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三つ巴の恐怖症

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 ということだったのだ。
 それも当たり前ということで、
「天皇は政治に口出しできないが、決定は天皇がするものだ」
 ということなので、当然、天皇には相談役というものが必要になってくる」
 その連中が一気に暗殺されたのである。
 ということは、天皇からすれば、
「反乱軍は、逆賊」
 ということになり、許せるわけはないのだ。
 それに、その時の事件の、時代背景、つまりは、軍内部の情勢というものが、問題だったのだ。
 というのも、この事件の前夜として、
「陸軍内部は、派閥争いでカオスになっていた」
 という事実がある。
 皇道派と呼ばれる連中と、統制派と呼ばれる連中との派閥争いが展開され、その中で、皇道派の青年将校が起こした、
「クーデター」
 だったのだ。
 狙われた人たちが全員、統制派だったということから考えると、これだけでも許されることではない。
 そして何よりも大きな問題は、
「天皇の軍隊」
 である軍を、
「勝手に動かして、暗殺に及んだ」
 ということである。
 つまり、統帥権において、軍を派遣するには、天皇の許可がいる。
 ということである。
 それは、参謀総長においても同じで、特に海外派兵は、勝手にやってはいけないということで、
「満州事変における林銑十郎、朝鮮総司令官が、まだ満州国が建国されていない満州に、朝鮮から越境するというのは、国外派兵と同じことになるのだ」
 その当時、朝鮮はすでに日本に併合されていて、
「国内」
 も同じことだったのだ。
 しかし、それでも、林銑十郎司令官は、その後、首相にもなる人だったので、それだけ満州事変というのは、大きな出来事だったといってもいいだろう。
 そんな国家において、大日本帝国は、
「天皇の国」
 ということなのだ。
 それが、臣民として当たり前のように受け止めていた。
 つまりは、
「軍というものは、天皇の軍」
 ということで国民も周知のことだっただあろう。
 だから、
「軍の命令は絶対」
 といってもいい。
「戦時中においての、絶対的な権力を有していたのは、内閣ではない。大本営なのである」
 ということだった。
 だから、天皇は、その時、
「反乱軍は許せない」
 といって、反乱軍に同情的だった陸軍首脳に対して。
「お前たちがやらないのなら。私が自ら軍を率いて、鎮圧する」
 と言ってのけたのも、無理もないことだろう。
 さすがに軍部もビックリして、
「私たちが説得します」
 ということで。反乱軍とみなされたことを兵に告げ、減退復帰を勧告した。
 それによって、減退復帰がなり、鎮圧された形になったのだが、これは、以前に海軍が起こした、
「515事件」
 とは、事情が違っていた。
 あの時は、
「犯罪者たちの刑は、恐ろしく軽かった」
 ということもあり、今回の反乱軍としても、
「死刑になることない」
 ということで、
「もし失敗しても、法廷で、君側の奸というものをぶちまけてやる」
 と考えていたことだろう。
 しかし、首謀者で、自害をせず、その役目を請け負ったつもりでいた連中だったが、結果としては、
「非公開、弁護人なし」
 という、最悪の状態で、全員が処刑されるということになったのだ。
 つまりは、
「臭い者には蓋」
 ということであろうか、最後には、
「クチナシ状態だった」
 ということになるのだ。
 このような、悲惨な事件が起こったことで、いよいよ軍部が力をもつようになる。
 というのも、
「皇道派が滅びて、統制派だけが生き残るような格好になったことで、統制派に固まったということになる」
 であろう。
 そうなると、曲がりなりにも統一された軍は、強く結集したといってもいいだろう。
 そんな状態で、満州から中国大陸に食指を延ばしていった日本は、いよいよ、
「大東亜戦争に突入していく」
 ということになるのだ。
 そんな状態において、天皇が軍部に口出しをしたということがあった。
 といっても、当時の参謀総長に、
「苦言を呈した」
 ということであるが、
 それが、開戦前夜の、当時の陸軍参謀総長であった、
「杉山元参謀総長」
 に対してであるが、その時天皇は、戦局について展望を尋ねたのだ。
「海軍は、半年や一年は、戦争継続はできるということであるが、陸軍としては、南方の資源確保までに、どれくらいかかると思っているのか?」
 ということを聞くと、
「三か月くらいではないかと思っております」
 と答えたという。
 それを聞いて、天皇は、
「威勢のいいことを言っているようだが、実際にまだ中国大陸の戦線では、もう、あれから2年が経とうとしようとしているのに、いまだに膠着状態ではないか?」
 と言われたが、それに対して、杉山総長は、
「何分、中国大陸は広く、奥地に入られては、時間がかかります」
 と言った。
 それを聞いた天皇は激怒し、
「太平洋はさらに広いではないか」
 といってあからさまに怒りをぶちまけたということであった。
 確かに天皇のいうとおりであり、さすがに杉山総長も、
「何も言えなかった」
 ということであった。
 それだけ、天皇は軍部に対していい分が強かったということであろう。
 天皇というのは、それだけ軍に対して強かったのだ。
 だから、敗戦後、占領軍は、
「天皇制廃止」
 というものに、舵を切っていたようだが、連合軍最高司令官であったマッカーサーは、
「天皇との面会で、言い訳一つしなかったことに感服し、天皇制を認めた」
 と言われるが、そもそも、国体として成り立っていたものをいきなり解体してしまえば、占領国として統制が利かあなくなるというのも、困るというものだ。
 天皇を、
「象徴」
 として残すというのは、あのマッカーサーの中で、
「数少ない営団だった」
 と言えるだろう。
 マッカーサーという男、少々危ない人物で、その後に起こった
「朝鮮戦争」
 というものでは、何度もやかかしている。
 特に、
「北朝鮮が攻めてくることはない」
 と考えたこと、そして、
「中国軍が介入してくることはない」
 ということで、何度も読み間違えて、韓国や連合軍を窮地に追いやったのだあ。
 挙句の果てに、
「中国に対して、数発の原爆投下支持」「
 というものを、トルーマンに進言するなど、さすがのトルーマンも恐ろしくなったのか、すぐに、
「マッカーサー解任」
 ということになったのだ。
 マッカーサーというのは、それだけ危険人物だったということだろう。

                 クーデター

 731部隊の生き残りともいえる人が、この療養所の発足人に名を連ねているということを、どれだけの人が知っているというのだろう。
 幹部でも、昔からいる人でなければ、知る由もない。
 何と言っても、戦後75年以上経っているのだ。
 その時、
「まだ若手」
 ということで、
「これからの時代を担う」
 という年齢であっても、今だったら、100歳になっている計算だ。
 今の職員というと、その人であっても、子供のさらに孫くらいが、入ってきてもいいくらいであろう。それだけ時代の流れというのは、何と激しいことであろうか。
 昔、
「戦争を知らない子供たち」
作品名:三つ巴の恐怖症 作家名:森本晃次