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ステルスの村

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 他の村には気づかれないように、自治体を操作したり、密かにしていたのだ。
 報酬は、
「自給自足」
 の現物支給。
 この時代では一番ありがたいことであった。
 何しろ、都会から、食料を求めて、自分の家の家宝などをもって、
「物々交換」
 にくるくらいである。
 これが、金に困っての、
「質屋の利用」
 であれば、金を借りる担保ということでの、
「質入れ」
 として、保管してもらえるが、
「物々交換」
 となると、戻ってくることはあり得ないのだ。
「お金ができたから、返してくれ」
 といっても、返さないだろうし、そもそも、その返してもらうお金は、
「その後の困った時に使う」
 という貯蓄に回るだろう。
 そのため、
「もう、お金の価値など、どうせまったくないんだ」
 ということである。
 何しろ、お金があっても、物資が絶望的にないのだから、経済としては、いわゆる、
「ハイパーインフレ」
 と呼ばれる時代となり、にっちもさっちもいかなくなる。
 そうなると、強いのは、この村であった。
 村の体制は、これまでの、政府の体制とはまったく違うものであった。
「立憲君主から見れば、民主主義に見え、封建制度から見れば、どこか律令制度にも見える。そして、民主国家から見れば、封建的な世界に見える」
 ということであろうが、それはそれだけ、一般人が、歴史というものを認識していないかということであり、少なくともこの村の人の歴史認識は鋭いものがあり、
「まるで、下手な歴史学者などよりも、よほど詳しい」
 と言われる。
 しかもその考えは理路線善としていて、奇抜に聞こえるが、その内容は、機密に満ちていて、
「誰も意見を言えない」
 というくらいになっているのだった。
 そんな状態において、この村にある鎮守は、いつの時代においても、
「村人の守り神」
 であった。
 そんな鎮守であったが、ある時、この鎮守にいたずらをしたこともがいたという。時代背景においては、いつのことだったのか分からないが、確かに、そんな少年がいたということが、鎮守の社務所に残っているという。
 社務所では、それを公開していて、見たいという人がいれば、見せるというのが、慣例となっていた。
 しかし、もちろん、閲覧できるのは、村人だけである。それを破ると、
「見せた方も、見せられた方も、ひどい目に遭う」
 というのが言い伝えになっていた。
 だから、社務所の人も、
「村人の顔は熟知している。逆に熟知していないと。ここの社務所では働けないのだ」
 という。
 代々この社務所は、世襲で成り立ってきたが、
「どうしても顔を覚えられない」
 という病気の人がいた。
 その時は、助手として記憶力のいい人を社務所の補佐ということで雇い入れていた。
 名目は、
「補佐」
 となっているが、実際には、所長と同じくらいの権利を与えられていて、
「ただ、世襲ではない」
 というだけの立場だったのだ。
 それでも、
「ここの補佐になりたい」
 という人は、それぞれの世代には多いようで、募集が行われると、たくさんの人が、それこそ、
「行列を作る」
 というものであった。
 以前、悪さをしたその内容までは、記載されていないが、漢字としては、
「そうは大したことはない」
 ということのようだ。
 他の村や町では、普通に許されることなのだろうが、この村は、
「他では通用しない」
 ということだったのだ。
 それを思うと、
「この村の特異性と、この鎮守における街の立場は、関係ないように見えて、実際には、密接に結びついている」
 ということになるのであろう。
 それを考えると、
「この鎮守には、本当に信じられないような力があり、それが、この村の運営に、大きく影響しているのではないだろうか?」
 ということであった。
 他の村でも、確かに、鎮守と村の運営とでは大いに影響がある。 それはなぜかというと、
「神社が、五穀豊穣の祈り」
 だからであろう。
 特に、この村では、
「自給自足」
 を基本としているので、
「五穀豊穣」
 というのは、避けては通れないものであろう。
 だから、
「信じられないような力」
 を有していたとしても不思議はなく、その力が、今も村の繁栄を支えているといっても、過言ではないだろう。
 そんな村の繁栄を支えてくれている鎮守に、くら子供だとはいえ、いたずらなどは許されることではない。
 すぐに犯人はその時に見つかったといいう。それも詳しくは書かれていないが、鎮守にての、お祓いによって、その犯人を指摘したというのだ。
 犯人は、その指摘にビビってしまい、家族も一緒で、
「もう、この村にはいられない」
 ということで、夜逃げ同然に村を離れたという。
 そして、その逃避行の途中で、事故に遭ったようで、海に死体が上がったという。それから、村人は、
「祟りじゃ」
 ということで、改めて、鎮守様の力の恐ろしさを思い知り、さらなる崇め奉ることになった。
 そして、現在に至るわけだが、神社には、
「村を守る」
 ということと、
「その怨霊を鎮める」
 という意味とで、
「鎮」
 と、
「守」
 とで、ここを誰も神社とは呼ばず、
「鎮守」
 と呼ぶようになったのだった。
 鎮守というものが、いかに村を見つめているかを考えると、
「平等をスローガンとしている村において、唯一、村の上にある立場としての鎮守様の存在は、誰もが、必要不可欠なものだ」
 と感じているのだった。
 鎮守というものが、
「村に君臨し、そして、主となる立場」
 が鎮守であるとするならば、
「君主的立場」
 といってもいいだろう。
 そういう意味で、この村は、
「鎮守様による、絶対君主の村だ」
 といってもいいのかも知れない。
 そんな村を襲った事件が最近あった。
 というのは、
「神隠し事件」
 これも
「少年が、忽然と消えた」
 という事件で、少年は、
「別に何か悪いことをしたわけではない」
 というのが分かったからである。
 この村は、
「閉鎖的な村」
 ということであるが、科学的なことに関しては、結構、取り入れたりしている、
 結構早くから、村の至るところに、防犯カメラを設置していた。特に、鎮守に関しては、かなり前から防犯カメラの設置は行き届いていて、今回の少年が行方不明となった前後の防犯カメラは、入念に調べられた。
 もちろん、警察にも届けられ、捜索願も出された。
 さすがに、
「少年の行方不明事件」
 ということで、普段なら、
「少々のことでは、捜査員が動かない」
 と言われる警察だったが、今回は、初動捜査から、素早い対応だった。
 非常線も張られ、交番には、写真付きの、
「行方不明者捜索」
 ということで、大々的に、県内全体に、張られていた。
 もちろん、交番だけではなく、役所や駅などの、公共公共施設などには、張られていることだろう。
 ここまで警察が動くのは、以前から、治安に関して、村の長から、寄付があったのだ。
 村は閉鎖的ではあるが、まわりの村で治安が悪いということは、自分たちの閉鎖的な環境を、壊される可能性があるからだ。
作品名:ステルスの村 作家名:森本晃次