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三つ巴の恐怖症

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 実は、この病院が最初にできた時は、精神疾患のある人間の扱いについて、議論が巻き起こった。
「身体の病気で重たい病に罹っている人がいて、その人と、精神疾患のある人とが一緒になった時、精神疾患のせいで、その気はなくとも、相手を傷つけたり、病気に立ち向かおうという強い意志を持っていなければいけない人だっているだろうから、その人たちを一緒にしてしまって、心にもないことを口走ったことで、取り返しのつかないことになったら、どうするんだ?」
 という意見があった。
 まさにその通りで、この意見は、誰が考えても、
「もっとも」
 な意見であった。
 それを聞いた院長が、
「この病院には、ホスピスとしての機能はないので、そのような、末期であったり、不治の病のような人が入る病院ではないんだ。今のような懸念はないと思うが」
 というと、
「なるほど、そうでないと、我々も、安心して患者と向き合うことはできませんからね」
 ということであった。
 ちなみに、ホスピスというのは、
「末期がん」
 であったり、医者から、
「余命宣告」
 というものを宣告された人が、
「残された命を、いかに幸せに生きることができるか?」
 ということを実践する施設である。
 だから、当然、他の患者とは一線を画していて、
「外部の雑音を一切遮断する」
 ということに、一番気を遣うところだったのだ。
 だから、余計に、
「精神疾患のある患者とは、犬猿の仲」
 とでもいうべき間柄であり、
「一緒にしてはいけない場所だ」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、
「この街の環境が、ホスピスにいいのか? あるいは、精神疾患関係の人を含む、静養地の様相を呈した病院としての確立がいいのか、大いに議論の的になる」
 というところであった。
「この街は確かに、環境というところではいいところだが、街に土着している人も結構いることから、ホスピスという形は難しいのではないか?」
 ということになった。
「ホスピスというのは、もっと、どこかの離島のような、世間からある程度完全に隔絶された場所でないといけないのではないか?」
 ということになり、沖縄だったり、鹿児島などの離島に作られるようになったのだ。
 ただ、それも、観光地というわけにはいかず、どこがいいのかというのも、結構問題となるのだった。
 この街は、
「街としては、他のところとは隔絶はされているが、陸続きなので、どうしても、地域住民の影響はうける」
 ということであった。
 その影響というものがどういうものであるかということであるが、
「街におけるやり方は、少し古臭いところがある」
 というのだ。
 隣組というような、まるで戦前から戦時中のような組織であり、
「マンションにずっと住んでいて、隣がどんな人か知らない。あるいは、住んでいるかとうかも知らない」
 というほどの、世間とは明らかに違っている。
 特に、都会などでは、
「昔からの区や組というやり方をしているから、若いもんがついては来ないんだ」
 と言われているが、まさにその通りだった。
 例えば、年に2回しかない、
「街内の清掃デー」
 というものに、マンションに、50世帯くらい住んでいたとして、出てくるのは、5組もいればいいだろう。
 それも、
「子供会の付き合い」
 であったり、
「主婦同士のつながり」
 というものであったりと、あくまでも、
「それぞれの都合」
 ということでしかなく、結局、
「自分から進んで」
 という人は、皆無に近いといってもいいだろう。
 そもそも、
「そんな日があったなんて知らなかった」
 ということだろう。
 しかし、
「回覧板で回していましたけど?」
 と、その時、組長となった人はいうが、相手はそれを聞き流す形で、
「あなただって組長だから出ているだけで、自分が違えば、まず出ないでしょう?」
 と言われて、
「もっともだ」
 と思ってはみても、とりあえず、
「そ、そんなことはない」
 といって逆らってはみるが、相手に、通用するわけはなく、涼しい顔で、こちらを見下すように、
「それ見たことか」
 といって笑っているだけだった。
 そんな状態を見ていると、昔から、街に住んでいる人たちは、そんな二人を、
「どっちもどっち」
 として見ているに違いない。
 そう、
「組長といっても、その年だけのこと」
 ということで、その年だけ、
「押し付けられた」
 と考えるか、あるいは、
「貧乏くじを引いた」
 と考えるかであるが、結局、そこにいる限りは、いつかは回ってくるというものだ。
 もし、これが新築のマンションであれば、考え方は二つで、
「どうせやらなければいけないのであれば、嫌なことは先に済ませておく」
 ということを考えるか、あるいは、転勤族であれば、
「数年すれば、他の土地にいくのだから、どうせなら、なかなか回ってこない方になればいい」
 と考えるかである。
 しかし、後者は、自分だけで決められることでないので、実践的ではない。それを思うと、
「一番にやってしまう方がいいか?」
 ということになるだろう。
 それには利点もある。
 昔からこの土地にいる人に対し、
「この人たちはやる気がある」
 ということを感じさせて、
「贔屓目で見てもらえる」
 ということであった。
「少しあざとい」
 ともいえるだろうが、協力的であることは間違いない。
 というよりも、
「ご近所様として認めてほしい」
 という気持ちがあるからだ。
 それだけ、最初はまだまだ新鮮な気持ちをもっていたということだろう。
 しかし、これが実際に活動を始めると、前述の、
「クリーンデー」
 の時などに出てこなかったり、それどころか、皆が掃除をしているのを横目に、玄関から出てきて、
「遅れてすみません」
 とでもいうのかと思えば、何と、そのまま車に乗って、どこかにいってしまったのだ。
 家族連れで、少々大きめのカバンを持っていたことだから、どこかの行楽地にでも行くのだろう。
 子供が楽しそうにしているのを見ると、実にイライラしてくるというものだ。
 それを見た時、
「近所づきあいなどというのは、もう、今の時代では、あり得ないことなんだろうな」
 ということを思い知らされたのだった。
 これが、今の時代のことであり、誰もが認識している、
「近所づきあい」
 というものである。
「今の時代に、学校で習うような、道徳やモラルなどというのは、それこそ、絵に描いた餅だといってもいいだろう」
 ということなのであった。
「今の世の中、そんな時代だ」
 ということを、この家族も十分に分かっていた。
 だから、娘の身体が弱いということで、学校側も、最初は一応という形で、
「心配しているふり」
 をしていたが、まさにそれが、
「ふりでしかない」
 ということを、次第に思い知られる。
 学校側からは、言ってくることといえば、
「このままであれば、出席日数が足りない」
 という警告めいたことばかりであった。
 そのうちに、
「どこか、保養できるところに移られてはどうですか?」
 と、途中しばらく音沙汰がなかった学校から、いきなり、最後通牒のようなものを言い渡されたのだ。
作品名:三つ巴の恐怖症 作家名:森本晃次