三つ巴の恐怖症
「そんなことはこっちだって最初から分かっていて、何とか手を打とうとしていますよ」
と言いたかった。
本当は学校側がもっと早く、その話を持ち出してきて、一緒に考えるくらいのことがあってしかるべきなんだろう。
しかし、しょせんは、
「学校側は動きたくない」
ということなのだ。
だから、わざと時間をあけて、いきなりの最後通牒だったというわけだろう。
つまり、
「自主退学をしろ」
というわけだ。
「もし、しなければ、強制退学ということになるが、それでは立場がないだろうから、こっちから、歩み寄っている」
とでもいいたいのだろう。
そんなバカげたことを言われると、確かに、こっちは、学校の言いなりになるしかない。
それは、
「何も考えていなかったこっちが悪い」
ということになるだろうからである。
しかし、実際に渦中にいる人間が何も考えないなどありえない。そんな当たり前のことまで気づかないというのは、それだけ、学校というところが、
「公務員の塊だ」
ということで、
「決まったことを決まったようにしかできない」
という、
「まったく融通の利かない、いわゆる、一番嫌われるタイプの人間たちではないか」
ということになるのである。
そんな状態において、家族の方は、すでに、学校に対して、愛想が尽きていて、
「医者であったり、カウンセラーに最初から相談をしているので、できることはすべてやっている」
といっても過言ではないだろう。
それを思うと、
「何をいまさら学校は、トンチンカンなことを言っているのだ?」
と、
呆れてモノも言えない」
というくらいに思っていた。
すでに、学校側と保護者側とでは、
「結界ともいえる線ができていて学校というところに誰も立ち入ることができない」
ということに、この家族は熟知をしていることになるのだった。
「本当に、公務員というのは、言われたことしかできないんだな」
ということが身に染みたのか、そういえば、カウンセラーからも、最初に同じような言葉を言われたということを思い出していた。
病院とは別に、保養地として整備されたところに、入ってくる人もいた。それは、いちかの家族のように、
「学校にもいけないほどの状態になり、病院からも、どこかで静養を」
ということで、その医者からの推薦で来た人が中心に、保養地に入るのだった。
ここに入るためには、
「医者の推薦状」
というものが必要で、その医者というのは、
「指定された医者」
でなければいけなかったのだ。
この街は、土地が余っているとはいえ、それでも収容には限界がある、それぞれのプライバシーもあるので、保養施設がそんなに近くであるわけにもいかないのだ。
その施設というのは、基本、平屋建ての個人宅で、それこそ、軽井沢などにある、
「別荘」
と呼ばれるものの、簡素化したところであった。
それでも、マンションであったり、施設のような、部屋だけが別で、共用部分は一緒というわけではないので、安心はできるのだ。
このあたりの土地が安いということもあるが、都会では信じられないような費用で、保養できるという。それだけに、募集をフリーにしてしまうと、一瞬で埋まってしまうことになるだろう。
だから、
「入居者に制限を設ける」
というのは当たり前のことであり、それが、この街での、
「誘致に対するルール」
ということであった。
実際に、入居が始まってしまうと、いきなり半分は埋まってしまった。
予約のような感じになっていて、
「半年後に運用が開始されるので、それまでお待ちください」
と言われていたのだ。
それは、松橋家でも同じことで、家族全員が、待ち望んでいたことであった。
母親は、それでも、父親に対して、
「後ろめたい気持ちになっていた」
なんといっても、いくら子供のためとはいえ、まるで、
「逆単身赴任」
というような形になるのだから、それは仕方のないことであろう。
松橋家は、比較的裕福であったので、
「二重生活」
ということに対しての、問題はなかった。
むしろ、
「それで、娘が少しでもよくなってくれれば、ありがたい」
ということである。
めったやたらに高い薬であったり、かなりの金がかかる手術を繰り返したりするよりもマシだという考えであろう。
この家族は、
「娘がリアルに苦しんでいる」
ということもあって、まわりを見る目はかなりシビアであった。
損得勘定に関しては、かなりの頭が回る方なので、それ以上に、まわりに対して気を遣うことも忘れていなかった。
それだけに、
「街のルールを守らない」
というひどい連中のことを考えると、
「他の人以上に、イライラしてくるのだ」
といってもいいだろう。
特に、奥さんは神経質だったので、
「娘と一緒に、妻も、命の洗濯ができるというのは、いいことではないだろうか?」
と考えていたのだった。
それを思うと、
「この街で保養ができるというのは有難い」
と、家族全員が考えているとしても、それは当然のことだったに違いない。
ただ、
「一番は娘のこと」
というのは、当たり前のことであった。
森の中の湖
松橋家の借りた別荘は、コテージのような感じのところで、
「冬は寒いが、夏は涼しい」
という感じであった。
普通の別荘のような、避暑地であれば、冬場は家に帰ったりして、寒さを感じることはない。
しかし、ここは基本的に保養地なのだ。
だからなるべく、保養地としては、ある程度まで、年中快適な場所を選ぶ必要があるのだった。
そういう意味で、このあたりは冬といっても、そんなに寒くはない。近くに火山があるからであろうが、そのわりに夏が涼しいということであれば、説明がつかないといってもいいだろう。
そういう意味では、冬は、
「まるで、街全体がスチーム状態のようだ」
といってもいいだろう。
それでも夏が涼しいのは、山があるわりに、それほど高い山ではなく、吹き下ろす形状ではないことから、
「フェーン現象が起こりにくい」
ということになるのだ。
だから、松橋家にこの土地のことを教えた先生も、
「あなたがただから教えるので、どんなにいいところだったといって、他の人には言わないでくださいね。あの街とは、下手に宣伝して、街の風紀を壊してしまうのは困る」
ということだったのだ。
「これは、街長さんとの約束なので、くれぐれもお願いしますよ」
とくぎを刺されていたのだった。
「もちろん、分かっています。先生の顔に泥を塗るようなマネはしませんよ」
ということを言っておいたが、それは、松橋家にとっても、同じことだった。
静養でいくのに、観光客に空気を汚されでもしたら、本末転倒も甚だしいというものだ。
先生がせっかく教えてくれたのは、あくまでも、
「娘の治療のため」
それを忘れてはいけないということでもあった。
しかし、実際にその街に行くと、
「他の人にも教えたい」
などと考えるわけもないほどに、静養にはもってこいのところであった。
「これだったら、誰が他の人に教えたりなんかするものか」