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ステルスの村

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「ケイタイが壊れている」
 などというのはウソだということが分かっているので、電話を入れると、
「俺、そんな電話しないよ」
 ということが分かり、
「これは間違いない」
 ということで、老人は、警察に通報するのだ。
 こうなれば、詐欺は瓦解してしまっているといってもいいだろう。
 相手は、完全に、
「蜘蛛の巣に引っかかった蝶々の状態で、食われるのを待つばかりだった」
 しかし、これも、下手をすると、グループにとっては、
「トカゲの9尻尾切り」
 ということで、
「失敗したやつはいらない」
 ということで、
「自分たちに害が及ばなければそれでいい」
 ということなのだろう。

                 神隠し

 そんな詐欺グループが入りこもうとしたところを止めたのが、この村の伝統であった。
 それだけ、街の自治であったり、
「自分たちの身は自分で守る」
 ということが行き届いているということになるのだろう。
 それだけに、政府が、
「伝染病のランクを下げる」
 と言った時も、
「ふーん、そうなんだ」
 という程度だったのだ。
 確かに、
「俺たち老人をバカにしてるのか?」
 と言いたくなるところであろうが、この村では、国が何と言おうとも、今まで自給自足でやってきたノウハウがあるから、
「農作物を売って金にしないと」
 という考えはないのだ。
「お金を使わずに、この村で採れたものを食べればいいんだ」
 というわけである。
 そもそも。他の土地の人たちには、
「自給自足」
 などという考えはなかった。
 あったとしても、
「それは、本当に何かがあった時にすればいいんだ」
 ということで、普段は、他のところと一緒で、
「都心部に、行商に行く」
 ということだったのだ。
 今の時代は便利になって、
「ネット販売」
 というものができるので、そこで写真付きで載せておけば、問い合わせもネットで来て、すぐに買い手がつくというものだ。
 それも、販売というものが、いかに効率がいいか?
 ということを考えると、
「一度、楽をすると、なかなか、前には戻れないというっものだ」
 ということで、実際に、
「世界的なパンデミック」
 が起こると、皆、パニックに陥ってしまって、何をしていいのか分からないという状態になったのだ。
 そんな状態になると、
「自給自足をすればいいじゃないか」
 と言っていたことすら記憶にないという感じで、
「若い連中は憶えているのに」
 ということを、都合が悪くなると、忘れてしまい、
「記憶にございません」
 などという、
「政治家の常套句」
 のようになってしまうのだ。
 だから、その手段は分かっているのに、ノウハウがないのだ。
「いざという時に」
 という意識はあるくせに、実際に何かをできるというわけではないのだ。
 それを思うと、
「政治家だけでなく、あっちの村は、首脳陣が、まるで、政治家となって、腐ってしまっているのかも知れないな」
 とばかりに、
「あっちは、どうせ、自業自得」
 ということで、こっちは、一切の情けはかけない。
 かけてしまうと、せっかくのノウハウを得るためにバカにされながらでも頑張ってきた、先人のことを考えると、
「情けなど掛けられるわけはない」
 と、まるで、
「アリとキリギリス」
 の話を思い出させるのである。
 あくまでも、この村の人たちは、いわゆる、
「村人ファースト」
 の状態であった。
 かつての、どこかの大統領のようであり、また、東京都知事が、好んで使っていた言葉であったが、その内容はどうあれ、この村の、
「ファースト」
 というのは、徹底していた。
 実際に、他の村とは隔絶された状態で育ってきたので、彼らの精神状態は、他の村や町の人たちとは一線を画していた。
 特に、政府の方針が交錯し、自分たちがどうしていいのか分からなくなった時、
「お得意」
 ともいえる、
「自治体に丸投げしての逃げ」
 というものを発令した時、その力は発揮される。
 政府はそんなことをしょっちゅうしていたので、他の自治体が混乱している時、この村だけは、確固たる方針があったので、揺らぐことはなかった。
 他の村や町では、混乱が続いている。
「他の村がどうなっているのか?」
 などということを確認できるはずもなく、実際に確認しようとすることさえやっていれば、
「この村を少しでも参考にしよう」
 と考える人もいただろう。
 本当にそんな暇もないくらいに、中途半端なところで、
「やぁめた」
 とばかりに、政府が投げ出したので、本当に自治体は、それぞれに対応しなければいけなくなり、そのために、どの自治体も、混乱を極めているのであった。
 しかし、この村の、
「自給所即システム」
 とでもいえばいいのか、
「最初はマニュアルなどがなくとも、皆、誰もが何をすればいいのか分かっていたので、一致団結という形で、難局を乗り切っていた」
 と言われている。
 しかし、彼らとしては、
「一致団結」
 ではないのだ。
 傍から見れば、一致団結という形なのだろうが、実際にはそうではない。
 一致団結というわけではなく、自分の力を、個々で発揮しながら、その力が、それぞれで発揮されることで、共通部分だけが目立つので、
「一致団結」
 に見えるのだ。
 だから、彼らとすれば、
「まずは、本人の力が最優先し、それが、人と絡んだところで、一足す一は二というような答えではなく、三にも四にもなるというものであった」
 というのが、彼らの基本だったのだ。
 その基本が成り立っているので、
「マニュアルなどいらない」
 ということになる。
 そんなものがない方が、
「それぞれの力を発揮できる」
 というもので、それが、この村の力だったのだ。
 それで、封建制度の時代は、何とか乗り切った。
 あの時代は農民が搾取されていたが、表向きと裏では、かなり違った。ただ、それも徳川幕府全盛時にできるわけもなく、幕末の幕府の権威が失墜した時に、その実力が発揮された。
 明治になり、その混乱や、
「特権階級による新政府」
 だった頃に、彼らは、独自の体制を確立していった。
「大日本帝国」
 というものが、名実ともにできあがった、
「憲法制定」
 の時期には、彼らは、表向きは、
「日本の一農村」
 であったが、実際には、彼らだけでも、設立できる、
「共和国」
 的な存在になっていた。
 実際にそれだけの貯えもあったり、何かがあった時の、マニュアルも、しっかりできていたのだった。
 それが、彼らにとっての、
「大きな武器」
 であった。
 しかし、それを決して表に出すことはしなかった。あくまでも、日本の一部であり、
「国家の中の一つの村」
 であった。
 それは、本当の有事の時に、独立できるだけの力を持って、それを隠していたのだ。
 戦時中になると、国自体が、
「立憲君主」
 ということなので、さすがに、表向きとはいえ、
「一農村」
 に国家に逆らうだけの力はなかった。
 だから、戦時中、つまり、
「大日本帝国」
 の時代までは、
「殻をかぶっておく」
 ということまでしかできないのであった。
作品名:ステルスの村 作家名:森本晃次