にワクチンが原因で死んだ人がいると、
「因果関係が求められない」
 などといって、完全に前言撤回ともいうべき理由で、簡単に逃げる政府なのであった。
 そんな政府が推進することで、ひどい状態になった人がいるということを考えれば、
「簡単に政府のいうことを信じるわけにはいかない」
 ということだ。
 それだけ政府というところは、
「自分の保身しか考えていない」
 ということであり、それが、
「トップに君臨する」
 ということであるといえるだろう。
「最高潮になってしまうと、後はそれを守るために、逃げるしかないわけだ。何しろ、それ以上上がないからである」
 ということなのであろう。

                 天才秀才

 そんな、
「快適に過ごせる空間」
 に作られた療養所。
 そこでは、今、クーデターが起こりかけている。
 その正体は正直ハッキリとしないものだった。
 首謀者が誰で、何を目的に行われていることなのか、ハッキリしているわけではない。それは、実際にクーデターを起こそうとしている人たちが一人一人感じていることであった、
「俺たちは一体何をしているのだろう?」
 とであった。
 この療養所の数名は、
「精神疾患がある人」
 ということであるが、その精神疾患が何なのかということを知っているのは、医師と看護婦、そして一部の幹部だけだった。最初の頃こそ、アルバイトやパートという人たちが普通に立ち入り、実際に、彼らの世話をしていた。
 だが、立ち入りは禁じられ、アルバイトの人たちの鼓動範囲は、急に制限された。
 それでも、彼らが辞めなかったのは、給料が急にアップしたからであった。
 これは、ある意味、
「口止め料」
 が含まれているのは、分かっていることであった。
 彼らは、一体何を知っているというのか? 実はアルバイト本人たちも、自分たちが何を知っているのか分からなかった。
 それだけ、病院幹部はナーバスになっているということであり、そこに何か秘密があるのか、それとも、
「本当は何もないのに、何かがある」
 という妄想に取りつかれているのか?
 とも考えられる。
 しかし、それはあくまでも妄想であって、
「精神病院というものを営んでいるのだから、それくらいの神経を持っていないとできないということくらいは、誰にだって分かるというものだ」
 ということであった。
作品名:三つ巴の恐怖症 作家名:森本晃次