小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ステルスの村

INDEX|3ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 ロシアを中心とした共和国に別れ、社会主義国ではなくなってしまった。
 まだ、中国、きゅば、ベトナムという国が社会主義国家として君臨はしているが、かつての、
「東西冷戦」
 というのはなくなったのだった。
 それにより、戦争特需というのはなくなった。
 代理戦争というものもなくなり、ある意味、国家間の戦争というのは、鳴りを潜めているのだ。
 アラブ諸国や、イスラム諸国を中心とした、
「反米国家」
 と言われているところが、
「ゲリラ戦」
 というものを仕掛けてくるのだ。
 ベトナムで苦しめられたゲリラ戦、そこには、
「自爆テロ」
 というものが存在し、相手は宗教をバックに考えるので、
「死をも恐れない」
 という意味では、
「大日本帝国」
 と考え方は似ているかも知れない。
 大日本帝国も、
「天皇は神様」
 ということで崇め、まるで教祖様のごとく君臨することで、
「戦争を正当化した」
 と見られているかも知れないが、ああでもしないと、国家の存続ができない。
 何といっても、日本という国は、国土が狭く。資源も食料もないことから、かの世界大戦に突入した時の、満州であったり、中国への侵攻ではないといえるだろう。
 満州事変を起こしたのは、
「自衛のためではなく、侵略だった」
 という、
「リットン調査団の話は、あくまでも、戦闘という意味においでなだけだ」
 と言えるだろう。
 実際には、
「食糧問題」
 つまりは、
「国土のわりに人口が多すぎるので、海外に土地を求めるのは、アジアやアフリカに、植民地を作った欧米列強がやったことと、どこが違うのか?」
 ということである。
「リットン調査団」
 が行った調査というのは、あくまでも、
「事変に対して」
 というだけであって、背後に潜む、
「国家の事情」
 というものをわかっていないからではないだろうか?
 それを考えると、
「日本であったり、アジアの弱小国」
 というのは、戦争の名目だと言われてしまったといわれる、あの、
「大東亜共栄圏」
 というものは、
「本当は正義なのではないか?」
 と言えるのではないだろうか?
 今の時代は、昭和の頃のような、
「世界のトップを走る日本」
 などということはなくなってきた。
 ただ、一度は、頂点に上り詰めただけに、栄光を忘れられないという人もいるだろう。だから、
「世界的なパンデミック」
 が起こったその時、ちょうど、日本でオリンピックがあったことで、
「日本が、伝染病に打ち勝った」
 ということでオリンピックを開くはずだったのが、その年は、まだまだ、その正体すら分からない状態で、
「選手団を他国に送ることはできない」
 という国が続出したことで、その年は延期になってしまった。
 翌年になると、さらに、伝染病は猛威を振るい、国内では、
「時短営業」
 ということで、飲み屋などの飲食店は、大打撃だった。
 国家が補償金を出したりしていたが、それよりも、
「保証金がもらえる」
 というところは、まだいい。
 ターゲットは飲食店で、
「休業したり、時短をすれば、その分補助金を出す」
 ということであった。
 しかし、問題はそこだけではないのだ。
 問題なのは、その店に商品を収めている、
「納入業者」
 である。
 彼らには、一切の補助金は出ないのだ。
 店側の損失は補助金で何とかならないかも知れないが、
「あるだけまだマシだ」
 ということだ。
 しかし、納入業者は、作っても、それを買うところがないのだから、どうしようもない。
「作れば作るほど赤字」
 ということだが、結局どうすることもできない。
 要するに、
「政府は、目の前に見えていることだけを補助」
 ということをして、
「やってますアピール」
 をしているだけなのだ。
 結局、どうすることもできず、納入業者は、潰れていくしかないということになるしかないのだ。
 それを考えると、
「いつ、何があるか分からない」
 ということで、企業は、
「内部留保」
 ということで、会社で金を溜めておくという方法をとり、
「社員が苦しんでいようが、会社があれば、それでいい」
 ということになるのだ。
 そうなると、個人もそうである。
 金のある人は、
「経済を回すために、金を使う」
などということを誰がするというのか、
「会社に¥が何もしてくれないのであれば、自分の身は自分で守るしかない」
 というのは、国の対策からも分かるというものだ。
 伝染病がまだ流行っているにも関わらず、金を出したくないという理由だけで、
「伝染病のランク」
 を下げるという対策を取るのだ。
 要するに、
「国は、知らんから、国民どもは、自分の命は自分で守れ」
 といっているようなものである。
 それまでの規制をまったく掛けることはなく、あとは、すべて個人の判断ということになるのだった。

                 不可思議な村

 そんな時代背景において、時代は流れても、この街はある程度相変わらずのところがあった。もちろん、世の中は発展しているので、昔のままというわけにはいかない。
 戦後か見ても、建物は、木造から鉄琴コンクリートになり、戦争のために減ってしまった人口を、
「産めや増やせや」
 ということで、労働人口確保のために、ベビーブームがあったりしたことで、今度は、平屋だけでは、先ゆかなくなり、団地から、さらにアパート、そして、マンションと、住まいも様変わりしてくるではないか。
 それを思うと、
「戦後あらこっち、世間はかなり変わった」
 といってもいい。
 トイレも、水洗トイレ化が、自治体の事業として進み、あっという間に、水洗化され、今では、和式トイレなど、ほとんど見なくなった。
 インフラにしてもそうだ。
 自動券売機から、さらには、自動改札となり、昔の駅員がいて、
「切符に挟みを入れる」
 などという光景は、まず見なくなった。
 今では、カードを使って、お金をチャージしておけば、切符を買わずに、目的地まで行けるようになった。
 切符に使う紙も節約できるし、何よりも、おつりを券売機に入れておく必要もなくなる。何しろ、チャージはお札からなので、小銭を持ち歩く必要もないのだ。
 そういう意味では、買い物もカードやスマホで行えば、小銭もいらない。それを思うと、本当に今の時代は便利になったものだ。
 高速道路も、カードを持っているだけで、ゲートの前に徐行すれば、判断してくれて、とまったり、料金を払うことはないので、スムーズに進むことができて、渋滞もなくなるのであった。
 それを思うと、
「世の中、本当に便利になったものだ」
 と言えるだろう。
 これくらいのことは、街としては、当然できるようにならなければいけない。この街においても、もちろん、街中ではその通りなのだが、ある地域だけは、まだまあ昔のものが残っていたりする。
 この街は、海にも面していて、裏には山がそびえているのは、前述のとおりであるが、その聳えている山の向こうに、
「あまり人が立ち入らない」
 という場所がある。
 そこは、周囲を森に囲まれているようなところで、敢えて、ここでは、
「集落」
作品名:ステルスの村 作家名:森本晃次