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ステルスの村

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 という、極度の被害妄想になる。
 それも、
「自業自得」
 の被害妄想であり。そうなってしまうと、誰も助けてはくれない。
 それどころか、
「まわり全体が敵」
 ということになっていて、自分が妄想している範囲にとどまらない妄想が、現実になってしまうのだった。
 ただ、これは、あくまでも、
「自業自得」
 自分が悪いのだ。
 それを人のせいにしていいものかどうか?
 という判断もその人にはないのだ。
 そういう人がどんどん増えてくるということになると、まるで、バブル経済と同じではないかということになるのだ。
 バブル経済は、
「実体のない、泡のようなもので、弾けてしまうと、そこにあったはずの利益は、すべてなくなり、元本すら消えてなくなってしまうので、現実に残るのは、莫大な借金だけである。
 だから、バブルのように、自分が見えずにやったことは、
「人との信頼関係」
 あるいは、そこから生まれる、
「利益」
 そんなプラス思考のものは、すべてがなくなってしまうのだった。
 そして残ったのは、その人への誹謗中傷(自業自得)であり、失墜した信頼が、恨みに変わってしまったりしたことである。
 そして、莫大な借金のかわりに、四面楚歌に陥って、利益どころか、一生拭い去れない重荷を背負うことになるだろう。
 その重荷は人によって違うものであり、
「借金と同等の、いや、それ以上を、未来に禍根として残すことになる」
 というものである。
 借金は、働いて、お金を稼げば返すこともできる。
 才能があれば、一攫千金だってできなくもない。
 しかし、人の信頼を失って、それを自分が失墜させたものであり、しかも、その事実を自分で分かっていない人には、浮かび上がることなどできないだろう。
 人の信頼とはそれほど深いものであり、
「いくらお金があったとしても、それを取り戻すことは、お金ではできないということなのだ」
 それを分かっている人は、まずいない。
 一度消えてしまうと、
「別人として生まれ変わらなければ、どんなに、聖人君子になろうとも、一度ついた汚名を盤かいすることは不可能だ」
 といえる、
 歴史上の人物でもそうではないか。
「歴史研究や発掘などの資料が見つかって、やっと、今まで信じられていたことが間違いだった」
 ということが分かるのだ。
 それは、人の寿命などよりもはるかに長いもので、10倍ということだって普通にあるのだ。
 それを思えば、少々のことで、一度ついた汚名を、生きている間に挽回しようなどというのは無理だということであおる。
 そう思えば、
「今の時代、皆人に対して疑心暗鬼になって。人間不信となっている」
 というこの時代。
 しかも、その疑心暗鬼や人間不信のために、精神が病んでしまって、その人に対して、信頼どころか、一歩間違えば、
「殺意が芽生える」
 という時代になっているのではないだろうか?
 まだ、バブル崩壊の時代は、その入り口くらいで、学校などで、
「いじめ問題」
 であったり、会社などでの、
「パワハラ」
 などというものが、バブル時代に変わらずに息づいていたのだ。
 そんな誰もが不安な時代、
「弱者」
 が苛めを受け、そして、そんな時代をまだ、
「バブル期」
 と同じ立場による苛めが横行することで、弱者は、
「引きこもり」
 となり、大きな社会問題になった。
 それを、当然のことながら、政府はどうすることもできない。
「やっていますアピール」
 だけは、どの時代の専売特許のようで、
「どうせできもしないくせに」
 という時代が今の時代となっているのだろう。
 そう思うと、
「結局は、自分のことは自分で守るしかないのか?」
 という、政府の最後通牒というものになるのだろう。
 通例では、
「最後通牒や、海上封鎖というのは、宣戦布告と同等だ」
 と言われていて、国際法に遵守するかどうかというのは、難しいところであろう。
 しかし、国際法というものに遵守しなくとも、今は結構通例で行われることも多く、ある程度まで考えられていれば、認められるというものだ。
 そのために、国連があるのだし、狭義の上決まれば、それに従うということもできるだろう。
 ただ、バブル時代に。どのような問題が起こるかということを考えれば、バブルがはじけることも分かっていそうなものだ。
 まさか、
「あの時代には、お花畑以外にいる人がいなかった」
 というわけでもあるまい。
 お花畑というものがどういうものなのか?
 確かに、日本は、戦後バブル経済を迎えるまで、
「戦後40年くらいが経っていた」
 のだろう。
 その間、戦争を経験した人は、すでに、社会の第一戦を退き、定年退職後の生活を営んでいた。
 そういえば、昭和の終わりことであったか、そういう
「定年退職後の老人を狙った詐欺事件」
 というものが起こったのを、記憶している人も少なくないだろう。
 そう、
「社長が殺されるところを放送された」
 という、放送事故ともいえる、ショッキングな出来事だった。
 確かに、
「世の中には、死んでもいい人間などいない」
 と言われているかも知れないが、
「この社長のせいで、何人の人が失望し、中には自殺を試みた人もいるかも知れない」
 しかも、それは、老人だけではなく、次世代にまで及んでしまい、家族全員が、無理心中などというめちゃくちゃなこともあったかも知れない。
 それを思うと、
「俺が生きていた時代は、本当はもっといい時代だったのかも知れない」
 と、草葉の陰から、この世を見ているかも知れない。
 それを考えると、
「この世というのは、本当に儚い」
 と言わざるを得ないだろう。
 人の死というものを軽んじていたのは、その社長の方であり、世間の大多数は、
「あんなやつ、死んで当然だ」
 と思っている人もいるだろう。
 ただ、中には、
「あんな形ではなく、法廷に引き釣り出して、法律で裁かれるべきだ」
 といっている人もいるかも知れない。
 しかし、それは甘い考えだ。
 確かに、法律で裁かれるべきなのだろうが、今の司法は、
「被害者に対して、辛い」
 と言われている。
 極刑にするかどうかは難しいところだが、死刑にするかどうかというよりも、その人の罪の深さを思い知らせるというのが、社会的にも必要だろう。
 もし、この社長の考えとして、
「老人はどうせ、老い先短い命なんだから、金や希望がなくてもいい」
 などと思っているとすれば、とんでもない間違いだ。
「もし、尾苗が年を取って同じ目に遭った場合に、同じことが言えるのか?」
 という、
「普通の人間であれば、誰にでも分かること」
 というものが分からないということになり、どう考えるのかということになる。
 この社長の罪は、確かに、
「死罪に値する」
 といってもいいだろう。
 これが、今の世の中の出来事であり、
「今年の出来事の中で、一番ひどかったのは、確かにその年はその事件だった」
 といってもいい。
 しかし、その後、今に至るサイバー詐欺にいたるまでの、原形を作ったという意味で、今の時代でも許されることではない。
 今に至るまで、
「人類史上でも、有数の、極悪犯罪の一つだ」
作品名:ステルスの村 作家名:森本晃次