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三つ巴の恐怖症

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 ということである。
 街の近くには道の駅があるが、観光客が来るのは、せめてそこまでであった。
 幸いなことに、この街には、観光資源のようなものは一切なかった。昔からのお寺があるわけではないし、整備された公園があるわけではない。それに、食事処も、普通に、
「街の人用」
 ということであるだけで、
「誰が好き好んで、昔からの漁村のような食堂に食べにくるというのか?」
 ということであった。
 農村部には、バスが通るあたりに、
「無人の野菜一番のようなものがあるが、それをいちいち買っていく人は、ほとんどいない」
 特に、数年前からの、
「世界的なパンデミック」
 以降は、
「誰が、こんな不潔なところで野菜など買っていくか」
 ということであり、
「ここで買うくらいなら、道の駅に行く」
 というのも、当たり前のことであった。
「昔だったらいざ知らず、誰が取ったとも分からない野菜を誰が買うか」
 ということである。
 特に、製造者や賞味期限などの表記を厳しく言われる時代、そんあものが詳しく記載されていないものを、誰が買うというのだろうか?
 ただ、それでも、
「無料野菜販売所」
 がなくなることはなかった。
「こちらにお金をお入れください」
 と書いてあり、
「100円」
 となっていた。
 いくつまでとかいう制限を設けているわけではないので、ある意味、取り放題であった。
 朝、取ってきた新鮮な野菜を置いておいて、夕方に回収に来るのだが、その時、野菜がなくなっているということはなかった。
 いつも半分くらいなくなっていて、お金を入れる缶には、いつも、
「500円」
 くらい入っているのだ。
 もちろん、どれだけ持っていったのか分からないが、500円であれば、妥当な値段だろう。
 スーパーに売れば、そんなものでは済まないはずだが、この無料販売所は、
「好意の販売所」
 ということになっていて、損得を考えているわけではなかった。
「私が作ったものを、おいしいといって食べてくれれば、それでいいんだよ。100円としているのは、ただにしておくと、全部持って行く人もいるだろうから、そうなると、他の人が買えないだろう?」
 という考えであった。
「でも、どうして100円にすると皆持って行かないと思うんですか?」
 と聞かれた、ここに野菜を運んでくるっ初老の女性は、
「これは昔からなんだけど、安いお金を設定しておくと、昔から、全部持って行く人はいなかったんだよ」
 というではないか。
 そもそも、今なら車の荷台にでも乗せればいいだろうが、昔だったら、大八車などのようなものに積んで、持っていくことになる。全部乗せるとなると、一人や二人ではダメなので、それだけの人がいるということだ。
 ここに店を出す時は、昔は、家族全員が手伝ってくれるので、そんなに難しくはないだろう。
 それに、このあたりは閉鎖的なところなので、この場所は誰のものか皆分かっている。見たこともない連中がおかしなことをしていれば、すぐに分かるというもの。
 戦後の絶望的な食糧不足ならまだしも、今のような、よほど食うものに困っている人でなければ、そんなリスクは犯さないだろう。
 というよりも、
「食い物や金に困っている人間が、こんなところで、野菜をくすねたとしても、その日の食い物だけということになり、そのためのリスクとしては、あまりにも大きすぎる」
 ということにならないだろうか。
 そういう意味で、昔から、悪いことをする人はいなかった。
 と言えるだろう。
 しかし、中には愉快犯もいて、一時期、すべてを盗まれていることもあった。
 だが、警察に通報することはしなかった。
「最初から、計算ずくだから」
 と言っていたが、強がりではないようだった。
「さすがに私も、もっとひどくなったら、警察にいうくらいのことはすると思うよ」
 といっていた。
「そもそも警察に言っても、あなたが、そんな販売所をつくるから、持って行く人は持って行くんだよ」
 と言われるだけだということも分かっている。
 口には出さなくとも、そう思ってみることだろう。
 どうせ、
「警察だって暇じゃないんだ。そんなくだらないことで手数を煩わすんじゃない」
 と言いたいことだろう。
「もし、自分がその立場だったら、言わないとも限らないしね」
 と、初老の女性は、そう言って笑っていた。
「だから、100円にしているんですよ。高くもなく安くもない」
 というと、
「いやいや、安いでしょう」
 とまわりがいうと、
「いやいや、趣味で作っているようなものだから、お金は関係ないんですよ」
 と、女性はいうのだった。
 実際に、野菜を置いている人は、気持ち的には、
「施し」
 だと思っている。
 持って行く人も、そう思って、ありがたく持っていくのだろうが、そこには、お互いの信頼関係で結びついていなければ成立するものではない。
 そんな状況において、この村では、最近、少し、物騒な話が巻き起こっていた。
 それは、この村にある、療養施設のことであった。
 この療養施設がある場所というのは、街の住民とは、隔絶されたところにあった。
 それは、やはり、
「地域住民を刺激することもなく、また、入院患者に余計な気遣いをさせないようにしないといけない」
 ということで、街の奥にある、
「閉ざされた空間」
 といってもいいところにあったのだ。
 その閉ざされた空間というのは、患者が精神的に落ち着くという意味でも、環境的にいい場所にあったのだ。
 この場所は、街の中でも、奥の方に位置していて、
「前には海が。そして、少し下がったところには、山がそびえている」
 と前述には書いたが、そこから先の方に見えるものとして見えてくるのが、
「施設を隠すように佇んでいる森だったのだ」
 ということである。
 この森というのは、この街の奥を森をかすめるように走っている国道があるのだが、その国道からは、そのあたりがどうなっているのかということは、分からなくなっているようだ。
 その奥に見える光景は、国道から見れば、
「ただの森に木が茂っているだけだ」
 としか感じることはないだろう。
 もちろん、何かを感じて、そこで車から降りると、その森が、普通の森ではないことに気付く人もいるだろう。
 車から降りると、そこは、絶えず風が吹いているのだ。
 涼しさを感じさせる風で、このその場所に佇んでいると、
「さすがに避暑地としても十分といえるくらい、夏も涼しいと言われるだけのことはあるんだな」
 と感じることだろう。
 そこから、ゆっくりと少し分かりにくいが、入り口のようなものがあり、そこから入っていくと、本当にひんやりとした空気を感じさせるのだ。
 ここは夏であっても、それほど湿気を含んでいるわけではなかった。
「まったく湿気を感じない」
 というわけではなく。
「湿気があるとすれば、これくらいがちょうどいいんだ」
 と思えるほどだったのだ。
 そのまま中に向かって歩いていくと、そこにあるのは、急に開けた場所であり、その真ん中に大きな池があるのだった。
「まわりを森で囲まれた大きな池」
 という雰囲気で、
「湖」
 といってもいいくらいだった。
作品名:三つ巴の恐怖症 作家名:森本晃次