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三つ巴の恐怖症

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 なる歌が流行ったが、それも、もう半世紀前くらいになるのだ。
 今の世代であれば、
「戦争を知らないどころか、戦争があったということすら、意識がない」
 といってもいいだろう。
 さすがに、学校では習うだろうから、
 かつて、
「太平洋戦争」
 なるものがあったということくらいしか分からないに違いない。
 しかも、これは、
「連合国によって、そう言わされている」
 と思っている人がいるだろう。
 しかし、これは認識が違っている。
 というのは、
「確かに、開戦時に、閣議決定された名前と違っている」
 それは、
「日本を占領するうえで、自分たちが植民地政策をしていたことへの反発から出た名前」
 ということで、この名前を、
「日本における戦争のスローガン」
 ということになると、
「戦争が起こったのは、欧米列強による植民地政策のせいだ」
 といって、日本の戦争スローガンを肯定してしまい、これから戦争犯罪を裁くという意味で、まずいことになるだろう。
 だから、閣議決定され、日本で言われていた
「大東亜戦争」
 という言葉は、
「口にしてはいけない」
 ということになったのだ。
 戦争のスローガンは、
「東アジアから、欧米を駆逐し、東アジアにて、新秩序を築く」
 という意味で、
「大東亜共栄圏の建設」
 というのが、日本における戦争の意義だったのだ。 それを認めるわけにはいかないということで、
「日本において、大東亜戦争という言葉を使ってはいけない」
 ということになり、ずっと今までその慣習が続いているのだ。
 だから、ほとんど、
「大東亜戦争」
 という言葉を使う人はいないが、本来なら、サンフランシスコ講和条約において、日本が占領状態から脱却し、独立国として成立した時、本来であれば、
「大東亜戦争」
という言葉は解禁されたはずだった。
 しかし、なぜか、ずっと、
「太平洋戦争」
 という言葉を使っている。
 考えてみれば、それもおかしな話で、
「戦争は、太平洋でしか起こったわけではない」
 と言える。
 確かに、アメリカ相手であれば、戦場のほとんどは、太平洋上でのことであったが、それ以前の、
「シナ事変:
 さらに、陸軍の勢力範囲であった、東南アジアから、インド、ビルマにいたる南アジアという国だって、イギリスなどの欧州の国と戦った戦場ではないか?
 これだけでも、
「いかに、アメリカに気を遣っているのか?」
 ということであり、なるほど、
「日本という国は、独立していても、永遠にアメリカの属国だ」
 と言われるわけだ。
「アメリカの国債を、強制的に買わされ、それを返さなくてもいい」
 という、
「日米和親条約」
 あるいは
「日米修好通商条約」
 などの、不平等条約に勝るとも劣らない状態ではないか?
 確かに日本は戦争に負けた。しかし、独立国としての権利は回復したではないか。
 それなのに、どうして、日本は、
「アメリカのいうことを聞かなければならないのだ?」
 ということであった。
 日本が戦争に負けたということは、それまでアジアにおいて、
「盟主」
 であった日本が瓦解したことで、他のアジアの国は、
「解放された」
 と思っているかも知れないが、結局は、宗主国が戻ってきて、戦争や、ゲリラ戦によって独立を獲得した。
 もっとも、
「それだけの時代背景だった」
 といってもいいのかも知れないが、実際には、
「日本軍が残していった武器や、戦時中の教育などが行き届いていたことで、独立を勝ち得た」
 と言えるのではないだろうか?
 確かに、東南アジアに侵攻し、欧米勢力を駆逐した後、日本化計画が実施されたのは間違いのないことだろう。
 しかし、統治するには、外国ではうまく行かず、一種の宗主国としての体制を押し付けるといえば言葉は悪いが、宗主国の体制や風俗を根付かせるというのは当たり前のことである。
「だったら、占領国が、欧米から日本に変わっただけではないか?」
 と言われるかも知れないが、どこまで日本という国が、統治ということになったのかが問題だった。
 そもそも、日本のように、
「欧米に負けないだけの体制を、共栄圏という形で育んでおく必要がある」
 というわけだ。
 その中で、盟主として、日本が代表となって、欧米に対抗するということに、どんな問題があるというのか?」
 それを、統治されていた国は、
「欺瞞だというが、日本のおかげで、インフラは整備され、独立のための、準備が日本軍のおかげでできた」
 というのも事実である。
「結果論だ」
 と言われるかも知れないが、本当にそうであろうか?
 最初にしっかりとした統治を行い、共栄するためには、いかに早い時期に、
「独立国家として」
 さらに、
「共栄圏の一部としての機能を果たせるか?」
 ということが大切なのではないだろうか? 
 そんな独立国家となった日本だが、それはあくまでも、
「建前上」
 ということであって、結果としては、
「アメリカの属国」
 ということであり、
「同盟国」
 というのは、建前である。
 言い方を変えると、
「傀儡国家」
 といってもいいかも知れない、
 何と言っても、日本という国は、かつて、
「満州国」
 という隷属国家を作った。
 日本もその満州国のようなものである、
「日本という国を後ろ盾にして、以前であれば、金を出させるということだったが、最近では、自衛隊の派遣というものを言ってきたり、アメリカの武器を買えなどといってくるので、属国としては、買わないわけにはいかないということだ」
 日本のような国家は、アメリカにとってありがたいといってもいいだろう。
 手放さないのは、どうしても、アジアで何かがあった時の、
「前線基地」
 にできるからだ。
 しかも、今は、朝鮮半島の緊張、中国の、尖閣諸島における領土問題、さらには、
「一つの中国」
 というキャッチフレーズにおける。、
「台湾問題」
 など、すべては日本の前線基地からの出撃である。
 その後方支援をするのが、
「自衛隊」
 ということで、
「防衛費の増額」
 などと、ソーリのバカげた口車に乗せられた市民は、政府から、必要以上の、中国や北朝鮮にいたる防衛線を、必要以上に怖がって、ソーリの進める、
「軍事費増額」
 というものに、恐怖心を植え付けられるのであった。
「そもそも、あいつが、戦争している国に、金をやったり、武器まで供与しようっていうんだから、バカバカしいにもほどがある」
 というべきである。
 なんといっても、今の憲法では、日本は、
「中立以外の道はない」
 はずなのに、アメリカの口車に乗せられて、
「金を出してやったり、もう片方の国には、経済制裁を掛けたり」
 という、本来であれば、戦争をしている片方の国と、同盟を結んでいるかのようなやり方である。
 もっとも、その場合は、
「相互防衛」
 ということで、
「同盟を結んでいる国が、第三国と戦争をする時は、同盟を結んでいる国と一緒に、相手国に対して線背を布告しないといけない」
 というのが軍事同盟である。
作品名:三つ巴の恐怖症 作家名:森本晃次